86:第一段階完了
今日も今日とて訓練を終えて床にぶっ倒れる。
アイリスは凝りもせずに事故を装っての骨折狙いだったが、無事に最後まで守りきることができた。
こんな訓練でもその成果は着実に実力へと変換されているわけだが……果たしてそれは狙ってのことなのだろうか?
「面白いから」という理由であらぬ方向へと物事を誘導する様を間近で見ていた側からすれば、機械知性体の奉仕対象としては玩具にされているという気がしないでもない。
そんな状況をよしとするような性癖があるわけもなく、俺はどうにかしようと無い知恵を絞って考える。
「全部借金が悪い」
義務教育すら終えることなく、船という閉鎖空間で大事な時期を無為に過ごした俺の知恵などこんなものだ。
俺が真っ当な人間として必要最低限の知識を蓄えるまでに、最短でも1周期かかるとのことだが……そのスケジュールを見れば「無謀である」と言えるくらいは自分の能力を客観的に見ることができている。
ともあれ、まずは目の前のできることから一つずつこなしていくのが最適解。
千里の道も一歩からという言葉がある通り、強化された肉体を完全なものとするため、戦闘訓練に重きを置いた日々を送り、ネージアン星系を抜け、ホモークからヨブ星系へと順調に航海を続けていたところでそれは起こった。
「おめでとうございます」
訓練を終えてぶっ倒れている俺に唐突な拍手を送るトレーナーメイドのアイリス。
何事かと思ったらどうやら強化した肉体を完全に制御することができるようになったとのことである。
ほぼ予定通りとのことだが、思いの外実感がなく反応できずにいた。
そんな俺にアイリスが説明用に訓練前後の比較映像を用意していると言う。
小休憩を挟んだ後にその映像を見ることとなり、予想よりもずっと短い映像を見終わった俺が一言。
「意外と差は小さいんだな?」
大変わかりやすく注釈の入る動画に思ったままの言葉を口にする。
細かい部分での差異をコンマ1秒未満で比較しており、それはもう編集に幾ら時間を使ったのかが気になるレベルで詳細が表示されていた。
一つ一つの小さな差の積み重ねが実戦でどのような結果を齎すかなど今更ではあるが、こうして数字として見るとその僅かな変化がよくわかる。
戦闘速度がインフレすれば、この程度の差など無意味となるが……現状俺が心配するようなことになる機会は先の白騎士クラスでもない限りあり得ないとのこと。
最もわかりやすい例えとして、以前戦ったダミテスを相手とするならば、現状俺が使用可能な装備でも勝つことは可能であるとアイリスは保証してくれた。
「戦闘訓練の第一段階は終了しました。今後は実戦的な訓練がメインとなります」
「つまり上昇したスペックを基準に戦術を組み立てろ、と言うことか?」
その通りでございます、と通常のメイド服姿のアイリスが優雅に一礼。
並行して射撃訓練でも課題をクリアするように、と新たな目標が設定される。
このままいけば白兵戦のプロにもなれそうだ。
「ちなみに現在の御主人様の戦闘能力をわかりやすくご説明いたしますと白兵戦専門の傭兵の中に投入した瞬間に『餌』と認定されるレベルです」
「俺の訓練意味なくない?」
ふと心に思ったことにすら容赦なく抉って来るメイドに非難の目を向ける。
そんな俺にアイリスがその理由を説明する。
そもそもこのご時世に「白兵戦をわざわざ専門とする傭兵」というのは大変なもの好きであり、そんな連中は得てして変態レベルの技術や戦術の運用を極当たり前のように行っているらしい。
そんな中に身体強化の第一段階が完了しただけの素人同然の元傭兵が入り込んだところで、キルスコアを献上するだけの餌になるのは当然であるとのことだ。
「もしかしてそいつら超人か?」
