09)刺繍2
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残酷な場面の具体的な描写があります。苦手な方はご注意ください。
父が領地からの緊急で呼ばれ、急ぎ王都から領地に帰るところを暗殺集団に狙われた。
その規模が大きかったことから、相手は王家ではないか、というのが父たちの推察だが、実際のところは証拠もないため何もわからなかった。そう聞いている。
エリオスは母親とリュカ、リュカの母親である乳母と供に王都に居た。なのでジョシュアが亡くなった現場にはいなかった。
父も多くを話さなかったので、その状況については詳しくは知らなかった。
エリオスが知っているのは、身体がメッタ刺しにされ、背も腹も切り刻まれた血まみれのジョシュアが、壊れた馬車の中、座席にもたれかかり静かに微笑んでいる姿だ。
あまりにも美しく穏やかな表情が強烈な印象となっているので、その首から下の惨状の記憶があやふやなほどだ。
そして、当時のマデレーナは、ジョシュアを失ったショックのためか、一ヶ月ほど寝込んでいて、誰ともほとんど話せない状態だったと記憶している。
当時は屋敷全体が喪失感に包まれて、誰もが現実を受け入れるのに多くの時間をかけていた。
それほどに、ジョシュアの死は──マデレーナによって予知されていたものの──大きな衝撃だった。
「………ジョシュアはね……何度も切られて……何度もお腹や背中から血が吹き出て……それでもいつまでも……敵が全員いなくなるまで……最後まで、私たちを守って戦ってくれたのよ……」
マデレーナの閉じた瞼の縁に涙の粒が膨らみ、そのまま頬を転がる。
一度溢れた涙は、ひとつ、またひとつと止めどなく零れ、頬に幾筋もの跡を残す。
エリオスはマデレーナの隣に座って涙を拭うことも、声をかけることもできず、ただ、向かい合うソファに腰を下ろしたまま、マデレーナの言葉を聞くことしかできなかった。
「ジョシュアが守ってくれるって言うからね………お父さまはダメだって言ったけど………私、馬車の窓からこっそりと見てたのよ………ずっと………ずっと見てたわ」
エリオスはこらえきれずに「ヒュッ」と喉をならして息を飲んでしまった。
七歳になる前の少女が、大好きなジョシュアが何度も切られるのを見ていたのか。
そんなことがあったなんて、知らなかった。
当時のマデレーナの悲しみと恐怖を思い、エリオスは胸が苦しくなるような心地がした。
「ジョシュアは血だらけで……立っていることができないくらいで……何度もふらり、ふらりと揺れて……今にも崩れそうで……」
マデレーナの頭が微かに左右に揺れる。
閉じた瞼の裏側で、その時のジョシュアの姿を見ているのだろうか。
エリオスは相づちも打てず、静かに聞いていることしかできなかった。
ただ聞いているだけなのに、苦しくて苦しくて、強く拳を握った。食い込む爪の痛みが、叫びたい気持ちを抑えてくれる。
「私は、ジョシュアのところへすぐにでも行きたかったけど………約束したから………ジョシュアが帰ってくるまで……もう一度……呼んでくれるまで……扉を開けないって………約束したから……」
マデレーナの口許が微笑んだ。
エリオスにはそう見えた。
「ジョシュアは、ちゃんと戻ってきたのよ………でも、その顔は、見たこともないくらいに、雪のように白かったわ………」
マデレーナはそう言うと、ひとつ、大きく息を吐いた。
眉はさらに強く寄せられ、眉間や瞼にいくつもの皺をつくる。
エリオスの眉間にも同じように皺が寄っているはずだ。
「最後の刺繍はね、ジョシュアが自分で切ったのよ……ジョシュアの髪を……刺繍をした布で束ねていたのね……それを、自分で……私たちを逃がしてからね……ジョシュアが握ってた……私たちのために………」
マデレーナの閉ざされたまぶたの縁から頬へと、静かに零れる涙は止まることがなかった。
エリオスはマデレーナにかけるべき言葉が浮かばず、ただ、マデレーナのことを見ているだけだった。
