父が歌い手になるとか言い出した
誤字報告ありがとうございました。
父が夕食の席で突然「歌い手になる」とか言い出した。
この先どうなるんだろうと目の前が真っ白になった。
「あなた……本気なの?」
母が震える声で言う。
父が狂ったとでも思ったのだろう。
「ばかじゃねーの」
兄が呆れ気味に言う。
彼は受験を控えている。
私は何も言えず、ただ見守ることしかできなかった。
「大丈夫だ、安心してくれ。仕事を辞めるつもりはない」
父がその一言を告げてようやく安堵する。
母は深々とため息をつき、兄はやれやれと肩をすくめた。
しかし、父は真剣な目をして言う。
「これからしばらく、カラオケに行って練習するから帰りが遅くなる。
顔出しで出演するつもりなので、迷惑をかけるかもしれない。
よろしく頼むよ」
まるで取引先の人にお願い事をするかのように、深々と頭を下げる父。
そんな彼の姿を見て初めて、これは冗談ではないのだと気づいた。
★☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
それから数日、父は日付が変わるくらいの時間に帰宅するようになった。
母も最初は呆れ気味だったが、次第に慣れていった。
兄も私も気にしなくなった。
休日は家で過ごすことが多かった父だが、昼前には一人で出かけていく。
どうやら休みの日もカラオケに行っているらしい。
「駅前で親父を見かけたよ。
カラオケ屋から出てくるのを見た」
予備校から帰って来た兄が言う。
「でもまだ帰って来てないよ?」
「スタジオとか行ってんじゃねーの?
撮影とかするつもりじゃね?」
「そうなんだ、家でやればいいのに」
「俺たちに迷惑かけるのが嫌なんだろ」
「ふぅん……」
最初はすぐに飽きてやめるだろうと思っていたが、どうやら本格的に動き始めたらしい。
いったいどうなることやら。
「いつまで続けるつもりだろうなぁ」
兄が椅子の背もたれに寄りかかりながら、天井を見上げて言う。
つられて私も上を見上げる。
真っ白な照明の光。
見つめていると目がちかちかする。
これからどうなるのか、予想もつかない。
☆★☆ ☆☆☆ ☆☆☆
父の最初の動画がアップロードされたので、さっそくスマホでチェックする。
小さな部屋に数人の中年男性が集まりマイクを手にしている。
楽器などは見当たらない。
それぞれが色々な音を出してメロディを作り、数人が歌う。
コーラスやベース、ボイスパーカッションなど。
全ての音を人の声で奏でているのだ。
父はボーカルを担当。
普段からは想像もつかないような美声を響かせている。
歌っているのは一昔前の流行歌。
コメントの評判も上々。
再生回数やグッドの数もそこそこ。
素直にすごいと思った。
「あら、アカペラじゃない。すごい」
母が感心したように言う。
ぎょっとして振り返ると母の顔がすぐそばにあった。
「覗かないでよ、びっくりするなぁ!」
「お父さん、なかなかすごいことしてるのね。
こんなに上手だとは思わなかったわ。
カラオケって聞いてたから、てっきり普通に歌うのかと」
父が他のオジサンたちと一緒にアカペラを歌っている。
それだけのことなのだが、普段の父の姿からは想像もできないほど格好よく見える。
こんなこと、絶対に本人には言えないけど。
「ううん……私もなにかやってみようかな」
「え⁉ お母さんも?!」
「ちょっと試してみたいことがあってね」
「えっと……何を?」
「それは見てからのお楽しみ」
そう言って笑う母は、なんだかとても楽しそうだった。
☆☆★ ☆☆☆ ☆☆☆
数日後。
母はさっそく行動にでた。
彼女が始めたのは料理動画だった。
いつもの食事の風景をスマホで撮影して、それをアプリで編集。
フリー素材のBGMを付けてショート動画として投稿。
なかなかセンスのある編集で、見ていてとても楽しい。
「母さんもやるじゃないか」
スマホで母が投稿した動画を眺めながら、父が嬉しそうに言う。
「ええ、あなたの新作もカッコよかったわ」
「最近はファンも増えたんだ」
「いい年して変な気を起こさないでね?」
「分かってるよ」
そんな風に会話しながら、お互いの動画を見て楽しそうにしている二人。
ぼーっと二人のやり取りを見ていると、兄がスマホを取り出してこんなことを言い出した。
「おっ……俺も……」
兄が見せて来たのは動画サイトではなく、イラストが掲載されているページだった。
「なんだこれは?」
「これがどうしたの?」
「俺が描いたんだ……これ」
「「え?」」
