③ 本音
俺は改めて、自分自身に気合いを入れた。
そっと背後から、北川の首に両腕を巻きつけると、持ち上げるようにクッと締め付けた。
格闘技の試合で使われる、スリーパーホールドというやつだ。
以前、北川とプロレスごっこをした時、この技で気絶させた事がある。
北川は、俺の腕を掴んで、ぐえぇぇと悲痛な声を漏らした。
そんな北川を見て、刑事が心配する。
「どうした? 大丈夫かね? とんでもない顔をしてるけど……」
やがて北川は、ぐったりした。
いわゆる〈落ちた〉というやつだ。
俺は両手で、気絶した北川の目を開かせ、口も動かせた。
北川が喋っているように見せるためだ。
『大丈夫です。何でもないです』
「急に声が変わったね。凄いハスキーなんだけど」
しまった。
北川に似せようと、低い声を出したつもりが、しゃがれた声になってしまった。
『いや、蜂が飛んできて、口の中に入ったんです。飲み込んでしまって、喉を痛めたんです』
焦った俺は、メチャクチャな言い訳をした。
「蜂が? それでさっき、苦しそうな顔してたのか。大丈夫かね?」
『大丈夫です。それより、僕が犯人です』
「は?」
『山崎を殺した犯人です』
「……どうしたんだね、急に」
『金を貸してくれない山崎に腹が立って、こっそり部屋に忍び込んで、包丁で刺したんです』
「君、自分が何を言ってるのか、分かってるのかね?」
『分かってます。すこぶる冷静沈着、清々しいほど意識がハッキリしてます』
「……お金を貸してくれないから、殺したの? そんなにお金に困ってたの?」
『俺、死ぬほどギャンブル好きなのに、死ぬほどギャンブル弱いんです。色んな人から金を借りまくっている、救いようのない男なんです。ケツを拭いた便所紙以下の人間なんです』
「いやいや、自分を卑下しすぎじゃないか?」
『いえ本当に、地球上で最低の生き物なんです。ゴミクズ野郎です。それに比べて、山崎は素晴らしい友人でした。お金は貸してくれませんでしたが、カッコよくて大らかで、聡明な人でした。そんな彼を殺してしまい、罪悪感に苦しんでいるんです』
刑事が首を捻る。
釈然としない様子だ。
「……でも君は山崎君が亡くなった時間、ネットカフェにいたじゃないか」
『あれは、アリバイ作りのための影武者です。知り合いに、俺のふりをしてもらったんです。ネットカフェの会員カードも、事前に渡してあるんです』
「えっと……じゃあ、君が犯人なんだね? 罪を認めるんだね?」
『もちろん! 今すぐ、逮捕して下さい、早く!』
「ちょっと、落ち着いて」
『時間がないんです! 早く俺をブタ箱に、ぶち込んで下さい! 無期懲役にして下さい!』
「本当に、どうしたの君? でもまあ、そこまで言うなら署に来てもらおうかな」
『はい! すぐ行きましょう、張り切って行きましょう!』
刑事が立ち上がった。
俺は急いで、意識のない北川の身体を持ち上げようとした。
刑事の後ろを歩くようにして、警察署まで運ばなくてはいけないからだ。
こいつは小柄だが、それでも五十キロはあるだろう。
うまく歩いているように運べるか、少し不安になった。
その時、ふとベンチの隅にある、マジックで書かれた落書きに目が行った。
俺がそれを見つめていると、刑事が、相変わらず腑に落ちない顔で訊いてきた。
「北川君、これが最後の確認だよ? 本当に君が、山崎君を殺したんだね? 絶対に間違いないんだね?」
俺は慌てて、北川の声を真似た。
『まち……』
あれ? 声が出ない。
……間違いありません。
そう言いたいのに、俺の口からは息が漏れるだけだった。
『ま……ち……』
あと少しで北川を犯人として連れて行けるのに、なぜだ? なぜ声が出ないんだ?
あれ? 涙が出てきたぞ。
なぜ俺は泣いているんだ?
