14)差し入れ1
ご覧いただき、ありがとうございます。
兄が仕事に復帰して以来、いつ帰ってきているのか、朝ご飯すら一緒に食べていない。
兄の顔を見なくなって四日目の今朝、リュカから「今日はお迎えに行きますね」と言われた。例の、差し入れをする日なのだろう。
私は、初めて兄の職場に行くことに少しだけ緊張をしながら、学園での一日を過ごした。
日に日に春が近づいているのを感じる。
ほんの少し前まで、終業後の空は薄暗くなっていたのに、今は、低くなった太陽が空を夕焼けに染める準備をしている。
いつもと同じ馬車が、馬車寄せに入り、止まった馬車からリュカが降りてきた。
普段は黒く見える髪が、太陽の光を反射させて青く光る。父や兄や、ジョシュアと同じラインの色だ。
そんなリュカに対して、あちこちから黄色い歓声があがる。
「さすがリュカ………」
周りに聞こえない程度の声が思わずこぼれた。
リュカの父の顔の美しさをそっくり受け継いだ幼馴染みは、昔も今も、ご令嬢方の初恋泥棒だ。
黙って立っていると、神の御使いか何かかと思うほどに美しい。
そんなリュカの突然の登場に、世間が騒ぐのもわかる。
私だって、リュカの容姿が特別美しいのはきっちり認識してる。
ただ、リュカはリュカだから。
「お嬢様、お待たせしました」
「待ってないわ、ありがとう」
迷いなく一直線に私の前にやってきたリュカは、よそいきの微笑みを浮かべ、流れるように私の鞄を受け取り、エスコートするための手を差し出す。
私がリュカの手に自分の手を預けると、先程よりも大きな、悲鳴のような声があちこちから上がる。
皆さん淑女の仮面が外れていますよ、と思いつつも、これもいつもの事だ。
リュカは兄の執事をしているので普段から頻繁に迎えにくるわけではないけれど、季節に数度くらいは仕事のついでがあるときに学園に迎えに来てくれる。
夜会のエスコートは兄に頼むことがほとんどだが、こうしたちょっとした場面でリュカにエスコートされるのは慣れたことだ。
あちこちから、良くも悪くもな声が聞こえるが、いちいち気にしていたら、それこそリュカの傍にはいられない。
馬車に乗ると、リュカは必ず私の隣、入り口側に座る。
本来なら、リュカは私の向かい側の椅子に座るのだろう。だけど、その席にリュカが座ることはない。
私がジョシュアを思い出して落ち着かなくなるから、いつだって私の隣の、顔の見えない席に座ってくれる。
今も、私とリュカの間には、差し入れが入ったバスケットが置かれている。
私はそれを椅子から自分の膝の上に移動させた。
「これ、中身は何?」
「甘くないケーキだそうです」
「甘くないケーキ。キッシュみたいな?」
「もっと、お腹にたまる感じの、パンみたいなものですかね」
「ふぅん。食べてみたいわ」
「夜ご飯に出してくれるそうですよ」
「そう。楽しみね。ねぇ、リュカ。夜ご飯一緒に食べてくれる?にぃさまいなくて、ずっと一人のご飯だもの」
「そうですね……エリオス様に聞いてみましょうか」
生まれたときから一緒にいるリュカは、兄の仕事を手伝うようになってから、私に対しても敬語で話してくる。
昔みたいに『マディ』と呼んでくれることもない。
それが少し寂しく思えるのは、我が儘なのだろうか。
友人は、私がリュカと婚約していないことに驚いている。それは私自身も実は驚いているというか困惑している。
幼い頃は『そう』なると当然のように思っていたし、学園に入った頃はいつ『そう』なるのかな?と思っていたし、今はもしや『そう』ならないのかしら?と思っている。だとしたら、私はライン領から出ていかなければならない。
リュカと一緒になれば、ライン領に居られる。
私は勝手に、自分がずっとライン領に居られるように、リュカと一緒になるのだと思い込んでいたのだろうか。
婚約者のいる友人は、相手の領地の事を勉強したりと、嫁いだ先の事を考えている。
私は、卒業後にどうしたいのか、それすら決まっていない。居心地のいいライン領に戻りたいと思うけれど、戻ってもどこかへ嫁ぐのなら、相応に準備をしないといけないし。かといって、嫁ぐ前にどこかに勤めに出る、というのも、考えたことがない。