父と母は顔を見合わせる。
どうやら兄は隠れて絵を描いていたらしい。
それは草原に女の子が立っている絵。
白いワンピースに麦わら帽子をかぶっている。
遠くにはひまわり畑も見える。
兄の話によると少し前から絵の練習をしていたという。
イラストの少女はアニメに声を当てて活動するVtuberと呼ばれるジャンルの動画投稿者。
兄は以前からファンだったが何か特別な形で応援したいと思っていたらしい。
そこで思いついたのがイラストを描くこと。
まったく心得がなかったが、少しずつ練習を重ねてそれなりのレベルにはなった。しかし勇気がなくて悩んでいた。
父と母が動画を投稿したことで自分もと思うようになり、投稿に踏み切ったらしい。
「実は本人からコメントがもらえたんだ」
兄はSNSのコメントを嬉しそうに見せてくる。
Vtuberのアカウントから「ありがとうございます」と絵文字付きの短いコメント。
まるで宝物を自慢するようにそのコメントを見せてくる彼が、少しだけ羨ましく思えた。
☆☆☆ ★☆☆ ☆☆☆
私には好きなことがない。
夢中になって一つのことに打ち込んだことがない。
部活もなんとなく入った文科系の部活で、あまり顔を出していない。
趣味とかもなぁなぁ。
家族は私と同じだと思っていた。
父も、母も、兄も。
私のようになんとなく生きているとばかり。
でも違った。
それぞれに、それぞれの『好き』があったのだ。
私には何もない。
放課後の教室。
窓際の席でぼんやりと空を見上げる。
真っ赤に染まった夕焼けを見ていると、不意に焦燥感が押し寄せてくる。
残りの人生を何もないまま退屈に過ごすのかと思うと、胸の奥がざわつく。
このまま何もしないでいいのだろうか。
「ん、どしたん? 一人で外なんか眺めて」
クラスメートが話しかけてきた。
私とは違って人生を心の底から楽しんでそうなパリピな女の子だ。
彼女の名前は確か……ミサだったかな。
「実は……」
別にミサとは仲が良くなかったのだけれど、なんとなく話してしまった。
父のこと、母のこと、兄のこと。
何もない自分自身のこと。
「そっかー」
机を挟んで向かい側に座った彼女は、両手で頬杖をついて私の顔を興味深く覗き込んでいる。
ふざけている様子はなく、真面目に話を聞いてくれたと思う。
「なら、今から好きなことを探せばいいんじゃね?」
「でも……どうやって?」
「このサイトにアクセスしてみなよ」
そう言って彼女はスマホの画面を見せてきた。
そこには『小説家になっちゃおう』というサイトが表示されていた。
「え? なにこれ?」
「これめっちゃ面白いよ!
最近はまってさぁ~」
見た目からは想像もできないけど、彼女は小説を読むことにはまっているらしい。
「へぇ……どんなふうに面白いの?」
「いろんなお話が読めて面白いよ。
兄貴から教えてもらったんだ」
「お兄さん?」
「うん、ムーンスター猫って言うんだけどね、うちの兄貴」
「……?」
変わった名前だなと思ったが、少ししてそれがハンドルネームだと気づく。
「ちなみに私の名前はヤバ杉子ね」
「いや、なにその名前」
「覚えやすいでしょ!」
「ううん……そうだね」
話しているうちにクスクスと笑っている自分に気づく。
そのまま成り行きで私もそのサイトに登録することになった。
小説なんて全く書ける気がしないけど……。
☆☆☆ ☆★☆ ☆☆☆
ミサが紹介してくれたサイトで小説を読むようになった。
彼女も色んな作品を読んでいるようで、おススメの作品をいくつか紹介してもらったのだが、そのどれもが面白い。
文学系の作品だったり、コメディだったり、ホラーだったり、ファンタジーやSFだったり。
様々な作品がこのサイトにはある。
別に小説を書かなくてもいいみたいなので、私は読み専として活動することにした。
「かよちんは何か書かないの?」
学校のお昼休み。
ちょっとした雑談をしていると、ミサに尋ねられる。
『かよちん』というのは、私のハンドルネームである。
「ううん……私はちょっと……何も思いつかないし」
「そっか」
私には好きなことがない。
小説を読んで面白いと思っても、自分で書きたい物語がないのだ。
でも……決して何もしたくないわけじゃない。
小説を読んでいくうちに、少しずつ自分の中で変化が起き始めた。
読者ではなく作者として、みんなと同じ目線に立ちたい。
私にしか作れない物語を書いてみたい。
そんな気持ちが少しずつ大きくなっているのだけれど、なかなか最初の一歩を踏み出せないでいる。
私が書きたい物語ってなんだろうか?