……いや、本当は分かっている。
さっき、ベンチの落書きを見たからだ。
それは〈最高の友、YR&KN〉という、恥ずかしい文字だった。
YRは山崎遼馬、俺の事。
KNは北川直樹。
俺達が仲良くなった三年前に、二人で書いたものだ。
……確かに北川は最低、最悪の男だ。
だが思い返してみれば、北川と過ごした三年間は、楽しかった事も沢山あったではないか。
ふざけて自転車に二人乗りして、勢いあまって交番に突っ込んだ事もあった。
その時は警察官に怒られて大変だったが、まるでコントみたいだと、後になって二人で腹を抱えて笑った。
北川がコンビニで、熟女のエロ本を盗んだ事もあった。
逃げながら俺に渡すもんだから、二人揃って店員に追いかけられる羽目になった。
町内を駆け回りながら、俺達は一体何をやっているんだと、大笑いした。
あんなに笑ったのは、生まれて初めてだった。
あいつといると、毎日がスリルに満ちていた。
次は何をやらかすんだ? と、いつも期待していた。
本当に、馬鹿でどうしようもない奴だったが、最高に愉快な友だった。
……そうなんだ。
俺は今、やっと気付いた。
本当は北川を犯人にしたかったんじゃない。
恨みを晴らしたかったわけじゃない。
本当は……本当は……最後に北川に会いたかったんだ。
ただ、それだけだったんだ。
止めどなく、涙と鼻水が溢れた。
唇が小刻みに震える。
霊体なのに、胸が締め付けられるように痛い。
痛くて痛くて、堪らない。
北川との沢山の思い出が、次々に蘇るからだ。
しばらく感傷に浸っていると、刑事が怪訝な顔で問いかけてきた。
「どうしたんだ? 君が山崎君を殺したという事で、間違いないんだね?」
俺は涙を拭くと、息を整えて答えた。
『……すいません。ちょっと頭が混乱してしまって……。本当はやってないです。山崎を殺してません』
刑事は安心したように、表情を緩めた。
「まあ、そうだろうね。分かってたよ。君達は凄く仲が良かったみたいだからね。そんな大親友が急に亡くなったりしたら、ショックで気が動転するのも仕方がないさ」
『はい……あまりにも情けない事故死だったし。山崎が可哀想に思えて……すみません、お騒がせしました』
「いや、こちらも悪かったよ。まだ心の整理がついていない時に、色々と訊いてしまって。今日はもういいよ。また何かあったら、連絡するよ」
『はい……』
「では、失礼するよ。今日はありがとう」
そう言うと、刑事は行ってしまった。
俺は気絶した北川の身体をベンチに寝かせて、側に座り込んだ。
ふう……と深い息が出る。
すっかり力が抜けてしまった。
「山崎さん。お時間です」
いつの間にか、背後に渡辺さんがいた。
そうか、もう一時間が経ったのか。
俺は何も言わず立ち上がり、渡辺さんの顔を見て頷いた。
ほどなくして、白い光が降り注ぐ。
その光に包まれると、俺達の身体は浮き上がった。
あの世へと戻るのだろう。
ふと北川が「うぅ……」と唸りながら目覚めた。
「……あれ? 刑事は? どこ行った?」
何も知らない北川は、周りを見回している。
俺はクスッと笑った。
やがて北川は、ベンチの落書きに気付いたようだ。
しばらく凝視した後、震えた声を出した。
「山崎……なんでだよ……なんで死ぬんだよ。ピザトーストなんか食うなよ……バカ、マヌケ、でべそ、ワキガ!」
北川は、俺達が書いた落書きの文字を、何度も何度も殴りつけた。
やがて声を荒げて、叫び出した。
「山崎ぃぃぃぃ……お前しか友達と呼べる奴はいないんだよぉ! お前だけなんだよぉぉ! 俺を一人にするなよぉぉぉ! うっ、うっ、うううううう……こんな事になるなら……もっと優しくしてやれば良かったぁぁぁぁ……もっと大切にしてやれば良かったぁぁぁぁぁぁ……ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ——————」
それが本音か。
ありがとう、北川。
その言葉を聴けただけで、もう充分だ。
再び胸が熱くなり、涙が溢れた。
俺は思わず、上空から叫んだ。
「北川っ! ありがとうっ! 元気でなっ!」
「えっ? 山崎?」
俺の声が聴こえたのだろう。
北川はキョロキョロと、辺りを見回した。
そんな北川を見下ろしながら、さらに俺は天高く昇っていく。
もう北川の姿は、米粒くらいに小さくなった。
「じゃあな……悪友」と、俺は涙を拭いて呟いた。
つづく……