殺された記憶、ループする人生に意味はあるのか?
愚かな男がいた。
愚かな男は思い込みで婚約者を殺した。
その男がループする人生に意味はあるのか。
ねぇ?わかってるのかしら?
私は前の時に貴方に殺されたの。
だから私は今世では貴方に近づきもしなかったのに、何故貴方はわざわざ私に近付いてしかも私の幸せを壊そうとしたのかしら?
しかも今回は
『生きているからいいだろう、謝るから許して欲しい。』
なんて言われても許せるはずないと思わない?
何故上から目線で許しを強要するの?
そんな権利、貴方如きにないと思わない?
だって前世での絶望も悲しみも苦しみも私から簡単に消え去りはしないの。
むしろ貴方が近づけば近づくほどにその記憶は深く根付いて行くのよ。
出来るなら私だって貴方の存在ごと、いえ貴方を構成するものごと葬り去りたいのよ、記憶からもこの世からも。
それには貴方の大事な人も含まれるわね、例えば家族とか?
ふふふ、さすがにそこまではしないわ。
貴方をこの世に生んだ貴方のご両親にも多少の恨みはあるけれども、別に貴方のご両親が特別に悪い訳ではないもの。
だって悪いのは貴方だもの。
ご両親には生んだ責任はあるってだけね。
それほどまでのことを前世の貴方は仕出かしたのよ。
だから忘れたいの貴方のことを。
私の気持ちがわからないと言うなら、貴方も一度殺されてみたら良いわ。
それでも相手を許せると言うなら私も貴方を許しましょう。如何かしら?
だから死んでくださいな。
多分昔は愛していた貴方。
そこで目が覚めた。
恐ろしい悪夢を見た。
ある女性に殺される夢だった。
夢の中で私はある女性に婚約を迫っていた。
夢の中の私には前世というものの記憶があり、その相手の女性は前世では自分が憎んで殺してしまった相手だった。
しかも憎んだ理由は、前世の私を好いた別の女性の策略であり、彼女を殺した後で事実を知って悲観し、陥れた女性を殺して自分も自害したというものだった。
そして自害した後に何故か奇跡が起こって、同じ人生をやり直すことになったのだ。
彼女を殺す3年前、それは彼女との婚約の話が持ち上がった時まで時が戻ったのだ。
だが前世と異なり彼女との婚約は何故か立ち消え、彼女は別の人と婚約したのだ。
あんなに私を愛してくれていた彼女を諦めきれず、先にとりあえず彼女を殺す原因となった女を壊し、それ以外の憂いをも排除して再度熱心にアプローチをした。
彼女の新しい婚約者は自分と身分はほぼ変わらず、能力や将来性は自分の方が高いくらいたど思ったので、すげ替わることは可能だと考えたからだ。
外堀を埋めつつ彼女に接近していったところである日彼女の屋敷に招かれた。
これはとうとうその時が来たと喜び勇んで行ったのだが、気がつくと地下牢のようなところに入れられていた。
何故だか魔封じの首輪を着けられて。
「何故こんなことをするのか!?」
と強く諌めるが彼女の淑女の微笑みが崩れることはなく、むしろ何故、相思相愛の婚約者がいる自分に無駄に迷惑なアプローチをしてくるのか。
私は貴方に簡単に靡く様に尻軽ではないのに。
貴方の迷惑な態度に嫌気がさして敢えて近づかないようにしているのに。
何故なのか馬鹿なのか?と逆に非難される。
「私の方が貴女を愛してるし、貴女も私を愛しているだろう!」
と言えば、今度は声を出して笑われる始末。
常に淑女然とした彼女から発せられたと思えない高らかで侮蔑を含んだ嘲笑に疑問と共に、なんとも言えない焦りと不安が湧いてくる。
「何がおかしいと言うのだ!」
そう叫べば一頻り笑ったところで彼女はぴたりと止まり、今度はその美しいエメラルドの瞳に憎悪を纏って見据えてきた。
そう、彼女にも記憶あったのだ。
私に冤罪で殺された記憶が。
だから今世では私を避けたし、関わらないようにしたのに、のこのこと私から擦り寄り、しかも今の彼女の婚約者を追い落とそうとまでしたのだ。
またも私の幸せを奪うのか!?と怒り、私を憎悪したのだった。
それなのに私は自分が彼女に愛されていると思い込み、傍若無人に振る舞った。
そのせいで自分は地下牢に入れられたのだ。
前世では私は伯爵家出身ながら大きな手柄をあげて、王家からの覚えもめでたい者だった。
そのため自分より身分の高い侯爵家の令嬢だった彼女との婚約は何の障害もなく、むしろ私が優遇される形の婚約だった。
だが今世では何故かその功績を積む機会が存在せず、ただの伯爵令息でしかない。
それなのに婚約者のいる身分が上の令嬢に付き纏い、彼女の婚約を故意に壊そうとした不届き者でしかなかったのだ。
しかも殺された記憶を持つ彼女にとって私はただの殺人犯。
前世の好意は砕け散り、友好的な感情など微塵もない相手。
あの大人しかった彼女の性格が一変するくらいの絶望を味合わせた極悪人。それが私だ。
しかも私は手柄をあげないのであれば弱小伯爵家の次男でしかない。
侯爵家の中でも群を抜いて権力も財力も歴史もある彼女の家とは雲泥の差。
そんな格差の大きい相手に、前世の記憶から好き勝手した結果がこれだ。
みっともなく許しを乞い、命乞いもしたが聞き入れられず、侯爵家の拷問を受けて最終的には地下牢で亡くなった。
彼女には死ねと言われたが、流石に彼女から直接的に危害を加えられはしなかった。
元々彼女は大事に育てられた侯爵家の令嬢。
