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01)白銀貨の手紙

御覧いただきありがとうございます。

本日二話目の投稿になります

 その封筒には、灰色の封蝋が押されていた。


 訃報を告げる印に、ラインバッハ伯爵家嫡男のエリオスは、微かに眉根を寄せて、不機嫌な表情を見せた。が、それも一瞬のことだ。中身にさっと目を走らせ、小さくため息をついた。


「ドーソン前侯爵がお亡くなりになった。父上には早馬を出して伝えて。お別れの儀は僕が代理で出るから。三日後の午後だ。花を用意して……そうだな、あまり大きくないものを」


 王城から帰宅し、椅子に座る間もなく渡された封筒に書状をしまい、それを執事の手元に戻すと共に端的に指示をする。執事は心得たとばかりに軽く一礼すると、執務室を辞した。エリオスは窓枠に身体を預けるようにもたれ、窓の外に視線をうつす。庭木の春告げ花の蕾が膨らんでいる様子が月明かりでもわかる。もう一月もすれば春になるだろうか。


「七月か。もったほう、なのかな」


 声に出すつもりはなかったが、思わず音を伴ってしまった。


 ドーソン前侯爵は、先の大戦で武勇を奮った武人だ。五年前までは学園の武術特別顧問を務めていたため、エリオス世代の男性陣の間でも有名だ。かくいう自分も、何度か話す機会があったが、英雄と話している、という事実に緊張したのを覚えている。


「にぃさま……」


 少し開けられた扉の向こうから、控えめなノックと共に、妹の弱々しい声が聞こえた。


「マデレーナ……リュカに聞いたのか」


 優秀な執事は、自分が指示しなくとも『結果報告』をしたのだろう。妹は扉の前から動こうとしない。

 エリオスはさして広くない執務室の窓側から入り口へと移動し、扉を開けて妹を室内へ招き入れる。


「わたくしが……もっと早く気づいていれば……」


 妹は部屋に入ってからも扉の近くからあまり動かず、俯いて絞り出すように呟いた。ポタリポタリと雫がこぼれ、絨毯に吸われていく。


「何度も言うけど、それは違うよ。マデレーナ、思い上がってはいけない。確かにマデレーナは天使のように愛らしいけれど、神じゃないんだ。ただ、人より早く知ってしまう、それだけなんだよ」


 エリオスは平均より高い身を屈め、俯く妹の顔を覗きこむ。慣れたものなのか、瞼を擦って腫らせないよう、涙をまっすぐ落下させている。パチパチと何度も激しく瞬きをするのは、溢れる涙を飛ばしたいのか。しかしあまりうまくいっていないようだ。

 涙が止まらず、次々に絨毯へ吸われていく。


「折角の可愛い顔が台無しだよ、マデレーナ、鼻を溢す前にこっちにおいで。僕も疲れてるから座りたい」


 エリオスは自身のトラウザーズのポケットからハンカチを取り、妹の手に握らせると、そのまま腕に手を添え、反対の手で背中をささえるようにして執務室のソファへ座らせると、自分もその隣に腰を下ろした。

 妹も少しは気が落ち着いたのか、指摘されて鼻問題に気づいたのか、エリオスから手渡されたハンカチで鼻をかんだ。想定外の、わりと豪快な音がする。……まぁ、淑女的な何かについては片目を瞑ろう。そして、ハンカチは廃棄だな、と、エリオスは寛容な心で妹を慰めることに専念する。


「閣下の孫が、僕の上司の同級生の部下でね」

「わりと遠いわね……」


 ズッズッと、ハンカチを鼻にあててすすりながらでも妹の相槌の切れはまぁまぁで、エリオスは内心安堵する。


「うん、直接は関係ないし、文官と武官で仕事の関わりも薄いからね」

「……閣下のお孫さん、文官なの?」


 きちんと話を聞いて、反応がある。今日は大丈夫そうだ。


「そうなんだ、学園の頃は随分と気にしてたけど、武芸は苦手みたいでね」

「………学園の知り合いだったの?」

「三つ上の先輩」

「……三つだと、あまり知らない?」

「同班の先輩だから、それなりに親しいよ」

「にぃさま、普通はそっちの繋がりを言うものよ」

「うん、調子出てきたね。泣き止んだ」

「あ………」


 妹の目から涙の洪水と鼻の非淑女的ノイズが落ち着き、ほっとする。

 と、同時に開いたままの扉がノックされ、返事を待たずして執事がワゴンを押して入室してきた。


 エリオスとは乳兄弟だという気安さもあるが、リュカはマデレーナの前では執事然とした雰囲気をわざと崩し、幼馴染みの顔を見せる。

 自分もそうだが、リュカにとっても、マデレーナはいつまでも《小さなマディ》のままなのだろうな、と、エリオスはいつもは飄々としている執事の数少ない弱点である妹の様子をうかがった。

 その視線はワゴンに向けられている。目が釘付けで、少し表情も明るくなった。


 ワゴンには、マデレーナが好きな赤や紫の数種類のベリーとクリームの、どちらもたっぷり乗った色鮮やかなケーキがワゴンに彩りを添えている。


 リュカはマデレーナの事に関しては手を抜かずに最適解を導く。


 ドーソン家からの訃報を受けて料理人に指示を出して準備していたのだろう。流石である。が、その手回しの良さ。マデレーナに対するリュカの底無しの気合いを感じ、少しだけ怯むが見なかったことにする。