「そう言えば私が書いた詩、読んでくれた?」
「うん、良かったよ。ポイントもつけた」
「えへへ、ありがとー」
嬉しそうに笑う彼女を見ていると、なんだかむず痒い気分になる。
可愛くて仕方がない。
『小説家になっちゃおう』ではポイント投票ができる。
ポイントを沢山ゲットすると、より多くの人に作品が読んでもらえるらしい。お気に入りの作品には☆5評価を付けて応援している。
好きな作品が高く評価されると私も嬉しい。
「かよちんも試しに何か書いてみれば?
感想もらえると嬉しいよー」
「ううん……」
書いてみなよと言われても、なかなか難しい。
どんなに夢中になって活動を続けても、私自身が小説を書くことはなかった。
☆☆☆ ☆☆★ ☆☆☆
机に座り、じっとスマホの画面を見つめる。
画面には『小説家になっちゃおう』が表示されている。
私は小説を読むことがそこそこ『好き』だ。
でも、何かを書きたいほど、自分の中に強い気持ちがあるわけでもない。
何かをしたいという気持ちが募っているだけ。
そんな私に何ができるのだろうか?
ため息をつきながらマイページを開いて、お気に入りの作品を眺める。
すると、あることに気づいた。
ずっと更新が止まっていた作品の続きが、久しぶりに投稿されたのだ。
その作品は私が読み始めた時にはすでに更新が止まっていて、最後まで読んでしまった私は物語の続きが読めないのかなと少し寂しい気持ちになっていた。
――だから更新されてとても嬉しい。
さっそく最新話を読んでみたら、やっぱり面白かった。
この作者さんは天才だと思う。
でも……ちょっと心配なことがある。
その作品にはいまだに感想が一つもついていないのだ。
『小説家になっちゃおう』にはランキングというものがあり、ポイントを沢山獲得した作品はランキング上位に掲載されることになる。
そうすると、読んでくれる人も増えて、沢山の感想が寄せられる。
「面白かったです」
「続き待ってます」
「最後まで読みました!」
毎日のように送られる応援の言葉。
人気作の感想欄は華やかだった。
私も感想を書いてみようかな。
ちょっとだけ文章を打ち込んでみたが、途中で恥ずかしくなってやめてしまった。
私が感想なんて書かなくても、作者さんは更新を続けるだろう。
そう思っていたのだが……しばらくして、その作品の更新は再びストップした。
☆☆☆ ☆☆☆ ★☆☆
相変わらず父は動画を投稿し続けている。
今ではすっかり人気者。再生数もうなぎのぼり。コメントもたくさん。
まるでスーパースターにでもなったかのようだ。
でも、決して天狗になることなく、マイペースに活動する父とその仲間たち。
「ねぇ……お父さんってなんで歌い手になったの?」
朝食を家族で食べている時に、なんとなく尋ねてみる。
父は食事の手を止めて質問に答えてくれた。
「部下が結婚式を挙げる時に、何か余興をと頼まれてね。
それで同僚のみんなとアカペラをやることになったんだ。
きっかけと言えば、それがきっかけかな」
「え? ずっと昔から歌が好きだったんじゃないの?」
「いや……別に」
きょとんとする父。
てっきり歌手を目指していたのかと。
父は特別、歌が好きというわけではなかったらしい。
目立ちたいとか、有名になりたいとか、そういう欲はないのだろうか?
「じゃぁ、本当になんとなく続けてるだけ?」
「まぁ……そうだな。
しいて言えば、反応がもらえるとちょっと嬉しいかな。
応援の言葉をもらえるとやる気がでるよ」
そうか……父は反応を求めていたのだ。
動画に寄せられるコメントが一番のエネルギー源だったのかもしれない。
ふと、あの作品のことを思い出す。
やっぱり作者さんも感想が欲しかったのだろうか?
