03)その頃、ドーソン邸1
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ラインバッハ邸でエリオスがいつもよりずっと早い眠りについた頃、つまりは夜ではあるが更けてはいない、そんな頃、ドーソン邸では侯爵と彼の三人の息子が談話室に集まっていた。
「では、この手紙にエリオスが関わっているということか?」
ソファに囲まれた小さなローテーブルには、とろりと色濃い蒸留酒が注がれた銘々のグラスと共に、白い封筒が置かれている。言うまでもない、七か月前に前ドーソン侯爵宛に送られてきた、白銀貨が同封された手紙だ。
その手紙を顎先で指し示しながら、ドーソン侯爵の次男が弟に問う。
「手紙じゃなくて、じぃ様のピンに反応したって言ったんだよ」
ドーソン侯爵の末息子、三男のマルセルは静かに訂正する。彼は今日、弔問客の様子を伺うことに全神経を集中していた。
白銀貨が同封された手紙の差出人に繋がる『何か』を見つけるために。
結果として、直接的に手紙の差出人に繋がるものは見つけられなかったが、手紙に書かれていた紅珊瑚のラぺルピンに目を留めた者も少なく、その一人が、自分が学生時代に世話をした親しい後輩だった。
「同じだろ」
「違うよ。ジョエル兄さんは短絡的すぎる」
「何だと!やんのか?」
「ジョエル、その脳筋思考ではマルセルの意見に賛同するしかないよ」
「兄さんまで!」
拳を握った次男の腰がソファから離れたタイミングで、ドーソン侯爵が声を張った。
「お前たち、喧嘩は後にしろ!今は情報を整理する時間だ」
誰よりも低く重い声は、三兄弟には腹に直接拳をねじこまれたように響いた。少し腰を浮かせていたジョエルは、痛そうに腹を擦りながらソファに体を深く沈めた。
「マルセル、もう一度、詳しく」
やはり痛そうに腹を押さえる末弟に、ドーソン家嫡男のサミュエルが、同様に自身の腹を押さえながら促す。
物理の攻撃ではないはずなのに声だけで兄弟揃って腹を押さえる羽目になるとは、父の一喝は相変わらず恐ろしいものだと、条件反射的に腹に痛みを覚える弟たちに兄弟の絆を感じずにはいられない。
「今日、白銀貨を手にしていたものはいなかった」
今日のお別れの儀に参列していたのは、王公貴族と騎士団に所属の者たち。
そのほとんどが男性だが、幾人かの祖父と同世代であろう年配の女性もいた。
彼らの従者は離れたところに待機していたが、リシャール・ドーソンの遺体に近づくことはなかった。
彼らの祖父の遺体近くに寄った者の中で、白銀貨を手にしていたもの、あるいは衣服の隠しに忍ばせていたものはいなかった。少なくとも、マルセルはみつけられなかった。
「マルセル、それは間違いないんだな?」
「少なくとも僕が見た限りは」
マルセルが父の問いに答えると、すかさず次兄が口を挟む。
「じゃ、見落としたのかもしれないだろ」
「マルセルが見落とす?あの距離で?まずないだろ」
ジョエルの混ぜ返しを、間髪入れずにサミュエルが否定する。
「あの場に白銀貨を持つ者はいなかった。よし、続けろ」
ドーソン侯爵が先を促すと、マルセルは次兄の顔をちらりと伺った。
次兄はいくらか不満げではあるが、それでも小さく頷いたのを確認し、マルセルは既に話した内容を繰り返した。
「ラぺルピンに意識を向けたのは五人。うち、三人はそこそこのご婦人で。残りは、ヤノーラ伯爵と、エリオス。ラインバッハ伯爵令息だ」
「ヤノーラ伯は服飾を中心とした商会を持っているな」
長兄の言葉に反応するようにマルセルは言葉を続ける。
「そうなんだ。ヤノーラ伯爵は『いいものを見た』って反応で」
「エリオスは?」
次兄が焦れるように被せて問うてくる。
マルセルは少し迷った。
「エリオスの反応はちょっと複雑なんだ」
マルセルは上手く言語化できず、頭を小さく振った。
父と兄たちはマルセルの言葉が続くのを待った。
少しの沈黙の後、マルセルは口を開いた。
「最初は、こう、目だけで肯定するような……そう、確かめたって感じだったんだけど、それはほんの一瞬で。直ぐに驚いてたんだ」
「肯定と驚き?」
マルセルの言葉を嫡男サミュエルが繰り返した。
侯爵は不味いものでも食べたかのように不愉快そうに眉間を寄せ、ジョエルは静かに目を閉じていた。
四人の間に沈黙が流れる。
「サイラスのリストにヤノーラの名前はなかった。そして、ラインバッハの名前はあった」
沈黙を破ったのはサミュエルだった。
祖父の専属執事が作成したリストは、件の手紙に書かれていた夜会に参加した若いご令嬢をまとめたものだ。
手紙が届いて早々に作成されたリストを眺めることは、この七ヶ月間のサミュエルの日課だった。
自分より10才ほど年若いご令嬢達は世代も違う。
既に結婚している自分には縁のない存在と思っていたため、それまでほとんど知らなかったが、今なら名前と容姿の特徴を諳じられるほどに詳しくなった。
「エリオスには妹がいる」
ジョエルが補足する。騎士団に所属するジョエルは、祖父が目をかけた存在としてエリオスを知っているし、意識していた。
ラインバッハ伯爵家の嫡男であるエリオスには婚約者がいない。20才を過ぎた伯爵家の嫡男としては珍しい。そしてそのことをよく同僚にからかわれているのを知っている。曰く、妹を溺愛しすぎだから、と。
「そう。エリオスの妹が手紙の主である可能性はある。でも、確証はない。事実は、エリオスがピンに反応した。それだけだよ」
兄二人の言葉を受け、マルセルが結論を口にする。
「妙な反応、だろう?」
マルセルの言葉をサミュエルが補足訂正する。その言葉にジョエルも頷く。侯爵の寄せられた眉間に走る縦皺が深くなった。
「ピンは回収したか?」
侯爵はサミュエルが頷くのを確認すると、言葉を続けた。
「マルセルの目が信用できることはお前たちも知ってるだろう。マルセルが『見た』なら、それは間違いのない事実だ。白銀貨を持つ者はいなかったし、ラインバッハ家の嫡男はピンに対して妙な反応をした。これが今、わかっている事実だ」
父侯爵は、今度はマルセルに鋭い視線を投げる。
マルセルはその視線の強さに一瞬の躊躇を見せたが、強く頷いた。
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