卒業も近くなってきて、自分の将来について考えることが増えてきた。何一つはっきりしないけれど。
私はラインバッハの娘なので、いずれは嫁ぐものだと思っている。けれどこの話題については、誰も何も言わない。父も母も兄も。皆が一様に避けているようにすら思えてくる。
私は馬車の揺れに身体を預け、そんなことをつらつらと考えていた。
久しぶりにリュカと二人きりでいるからなのか、リュカの存在が近いのか遠いのかわからなくなっていた。
やはりリュカとは『そう』なれないのかしら。
「ねぇ、リュカ。にぃさまはご結婚のこと、何か考えているのかしら」
何の考えもなく、思わず口をついて出た。
しまった、と、思ったが出た言葉は覆せない。今のなかったことに、と言えば余計に妙な雰囲気になる。
手のひらにじわりと汗が広がる気がした。
動揺してる。
私はいたたまれない気持ちでリュカの反応を静かに待った。とても顔は見れないから、バスケットをそっと抱え直して手元を見ていた。
「うーーん、結婚ですか?」
リュカが少し迷うような声で答える。
私の、バスケットを抱える手に力が入る。
どんな答えが欲しいのか、リュカの答えに何て言ったらいいのか。緊張のあまり頭の中が真っ白になったようで、何もわからなくなっていた。
「……エリオス様は、モテますけどあれで理想が高すぎるんですよねぇ……」
あ、にぃさまの結婚の話になった。
私の言い方が言葉足らずだったから、誤解されたみたい。
だけど、むしろ良かった。
「にぃさま、理想がお高いの?」
兄の話題になったので、一気に緊張がほぐれた。
しかしにぃさま、そんなに選べるような立場でもあるまいに。
私は兄が妙にモテるのもあまり納得してないけれど。
「賢くて、気立てが良くて。あと、エリオス様の好みはおっとりしてる人なんだろうと思いますが……ライン領の領主夫人としては、奥方様があまりに理想的で。ああいう方はなかなかいらっしゃらないから」
母さまは、確かに賢いし心身ともに強い。なのに優しくもある。兄のことを母離れできてなくてキモい、とは切り捨てられない。
「学園でいなかったの?」
「そうですね……私が思うに、騎士科に転籍したのが良くなかったと思いますね。領地経営科になら女性が少しはいましたから、そこで縁を繋げたでしょうが……」
騎士科は人気はあるけれど、何と言うのか、見て楽しむだけ、という方が多いのよね。
「無駄モテってことね」
「無駄……まぁ、遊んでいるわけでもありませんし、モテるのは一般的に見て、悪くないと思われるわけですから、良いご令嬢とのお話が出たときに相手に多少なりとも好印象かと……」
リュカが兄を庇うように言う。
「ふーん。賢くて気立てが良くて……私のお友だち、皆そうよ」
「研究とかお好きな方がいいですね」
「それ、にぃさまより父さまと話が合うやつよ」
「あ、それくらいの方が、むしろ。どなたかいればご紹介いただきたいくらいですよ」
「うーーーーん………」
頭の中であの子は婚約してる、あの子は家督を継ぐ、などとやっていたら、馬車がゆっくりと速度を下げ、停まった。
行き場のない話題と悩みから解放されたようで、私は小さく息を吐いた。
「着きましたね」
リュカがそう言って私の膝からバスケットを取り、開いた扉から降りた。
扉のそばから手を差し出され、その手を取って馬車から降りる。
においがする。
けれど、このにおいの主はすぐ近くにいる、知ってるあの方だ。
どこかへ移動の途中なのだろうか、何人かと一緒にいらしたが、こちらに気づかれたようで、足を止められた。
「あれ、マディちゃん、どうしたの?」
隣に立つリュカが一歩前に出て、私をその背に庇う。
あまりにも自然なその動作に安心する。
「ラインバッハ伯爵令嬢とお呼びください。そう申し上げたはずです、中隊長殿」
「お固いね、執事殿は」
へらりと笑うシャルル様は相変わらずお元気そうで、相変わらずあのにおいがした。
続きは、今週中に投稿できればと思います。
よろしくお願いします。