「違います。ダミテスを基準としているのであればそれは直ちに破棄してください。アレはただの光学兵器に対する耐性。偶然の産物の域を出ない――わかりやすく言えば『レアリティの低い特性』です。以前も申し上げました通り、超人とは最早進化した別種の人類。そう簡単になれるものではありません。だからこそ我々は多くのサンプルを必要としているのです」
これを聞いて自分とは無縁の話であると改めて認識。
また、白兵戦云々に関しては、そもそも使用兵器群が違いすぎるので現在の俺の訓練状況では根本的に無理があるのだそうだ。
この理由には俺も「ごもっとも」と返す外なく、暗に「また馬鹿なこと考えやがったな」というアイリスの心情を表したものであると判断。
いいから余計なことを考えるな、というアイリスの心の声が聞こえてくる気がしたが、そんなことを考えたら本当に飛ばしてきそうなのでこの件はこれで終了だ。
「私もそこまで暇ではありません」
「だから普通に思考を読むんじゃない」
「念のために説明します。白兵戦の傭兵とは主に戦争で活躍する者たちです」
アイリスの言葉に俺は頷く。
「なので使用が許可される兵器の質は勿論のことながら使う種類が異なります」
ここまで言われなくとも「餌」の意味は一応わかっている。
白兵戦で傭兵が使用するのは対人殺傷兵器――しかも軍用で専用のものとなれば、それの扱いに長けた連中から言わせれば、その運用経験もなければ知識乏しい俺がキルスコアを差し出すだけの存在と言われても仕方がない。
ダミテスのような「肉弾戦闘を楽しむことが目的」とする傭兵と、本職を同列に語るのは間違っていたのはわかっていたつもりだけだったようだ。
恐らくこれは「間違ってもそっちに手を出すんじゃないぞ」とのアイリスからの遠回しの警告。
まったく、なんだかんだ言って奉仕対象の身を案じてくれる良いメイドである。
「……」
互いに見つめ合ったまま沈黙が続き、突如アイリスの手が俺の顔面に伸びた。
「思考を読まれているとわかった上でそのような露骨な手に出てくるとは良い度胸です」
「たまには手管も変えないとな、と思ってねぇ!」
ギリギリと加わる握力に屈するものかと両手を使って抵抗。
しばらく全力での攻防が続いたが、不意にアイリスの手が俺の顔面から離れる。
「どうやら御主人様には一度私のメイド力というものをお見せする必要があるようですね?」
「ごめん。メイド力とか意味わかんないんだけど、万人が理解できる言葉使ってくれる?」
言うが早いか迫るは拳。
肉体言語によるご理解を強要された俺はそれはもういともたやすく床に沈んだ。
そして目が覚めると自室のベッドの上。
何度経験したかわからぬ展開だが、目を覚ましてもアイリスの姿が見当たらないケースは珍しい。
こうなると次の展開が予想しづらい。
ほぼ嫌な方向にしな当たらない予想だが、心構えができるか否かは大きな違いだ。
取り敢えず自分の体をチェック……異常がないことを確認したところでピリリという訪問を知らせる電子音。
部屋の前に誰かがいるということだが、この船の乗員はたったの二人。
誰がいるかなど考える必要はなく、俺は居留守を使おうかと一瞬迷いつつも、その後を展開が怖いので黙って自室の扉を開ける。
「おはようございます」
そう言って一礼したのはショートヘアのメイド。
「どちら様?」と言う前に顔を見て誰かわかった。
「イメチェンか、アイリス?」
「前日に申し上げた通り私のメイド力を見せつけるべく相応しい形態となったまでです」
無重力空間では長い髪を邪魔にならないようにするには僅かながらとは言えエネルギーを消費する。
なので今日はこのモードでメイドとしての実力を見せて差し上げよう、というのがアイリスの主張である。
ショートヘアはショートヘアで悪くない。
しかしながらやることはいつもと変わらないであろうことは想像に難くない。
俺は今日も意識を失う形で今日と言う日を終えることになるとこの時は思っていた。