「ジョシュアを置いて逃げるようにって……最後に、そう言ってね………馬車も壊されて馬もなくなっていて、自分達で走って逃げるしかなくてね………』
まだ七歳の小さな妹が、父と二人で走る姿を思う。
きっと泣きながら走ったのだろう。
「お父さまもね、とても泣いていらしたわ。自分に力がないからジョシュアを置いていくしかないって………」
近くの村まで走った二人は、そのまま父が駆る馬に二人で乗り、領の端の砦まで逃げ込んだ。
父はマデレーナを砦に残すと、そこいたライン領騎士団の半数を率い、休むことなく夜を越えてジョシュアの元まで引き返したという。
砦からの早馬の知らせを受けて、エリオスとリュカが侍従の馬に乗せられ、意外にも馬を巧みに操るマーゴと共に馬を飛ばしてジョシュアと父のいる場所に着いたのは、それより更に二日経っていた。
領に運ばれる前の、静かに馬車の中に佇むジョシュアを見たのはその時だ。
マーゴもリュカも、とても静かにジョシュアの姿を受け入れていた。
死者が朽ちるのを遅らせるという花を燃やした香りが辺り一面に充満していて、否が応でもその死をつきつけられた。
マーゴが、ジョシュアの肩に流れている髪をそっと撫で、ジョシュアの掌の中にある布をそっと撫で、
小さな声で祈りと感謝を贈ったのを覚えている。
誰に対する感謝なのか、と、思ったからだ。
ジョシュアに対しての言葉には思えなかったから。
あれは、マデレーナに対しての感謝だったのだろうか。
「力が足りないのは私もそうよ。ラインの娘だ、聖女の末裔だって………でも、ジョシュアを救えなかったのよ。末裔は所詮、末裔。聖女じゃないの」
いつのまにか、頬を伝う涙が止まっていた。
マデレーナは目を閉じたまま、その掌で両頬をそっと拭った。
「マディ……マデレーナ……その……お前の力は……」
聖女の力なのか。そう言いかけて、エリオスは言葉を飲んだ。
聞くまでもなく、わかりきっているじゃないか。
「聖女の末裔に顕れる力ってのは……聖女の欠片みたいなものでね………ほら、他の人のは『賢者の欠片』って言うでしょ。それと一緒よ……私は死ぬことと、熱がわかるのよね……あと、加護紋をちょっと強くできる………人によって違うんだけど……」
マデレーナの眉間から力が抜けて緩む。
ちょっとどころではない力を持つ妹は、その力の危うさも苦しいほどに理解している。
だから今まで言えなかったのだろう。
しかし、加護は加護だ。それで救われることもきっとある。ジョシュアだってきっと。
「前の末裔は……ジョシュアのおばあちゃんね、その方は、加護紋はほんのちょっと強くできたのと、病気が見つけられたらしいわ。ラインのお祖母さまは………それをご存じだったから、わたしには死のにおいがわかるんだろうって、最初に気づかれたのよ」
そう言うと、マデレーナはようやく目を開けた。
その目はまっすぐにエリオスを見つめている。
ラインの色と言われる藍色の瞳は、涙の膜を張って揺れている。
「ラインのお祖母さまも、南のお祖父さまも、お祖母さまも。ジョンも、ジョシュアも。みんな私のせいで自分が遠くない時期に死ぬのをわかってて、そんな毎日を過ごしたのよ」
マデレーナは再び、ふうっと、深く息をついた。
瞳が揺れ、膜を張っていた涙がぽろりと零れた。
「にぃさまや、リュカがこの力を認めてくれてるのは知ってる。手紙も………お役に立つこともあるのよね?そう信じてるわ。でも………」
マデレーナが言葉を止め、困ったように、眉を斜めにして笑う。下手な作り笑いだ。
エリオスは、胸が突かれるような痛みを覚えた。見ているこちらが痛くなるような、そんな、笑っていない笑顔。
マデレーナがこんな表情をするなんて、思ってもいなかったから。
「これって本当に聖女の欠片なの?私にはまるで悪魔の呪いみたいに思えるわ」
エリオスは、初めて妹の痛みに触れた気がした。
続きは、今週中に投稿できればと思います。
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