「リュカ、今からが僕の見せ場なのに邪魔しないでよ」

「英雄閣下から剣筋がいいと声をかけられて調子に乗って領地経営科から騎士科へ転科された話でしょうか?それとも騎士科の二年生大会で優勝したからと調子に乗ってたら全体大会で上級生()にコテンパンにのされた話でしょうか?」


 滑らかに口を動かしながらも、執事の手は粛々と動き、テーブルにお茶とケーキが並べられる。

 テーブルを整えると湯気の立つ手巾を妹に手渡し、目元と頬を拭うように自身の目元を指差している。実に手際がいい。


「……にぃさま、跡取りなのに騎士科なんて何でだろうと思ったら、転科してたの……」


 目元に温かい手巾を当て、ほぅっと軽いため息混じりに、妹が問う。

 その様子から、もう大丈夫だろう、と、エリオスはこっそり安堵した。

 今回は英雄とはいえ、70半ば過ぎで細君を既に見送っているご高齢の方だから、気持ちの負担が少なかったのだろう。

 妹の様子を観察しながら、エリオスはようやく人心地ついた気分になる。


「騎士団には騎士科を出ていないと不利だからね」


 そういって、エリオスは用意された紅茶を一口飲む。すこし香ばしい蒸留酒の香りが鼻腔に広がり、自身の気持ちも落ち着いた。


「ご嫡男が領地経営科を卒業しないなんて、ちょっとした騒動でしたよね」


 当時を思い出すようにリュカはエリオスに皮肉げな顔を見せる。

 エリオスにとって、物心ついたときから常に傍にいる一つ年上の乳兄弟は、彼が学園を卒業するまでは偉大なる目標でもあった。

 分家の子爵家の跡取りでもあるが、彼の家は代々、エリオスの家を守ってきた家系だ。学園を卒業したリュカは、慣例通りにエリオスの腹心として専属執事の任についた。執事とは言うが、護衛から相談役までこなす。それでも学園生の頃のように気安い態度を見せることは少なくなった。


 だが、マデレーナの前では別だ。

 マデレーナにとっては『兄の執事』ではなく『幼馴染みのリュカ兄』の雰囲気を滲ませる。


「あら、今は時々いるみたいよ?」

「エリオス様が先駆者ですよ。開拓者です。素晴らしいですね」


 執事の軽口が引き続き滑らかだ。お陰で妹から完全に涙の気配が消えた。


 話していて落ち着いたのだろう。妹はお茶を一口飲み、ゆっくり尋ねた。


「閣下のお孫さんがどうしたの?」

「あぁ、うん。手紙が来たからって、残業免除になってたらしい」

「え?どういうこと?」


 まだ学生である妹の世界は狭い。

 正式な社交界デビューから二年半しかたっていないため、大きな社交の場に出ても同世代の友人と過ごすことが多い様子だ。

 また、妹はどちらかと言えば大人しい性格で、両親が領地にいることもあり、年上の世代との交流は少ない。どうしても話題や知識は片寄ってしまうが、エリオスはそれでいいと思っている。

 無理をせず、のんびりと好きなように過ごせばいい、と。

 何だかんだでエリオスは妹にとんと甘いのだ。もちろん自覚はある。


「最近、文官では、身内に白銀貨の手紙が届いたら、残業免除や休暇が通りやすくなるんだって」

「白銀貨の手紙……そう言われてるの?」


 妹は初めて聞いたのだろう。自分が書いている匿名の手紙が噂になっていることをようやく知ったみたいだ。


「リュカのお手柄だな。変な言われ方するよりずっといい」


 手紙に白銀貨を割り符として入れるのは執事の案だった。一通目からずっと入れている。


「記号的で分かりやすいですからね。ちょっとした信用にもなりますし」

「小金貨出せって言われなくてよかったよ」

「少し迷ったんですけどね、まぁ白銀貨でも十分かな?って」


 小金貨は白銀貨の十倍の価値だ。流石に経理処理上、誤魔化すのが難しい。冗談めかす執事を軽く睨み付けるが、相手は知らん顔だ。


「ともかく、そんなわけで、閣下のお孫さんは、ここ半年くらいは残業もせずに家でゆっくり過ごせたらしいよ。まぁ、成人した男孫が出来ることなんて大してないだろうけど、そんな感じだ」


 エリオス自身の祖父母はもう10年以上前に亡くなっている。祖父と今の自分が一緒に過ごすことはなかなか想像しにくい。妹ならまだまだ甘えて可愛がられるのが想像できるのだが。

 なので、定時で帰宅した先輩がドーソン前侯爵と穏やかな一時を過ごしたかは、わからない。期待込みだ。


「閣下には僕もお世話になったからね、お別れの儀は僕が出るから。安心して任せなさい。マデレーナは、その甘いヤツを食べて、元気を出して、明日もちゃんと学校に行くように」


 エリオスがぽんぽんと妹の頭に触れると、それに答えるように、こくり、こくりと頷いた。



続きは明日の午前7時を予定しています。よろしくお願いします。

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