03)その頃、ドーソン邸2
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予約投稿を間違えて、時間が遅くなりました。申し訳ありません。
マルセルは自分が他者より『優れた目』を持っていることを知っている。その目は近くで起きることを細かく、細かく認識する。
ほんの些細な変化ーーーー頬に緊張が走るとか、微かに眉根に力が入るといった変化にも敏感だ。
武門の家系に生まれながら、武に秀でなかったことに引け目を感じているが、この目は対面で相手の真意を探るのにはとても役に立つ。文官として仕事をする上でも有用だ。
そして今日は、その目を活かして、全ての参列者を『見て』いた。
手紙の主を見つけたかったからだ。
父がどんな意図で手紙の主を見つけたいのかはわからないが、マルセルとしては、ただ感謝を伝えたかった。兄たちもきっとそうだろう。
この七ヶ月間は、まるで幼い頃のように家族との時間を過ごした。その中心はもちろん祖父であり、きっかけはあの手紙だ。
「ご令嬢から手紙をもらえないだろうか」
ジョエルが、良いことを思い付いたとばかりに声を弾ませる。が、直ぐに父親がかぶりを振った。
「以前、我が家の夜会に招待したが、嫡男から断られた」
手紙の筆跡から差出人を探そうと、ドーソン家では未だ婚約者のいない末っ子のマルセルを餌に、若い令嬢を招待するための夜会を何度か開いていた。もちろん、リストにあるご令嬢宛で招待状を送っていたが、ラインバッハ家からは毎回、エリオスの名前で妹の欠席の連絡がされていたため、ご令嬢の筆跡は確認できていない。
同世代で学園に通う者がドーソン家にいないのが痛いところだ。
学園ならノートを借りたりと何かしらの方法がありそうなところだが、それも出来ない。
「マルセル、お前婚約するか?かなりの美少女らしいぞ」
サミュエルが末弟に水を向けるが、ブンブンと激しく頭を振って拒否する。
「エリオスの妹ってことは、あのリュカ・ラインセスが後ろについてるってことだ。僕だって命は惜しい」
学園でエリオスを支えるように過ごしていた、自分より二つ年下のリュカ・ラインセス子爵令息。秀麗な容姿と穏やかに微笑む姿はまさに貴公子ではあったが、アイツはヤバいと、マルセルの『目』は一瞬で察した。
どんなに美しく整っていようとも、瞳に狂気が潜んでる。
歌劇や物語で有名な『蒼貴公子』のモデルがリュカの父親であると知ったときには、その狂気の由来を垣間見た気がした。
悲劇の蒼貴公子の物語は、子ども向けの騎士物語としても人気がある。
主を守るために、たった一人で二十人近くの暗殺集団を殲滅し、その身を捧げた忠義の騎士。血を流す太刀傷は目立つものだけで50を越え、纏っていた青い片袖のマントは返り血を吸って黒く染まっていたという。
そんな悲劇の主人公に、脳筋の次兄は興奮していたが、荒事が苦手なマルセルは震え上がった。
あの物語がほぼ脚色なしの実話だと知った時もやはり震えたものだ。その息子には出来ることならば近づきたくはない。
「手詰まりか……しかし、あのピンは……厄介だな」
父は唸るように言い捨てると、グラスの酒をくっと呷った。あんな飲み方をしたら、喉が焼けるように熱かろう、と、マルセルは要らぬ心配をする。
「シャーリーのやつ、知らなかったとはいえ、とんでもないものを親父に寄越してきたな……」
侯爵は空のグラスをテーブルに音を立てて置くと、ソファの背に身体を預け、眉根を寄せてきつく眼を閉じた。
父がグラスを鳴らすのは不機嫌な証拠だ。
だがマルセル達兄弟は皆、そんなことには慣れている。父は見た目通りに導火線が短めな性質だ。
だがそれでも、怒りや苛立ちを制御しようと努力はしている。今のように。
フューエル辺境伯家の嫡男に嫁いだ従妹が祖父宛に送ってきたラぺルピンは、一見すると紅珊瑚と金細工の、上質だがありがちな装飾品だ。しかし、これが厄介な代物でもあった。
叔母を通して本人に確認をしたところ、本人もただの紅珊瑚と金の装飾品という認識しかなかった。
その金細工に問題があることに気づいたのは、やはりマルセルだった。その問題に、エリオスも気づくだろうか?もしも気づかれたのなら厄介だ。
「ラインバッハの嫡男は優秀か?」
父が閉じていた瞼を上げ、マルセルに問うた。
「優秀ですよ。騎士科に転科しつつも領主経営科の必修を修めてます」
マルセルはエリオスとは学園で二年一緒だっただけだが、その優秀さは認識していた。なので父の問いかけには素直に答えた。
「そのわりには優秀さが響いてはいないな」
サミュエルが疑問を投げてくる。
世代が少し離れている長兄にはエリオスの噂は伝わっていないようだ。苦い顔で黙っている次兄は、騎士団でのエリオスを知っているからだろうか。
門外漢の自分は詳しくはないが、それでも歴代トップクラスのスピードで昇進していることは知っている。
騎士団といえとも巨大な組織だ。
たとえ武に長けていても、知力がなければ上にはいけない。
「そこはラインバッハだからだろう。あそこは当代も優秀だがそれをひけらかさん。むしろ隠している。建国神話は健在だ」
父侯爵はそう言うとテーブルのグラスを手に取り、それが空であることに気づくと忌々しげに再び音を立ててグラスを置いた。
建国神話。
国を興した賢者の末裔が国王で、彼の国を守護するため、最果ての黒き森と対峙した勇者の末裔がラインバッハ伯。
国に対して二心がないことを示すため、ラインバッハは伯爵の地位のまま、長き時代を一臣下として静かに過ごしている、国随一の忠臣。
それは国民なら幼い子どもでも知っている話だ。
辺境を護りながらも『辺境伯』とは呼ばれないラインバッハ。しかし、自領に騎士団を持つほどに武力を固めることを許されている。
中央に対して欲を見せる気配はないものの、その地位が落ちることもない。
実情を知ればそのちぐはぐさに気付く。
それもこれも、建国神話が『神話』ではないことを示唆しているようだ。
父が不機嫌な理由は手に取るようにわかる。
武功を重ねたドーソン家の誇り故なのか、父は勇者の末裔といわれるラインバッハが苦手のようだ。
「ともかく、ラインバッハの嫡男がピンの何を気にしたのか。そして妹の直筆。この二つだな」
父はそう言うと、長兄から無言で差し出されたグラスの中身を煽った。
酒が喉を流れる刺激によってなのか、眼が赤く潤んでいる。
父の言葉に深く頷く。二人の兄も同様に頷いていた。
祖父の死を穏やかに受け入れられたことに感謝しつつ、厄介な問題事に発展しないことを願いながら、マルセルは父の眉間の皺と赤くなった眼をみつめた。
父は満足気に小さく頷くと「行っていい」と、小さく呟き、再び眼を閉じた。今度は眉間の皺はそこまで深くはなっていない。
今からは息子として父親の死を悼む時間なのだろう。
マルセルは手をつけなかった蒸留酒の入ったグラスを父の前にある空のグラスに寄せ、部屋を後にした。
続きは、明日の午前7時30分に投稿予定です。
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