幸せのさなかの王子の話
「ーーねえ、怪盗さん。僕を返す方法、そろそろ分かりましたか?」
「えっ」
メルヘン王子がやってきてから早1ヶ月。熱心に図書館に通い続けた成果か、だいぶ現世(?)に馴染んできたらしい王子から不意に掛けられたのは、そんな言葉だった。
「微妙な反応ですね…」
「あ〜……まあ…」
「しかし、芳しくない…という訳では無い…」
「…………」
「何か、問題でも起きましたか?」
「………いや……」
問題も何も……大問題だ。
実の所、こいつを絵本の世界に戻す方法はわかった。結局自分ではどうにもできず、この手の話に詳しい友人に助けを乞うたのである。
その結果、なんともあっさり……「結末を話すこと」だと…そう言われたわけだ。
……さて、この王子の物語はどんなオチだったか……よく知っている。下調べの時から、なんとも後味の悪い結末だと思っていた……
ーー散々拷問され辱められた後、処刑される……と
言えるか!!!言えるわけがないだろう!!!
なんだかんだ1ヶ月一緒に過ごしてしまったんだぞ!?情の一つや二つくらい湧くだろう!?
結末を話すことくらい、俺も何度か試そうと思ったことはそりゃああった。あったが……
あれやこれやと子供のように目を輝かせながら話しかけてくる「無垢」の塊のような人物に、そんなことを冗談でも言ってみろ……俺は本当に筆者に呪い殺されるのではないだろうか?
そもそも王子をあんな悲惨な目に合わせるような展開を描いたのはお前だろうというツッコミはさておき……どうしたものか…
「え、っと………あー………その……」
「その?」
「………お前は、俺に期待しすぎなんだよ…まだ。なんもわかってねえよ」
暫定……こう言うしかない。
「……そうですか」
文字通り「しょも…」といった効果音が似合いそうな表情を浮かべる王子に罪悪感がない訳では無いが…俺もしっかり覚悟をしたい。そのうえで、この純粋無垢の塊に、現実を受け止めて欲しい。
自分がどう足掻いても死ぬという、現実を…
そもそもこいつは…一体どこまで自覚があるのだろうか。
自分が絵本の中の住人であること自体、もしかしたら知らないのではないだろうか…?それも怖くて聞けてない。
何がトリガーでこいつが全てを思い出して暴徒化するかが分からない。
いや……多分しない。しないだろうが……
「……怪盗さん」
「…何」
「……ごめんなさい」
「?」
王子は、眉を下げたままへにゃりと笑った。そうして、続ける。
「実は僕……全部、知ってたんです。自分が、空想の存在であることも、どんな結末を辿るのかも…全部」
思わず絶句していると、王子は手を左右に振りながら続ける。
「あっ、違いますよ!結末は知っていますが、あなたから話してもらわなきゃいけないんです!!知っているだけじゃ、僕は帰れなくて…信じてください!」
「あ、いや…うん……それはいいんだけど……死ぬってわかってても……帰りたいのか?」
「……あはは……えっと……そういうことに、なりますね」
薄緑の双眸を下げ、しなやかな指を包み込むようにして握ると…
「……少しだけ、愚痴を聞いて貰えますか?」
今まで一度たりとも出てこなかった、似つかわしくない言葉がこぼれた。
ーーーーーーーーーーーーーーー
マルファル・K・ネメシスは、孤独な男でした。
背は低く髪はくせっ毛でボサボサ、生まれつき足が不自由で、遠くへは行けない。顔もぱっとしなくて記憶に残らず、オマケに酷い吃音症で……
とてもじゃありませんが、人付き合いがまともにできるタイプの人間ではありませんでした。
それでも、ネメシスは絵画と文才に恵まれました。
口で伝えられなければ、絵や文で伝えればいい。
望みがあるなら、そこに映せばいい。
孤独だったネメシスは、自身の理想郷を、絵と文に……絵本に起こしたのです。
そんな彼のある作品が、ある時とある男の目に止まりました。男は、後々大きな出版社の取締役になる男でした。
……今も存続している、由緒ある出版社なんだそうですよ?
ネメシスの類まれなる才能を、男は高く買いました。
彼の作品を初めて世に出した時…それは、大きな反響を生みました。
たくさんの人が自分の作品を読み、目にし、共感…あるいは、感動してくれている…その事に、ネメシスは少し動揺しつつも……とても嬉しく思いました。
ずっと伝えられなかった自分の声が、作品を通じてようやく伝えられるようになった。
ネメシスは、その喜びを勢いに変え、あまたの作品を生み出しました。
作品はどれも高く評価され、見る人によって全く違う印象を与えるその絵本は、一時生産が追いつかないほどの大ヒット作まで生まれました。
そんな、ある日のこと……ネメシスが、僕たちの話を作っている時のこと……
ネメシスは、とある話を小耳に挟み、凍りつきました。
ーー自身が開いた記憶のない講演会の話でした。
最初に話した通り、ネメシスはまともにコミュニケーションを取れる人物でない…にもかかわらず、聞いた話では、講演会に現れたネメシスは、堂々とした立ち振る舞いが素晴らしい、美しい紳士だったと。
ネメシスは急いで出版社に出向き、男に説明を求めました。
結論から言うと……彼は、ゴーストライターだったのです。
こんなに明るく、美しい話を描く人物が、孤独で愛に飢えた醜い人物では示しがつかない。だから、顔役を用意した。
その方が受けがいいし、何より売上にも繋がる……悪い話ではないだろう?
……男は、ネメシスにそう説明しました。
自身がようやく伝えられた言葉は…気持ちは…心は……いつの間にか、自分の知らない誰かのものになっていた。
その事実に、ネメシスの心はとうとう打ちひしがれました。
その傷は、いつものようにハッピーエンドで終わらせるはずだった僕たちの物語にも…影響を出しました。
……本当は、西の大国はいい国だったんですよ。
被災した僕たちの国を、国を挙げて助けてくれるはずだった…僕の妃になるはずだった女性も、いたはずなんです。
けれども全部……絶望が攫っていきました。
ある王子の幸せな半生を描くはずだったその物語は…絶望に打ちひしがれ、人を憎みながら死ぬことになった、哀れな王子の話に変わりました。
ネメシスは、この作品を完成させた後、遺書も残さずに死にました。
死後も、本当の彼のことを知る人はほとんど居ませんでした。
そうして、世間に出なくなったネメシスのことを、僕たち作品のことを、世間は忘れていきました。
そのうち、最たる汚点とも言わしめた僕たちの絵本は…あなたが盗み出してくれた、その日この時まで、日の目を浴びることはなかったのです。
ーーーーーー
「…とても、愛らしい方だったんですよ。僕の妃は…やがては、子宝にも恵まれる予定でした」
「………あの、話には…」
「いませんよ。消されてしまいましたから…僕の幸せに繋がるものは、一切合切」
話す王子の顔には、少しばかり影があるような気がした。
本来、こんな感情も、表情も持つはずじゃなかったのだろう。その顔は…酷く整っているのに、アンバランスに見えた。
「殺されることが、筆者のネメシスの願いなら……僕は、元の世界に戻って、処刑されるべきなんです…それが、彼たっての、最期の願いなのですから」
「……それで…俺に、さっさと話せって…?」
「…………ええ」
王子は屈んで、俺に目線を合わせた。
その目は、嫌になるほど澄んでいた。
「……死ななきゃ、ダメなんです」
拙作「君の"エガオ"を奪うまで」の原型となったショート
この時点ではまだ名前も決まっていなかったし、キャラクターはこの2人だけだった
そもそも恋愛感情も0だったしさせる気もなかった