芸術はオクブカイナー
とある新興貴族の屋敷に、ある絵が納品された。
まさかその絵が、後々その貴族に代々受け継がれる家宝になるとは、その時は誰も思わなかった。
それほどに、その絵は不気味であった。
「ほう?なんだね、この血の海を描いたような絵は?
こんな気持ち悪い絵を入り口から見える場所に飾る君のセンスを疑うよ。」
平民時代に色んな意味でお世話になった子爵から貴族としては珍しい直球の嫌味をもらう。
つまりはこの子爵にとって新たに叙爵された名誉男爵を貴族として認めていない、といったアピールも兼ねた子爵がドヤ顔で放つ小粋(?)な嫌味も、戦場あがりのペンより剣、会話より恫喝に慣れ親しんだ名誉男爵には通じない。
なにせそんなことよりこの絵がダメな事にショックを受けているからだ。
貴族になったからといって、金銭的余裕があるわけではない。
叙爵された際に貰ったお金は、お金と一緒に貰った屋敷の整備とそれを管理してくれる使用人の雇用に半分以上溶けた。
そして「貴族になったからには芸術品も飾らなければ」という子爵のアリガタイオコトバに従い、150号?といわれるサイズの絵を流れの画家から買ったのだ。
有り金の殆どを費やして。
もちろん購入後に使用人に「これからどうやって生活するつもりか!」と怒られた。
名誉男爵は「貴方が安物を細々と飾るより高額なデカい物を一点飾る方がまだ見苦しくないと言った!」と反論すれば、「描いた者のサインもない絵に貴族が価値を見出すハズがないでしょう‼︎」と更に怒られた。
そして子爵の言葉である。
購入した経緯を正直に全部話せば「画家崩れがよくやる詐欺だ」と言うので名誉男爵は膝から崩れ落ちた。
子爵は崩れ落ちた名誉男爵をみて戸惑った。
戦場では後方物資管理の私と最前線臨時指揮官の彼とは顔を合わせば怒鳴り合いが挨拶だった。
「酒だ食料だと贅沢が過ぎる‼︎」と怒鳴れば「後方は数字ばかり見て現実を見ていない‼︎」と怒鳴り返された。
前の指揮官はまだ話が通じたのに何故に指揮官が一番最初に殉職したのだ…⁉︎と怒鳴り合いの後によく地団駄を踏んだものだ。
戦争が終わり、平和な世に血生臭い剣は不要で、この崩れ落ちたまま動かない男をみれば、なんとも言いがたい感情が生まれる。
自分は産まれながらの貴族で、戦場とは言えない後方で上司の嫡男のお世話と実務ばかりで剣を血で濡らした事もない。
この男の進言(?)をこっそり取り入れて窮地を脱した事もあった。
祖国の為に最前線で奮戦し平民から貴族に取り立てられるほどの武功を示した男の後頭部をジッと見つめる。
…そういえば「戦場では仲が良かったらしいな。コヤツの面倒はお前が見てやれ」と上司に無茶振りを言われていたな。
「絵は高い額縁を買ってやる。それでなんとか観れるようになるだろう。」
「金は大丈夫か?使用人の給料は大丈夫?お前は?狩りが出来ればなんとかと言っても戦後の忙しい今に簡単に許可が降りるわけなかろう。」
「…無利子で貸してやる。使用人より貧乏は流石に貴族として許容出来ん。」
「何故自分によくするかって?私の上司に面倒見てやれと言われたからだ。…あと、戦場では世話になったからな。」
…子爵は面倒見が良いらしかった。
子爵が上司のツテを頼りに王都で有名な画家を名誉男爵にも紹介した。
貴族は流行に敏感でなければならないから、そのついでだから、と謎な子爵の言い訳に名誉男爵は首を傾げる。
そして早速名誉男爵の屋敷に移動する3人。
移動中、子爵は画家に聞こえないように念押しする。
「画家に失礼のないような対応の準備は出来てるよな⁉︎」
「画家にあの絵を見せるのは箔付と何か言われた時の言い訳を画家視点から学ぶ為だぞ!」
と子爵は必死だが、同じ馬車の中、画家に聞こえないなんてことはもちろんなく、画家も名誉男爵も苦笑いだった。
そうして絵を見た画家の評価は意外なほど高かった。
「まず、このパッと見ただけでは子供でも描けるような絵ですが、子供では描けない根拠が2つ。
一つは絵の具です。
安い物から私でも使うのを躊躇うような物まで様々な赤が使われています。
イタズラや詐欺なんかで使われる様な絵の具の使い方ではない。
もう一つは色彩です。
様々な赤を使ったとしてもここまで多彩な赤を表現するにはある程度以上の知識と技術が必要です。
失礼かもしれませんが、どのような経緯でこの絵を?」
立派な額縁に飾られた真っ赤な絵と言って良いのかも分からない物を画家は目を輝かせて遠くから近くから吟味しながら早口で喋る。
やはり芸術家というのは変人ばかりか…と思いながらもこの絵を手に入れた経緯を説明する。
芸術なんてよくわからないモノを購入しようとしても平民上がりの戦場帰りに選抜眼も伝もない自分が貴族の屋敷に飾るようなモノを手に入れるのは困難だ。