誰かに読んでもらいたいと思いながら、作品を書いていたんじゃないか。
だから……感想が一つもつかなくて、寂しい思いをしているのでは?
お気に入りの作品についてあれこれと考えていると、あることを思い出した。
そういえば私は父に一度も感想を伝えていない。
面と向かって言うのは恥ずかしい。
でも……なんとなく言わないといけないと思った。
「ねぇ、お父さん。
この前の新しい動画、見たんだけど。
……ちょっとカッコよかったよ」
「え? 本当か?」
私をじっと見つめる父。
恥ずかしさのあまり、思わず顔を反らす。
「うん……」
「そうか、ありがとな」
短く答える父だったが、今まで見たこともないような笑顔を浮かべている。
よほど嬉しかったのか顔が真っ赤になっていた。
私自身もちょっと嬉しいと思った。
たった一言でこんなに喜んでもらえるなんて……。
「ふふふ、カヨはまるで魔法使いね」
母が言った。
「魔法使い?」
「たった一言で人を幸せにできる素敵な魔法使い。
あなたの言葉には魔法の力が宿っているのかもね」
私の言葉に魔法の力が?
冗談を言っているのかと思ったけど、母の顔は真剣だった。
私は自分の言葉で父を幸せにしたのかもしれない。
☆☆☆ ☆☆☆ ☆★☆
私は例の作品に感想を書くことにした。
正直に思ったことを伝えたかったので、少し長めの文章になる。
そして……最後に『好き』の言葉。
『だから私はこの作品が好きです。』
そう締めくくられた私の感想。
こんなに長い文章を書いたのは、嫌々やらされた夏休みの作文以来。
果たしてこんな文章を送られて作者は困らないだろうか?
私の感想がプレッシャーにならないか。
迷惑に思われてるのではないか。
無理をさせてしまうのでは。
いろんな不安が頭をよぎる。
怖くてなかなか投稿ボタンを押せない。
でも……伝えなきゃ。
文章にしなければ、この気持ちは伝わらない。
私はこの作品が『好き』だ。
物語を最後まで見届けたい。
――だから私の気持ちを伝えるんだ!
私は覚悟を決めて投稿ボタンを押す。
感想を投稿した直後、心臓がバクバク、息がハァハァ。
緊張のあまり過呼吸気味になる。
それでも、ちゃんと投稿できた。
私の気持ちを伝えたんだ。
これで――
『1件のメッセージがあります』
私の元にメッセージが寄せられる。
作者さんからだ。
震える手でお知らせをクリックする。
『ごめんなさい……うまく今の気持ちが伝えられません。』
『嬉しくて何度も頂いた感想を読み返しました。』
『実は、自分の作品に自信が持てなくて、
この作品を削除して退会しようと思っていました。』
『一つも感想が寄せられず、ポイントもつかなくて、
なんの反応もないまま書き続けるのは辛かったです。』
『でも……初めて感想を書いてもらえて、
もう少しだけ頑張ってみようかなって思えたんです。』
『私と私の作品はアナタに救われました。
本当に、本当にありがとうございました!』
その返信を読んで、私の心の中で何かが燃え上がった。
炎は熱く、熱く燃え上がって、まばゆい光を灯す。
これが……私にとっての『好き』なんだ。
そう確信した瞬間だった。
☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆★
「かよちーん!」
ミサが抱き着いて来る。
最近、人目を気にせずに熱烈なスキンシップをしてくるので困る。
嫌じゃないけどね。
「感想書いてくれてありがとね!
めっちゃ嬉しかったよー!」
「うん……気にしないで」
「ありがとうね! 本当にありがとうね!」
ミサははじけるような笑顔で何度もお礼を言ってくれた。
『好き』な作品を『好き』って言う。
ただそれだけのことで、多くの人が喜んでくれる。
こんなに素敵なことって他に無いと思うんだよね。
なんとなく始めただけだったけど『小説家になっちゃおう』での活動は私にとって特別な時間になっている。
物語はいまだにかけていない。
エッセイも、詩も私には無理だ。
でも――
――感想なら書ける!
拙い私の感想でも喜んでくれる人がいる。
もしかしたら、誰かの作品が私の言葉で救われるかもしれない。
そう思うとドキドキするのだ。
まるで物語の主人公になったみたい。
私が書いた感想が顔も知らない誰かに伝わることで、物語が生まれるのだ。
ここにしかない特別な物語が。