いくら死に戻ったとは言え、血生臭いことに然程免疫も経験もない。
そんな彼女が直接手を下すのを周りが許すはずもなく、彼女とてしたい筈もない。
それほどの情も既に私相手にはない。
だが直接危害を加えなくとも命令一つで、どうにでもできてしまう。
彼女の侯爵家も、前世の私ならいざ知らず、今世の私には侮辱罪などの罪を問える立場であり、愛娘の大事な婚約を壊そうとした不届き者を処罰しても問題ないくらいに非は私の方にあった。
私は知らなかったのだが、今世の彼女の婚約には王家も関与していたのだ。
更に言うと彼女の婚約者は、身分は然程高くないが、少し遠縁にはなるものの隣国の公爵家の血まで引いていた。
今世では私は立場が弱かった。
だからこそ私は簡単に殺されたのだ。
実家では大事にされていたが、嫡男ではなく、様々な理由から私を助けることは難しかった。
そんな死を経て、悪夢として前の人生を知って、私は今がまた同じ伯爵家の令息として生きていることを理解した。
そしてあの悪夢は今の私の“前世”で、その悪夢の中で前世と言っていたのが“前々世”であったこと。
恐ろしかった。
もう同じような目に二度と遭いたくなかった。
彼女の言う通りだ。
自分が殺された記憶があってその相手を許せる事なんてそう簡単には出来ない。
怒り、悲しみ、苦しみ、憎しみがこの身を取り巻き、そして更に殺された時の記憶が恐怖心を蘇らせ、とてもじゃないがまともな精神状態を保ってられない。
相手に好意を持っていたら尚更に裏切られた気持ちが強くなる。
あんな拷問はもう二度と受けたくはない。
愛していた人に死を望まれる人生なんて二度と送りたくない。
誰かに死ねと言われるのはこんなにも心を抉られるものなのか。
しかも前世の私と違って、彼女は直接に私から危害を加えられていたのだ。
そんな相手に近づきたいと誰が思うのだろうか?
彼女は賢明だったので私には近づかず、然りとて復讐するために策を巡らした訳ではなかった。
復讐に身を焦がすことよりも、ただ忘れることを心がけていた。
にも関わらず私はのこのこと無遠慮に近づき、彼女の幸せをまたも壊そうとした。
彼女の逆鱗に触れ、そして私の愚かさは侯爵家も王家も隣国をも巻き込んだ。
実家も私のせいで醜聞に巻き込まれるのを恐れて、私を差し出すしかなかった。
王家と隣国が関わっているのだ。
内々に処理できるのであれば、首を縦に振るしかない。
死ぬ直前に、私の処断を聞いた母が泣き崩れて身体を壊してしまったと聞いた。
父も憔悴して兄に家督を譲って、母と一緒に領地で静養することになったそうだ。
兄も兄で私のせいで肩身が狭い思いをしているらしく、私の言動で家族を不幸にしてしまったことを心底後悔した。
私の場合は自業自得だが、前々世の彼女は冤罪だった。
前々世で彼女を陥れた女性も、私が彼女を殺すとは思っていなかった。
しかもやり直した前世では、その原因となった女性を“何もしていない段階”で早々に“壊した”のだから、私は本当に自分勝手で罪深い。
そして悪夢として前世と前々世を知った私は、夢を見た後に精神を病み、最終的に発狂した。
何故同じ人生を何度も繰り返しているのかわからない。
だが、これ以上生きているのが怖かった。
今世も弱小伯爵家の次男で特筆すべきことがない自分には、特別な後ろ盾などなく、前々世で自分が功績をあげた事柄は今世では影も形もなかった。
恐怖と絶望が脳裏を巡り、最早、死を望むことが私の生きる糧にすらなっていた。
それほどまでに強烈な事だったのだ、自分が嬲り殺されたという事実が。
ただ死んだだけではないと言う記憶が。
悪夢の後から泣き叫び赦しを乞う私は周りにはとても奇妙に映っただろう。
それほどまでに錯乱し憔悴していく哀れなまでの私の姿に対して、両親は不憫に思ったのか領地の片隅に家を建ててそこで暮らす様に計らってくれた。
家のために何にもならない私に愛情をかけてくれた両親と兄には感謝してもしきれない。
最低限の使用人がいるその小さな家で慎ましやかに穏やかに過ごしているうちに、いつしか私の心も穏やかになっていった。
最初は何も出来なかったくらいにおかしくなっていたが、少しずつ人間としての生活を取り戻していった。
未だに悪夢を見てしまう時もあるが、少しずつ消化されていった。
もう彼女の顔すら朧げになり、声もとうに忘れたからかもしれない。
曖昧な記憶に変化するくらいの時間が経過して漸く私は解放された。
その頃には老いて自分の見た目もだいぶ変化していたので、悪夢は観劇をみる様な気持ちになっていた。
時折、強い衝撃を受ける様な映像が脳裏に宿る時もあったが。
何故こんな記憶を持って同じ人生を歩むことになったのかはわからない。
今世ではそのレールから早々に離脱したけれど。
記憶がないままの方が幸せだっただろうが、私には必要だったのかもしれない。
だって前世も前々世も私は反省もない愚か者として早くに死んだのだから。
今世は悔い改めるための時間だったのかもしれない。
もし可能なら次は記憶がない状態でもっと平穏な人生を歩みたいものだ。
出来れば過去の私が不幸にした人々に幸せが訪れる様な。
殺し殺された罪深い記憶を持つ私は、そう願って永い眠りについた。
少しでも楽しんでもらえたなら嬉しいです。