なのでとりあえず有金全て持って通称・芸術通りと言われる露店通りを散策した。
並んでいる品は絵や壺や石像やなんだとごった返している。
品質もピンキリで子供のお小遣いを貯めたら買える程度のモノから触るのも怖い金額のモノまで多岐にわたる。
そんな処に行ったところで良い買い物が出来るワケがない。
が、最初から良い買い物をしようと思っていない。
買えるギリギリの値段の屋敷に飾っても良さそうなモノを選んで、高い理由をそのゲイジュツヒンを売っている本人に聞けば言い訳も手に入る。
選抜眼も伝もない自分からしたらそれ以外の選択肢がなかった。
そうして芸術通りを練り歩いていると、この絵だけを売っている露店があった。
店主は疲れ切ったかのように俯き物を売る態度ではない。
ポツンと置かれた目立つ絵と悪目立ちした店主の姿に妙に目が離れなかった。
そうして暫く観察して、徐々に近付き、値段を尋ねてようやく店主と目が合ったのを覚えている。
値段も程よく有金ギリギリだ。
そうして半ば衝動買いで手に入れた絵なのだ。
買った時はゲイジュツヒンを買えた達成感と大金がなくなった喪失感でこの絵を飾る言い訳も聞く事を忘れ、後日同じ場所を探してもあの店主に会えることはなかった。
そして、芸術通りに点在する芸術品専門の運送屋から額縁もないキャンバスのみの状態の絵を受け取った使用人にこっぴどく怒られたのである。
その話を聞いて子爵と画家の反応は分かれた。
子爵は顔を真っ赤にして地獄の底から出したような声で「後で話がある。覚えとけ。」ともう外面を取り繕うことは放棄した様子だ。
大方正直に話しすぎた事への叱責だろう。貴族は恥を嫌わなければならない。
対して画家はククッと笑いその後もニッコニコしている。
とりあえず子爵と話すのは後で良いみたいなので、画家に何か機嫌が良くなる場面はあったか聞いてみた。
「いや、なんだ、少し懐かしくてな。
私にもそういった時期があった。
私が推測するにこの作者は、師匠の元で修行をして知識も技術もそれなりになった頃の、描ける技力も描ける材料も描きたいモノも目の前にあるのに描かせてくれないと勘違いをして無駄に鬱憤が溜まっていたのではないかな?
そうしてその感情を特大のキャンバスに解き放った。
赤色を選んだのは、芸術に対する情熱と師匠に対する薄暗い感情を表す為かもな。
売りに出したのは師匠にバレる前に使った物を買い足す為だろうから、作者を探しても名乗り出る者はいないだろうね。
しかし、未熟ながらも良い絵だ。
安物から高価な物まで様々な赤を使いつつも暗い赤や明るい赤にする事で調和している。
見事に人の心を赤一色で表現していると言えるだろう。
私のような貴族御用達や師匠と呼ばれるまでに煮詰めた者には描けない、未熟者の絵だ。
だからこそ、それが良い。
これは、貴族よりも一流と呼ばれる画家達に好かれる絵だね。」
気持ち良く話す画家の言葉を名誉男爵は半分も聞いていなかったが、子爵は一生懸命に聴き芸術家に好かれる貴族としてこの成り上がりをプロデュース出来ないかと頭をフル回転させていた。
「で?これが例の絵か?」
戦場で仲良くなった男を屋敷に招いて、第一声がこれである。
この男には絵を買った経緯までは話していたので男も興味深そうに絵を眺めている。
「あん?この絵がどうかだって?知らねーよ。
誰が描いた絵なんだ?
ゲージュツカが描いたなら俺に理解出来ないナニカを表現してんだろ。
軍人が描いたなら戦場の血溜まりを書いたんだろう。
素人が描いたなら色遣いの練習作品だろう。
子供が描いたならイタズラだ。」
同じ絵でも誰が描いたかで意味が違うという男。
妙に納得してしまい、ゲージュツカの講釈を男に伝えるのはやめておいた名誉男爵だった。
その後の名誉男爵は何とか生活も軌道に乗り、様々な分野のゲージュツヒンを屋敷に飾った。
そのどれもが中途半端な知識と技術と絶大なる情熱によって作られた見習い達の作品である。
そしてその屋敷には一流と呼ばれる芸術家たちが密かに「初心の館」と名付け貴族よりも芸術家の来訪の方が多い、稀有な屋敷となった。
数十年後、名誉男爵の没後も「初心の館」は芸術家達にとって王都でも有名な人気スポットとなっていた。
置き切れない作品は倉庫に仕舞われ絵画展・焼物展等招く芸術家に合わせて屋敷中の作品を入れ替えれる程にゲージュツヒンは溢れた。
屋敷に飾る作品がどれだけ入れ替わろうとも、屋敷が増築されようとも、入り口から見える位置にはあの赤一色で描かれた「情熱」が飾られていた。
蛇足。
あの赤一色の絵は画家くずれの行商人による「画期的な画材の売り方」の成れの果てです。