73:強化の選択
「強化手段が決まったぞ」
迫る面倒事を乗り越えるために身体強化を行うか、それとも機械化するかの選択を前に、トレーニングルームで体を動かし、自分が求める方向性を確認した後にじっくりと考えた。
どちらを取るか?
それとも両方を選択するかで悩み続け、俺はようやく答えを出した。
「肉体を強化する方向で行く。それと――」
アトラスのブリッジで逆さまになって浮かぶアイリスに俺は自らの選択を語る。
「ほう? そう来ましたか」
感心するかのようなアイリスの反応に俺は少しだけ得意気になる。
流石に決断にほぼ半日使ったので「何言ってんだこいつ」みたいなことにならなくて本当によかった。
「最良ではありません。ですが決して悪くはない選択です」
逆さまのままのアイリスが笑みを浮かべて頷き、俺に近づくと顔に指を突き付けた。
「ですが費用はどうするおつもりで? クオリアの技術は安くはありませんよ?」
「そこは借金にするしかないな。クオリアの技術で強化するならば、求められる基準も満たせる。稼いでやるさ、そっちの依頼を受けてな。それに――」
俺を借金漬けにする方がクオリアとしても都合が良いはずだ。
そこは口に出さなかったが、頷くアイリスを見て笑ってやる。
俺の決断にアイリスは理解を示してくれたらしく、くるりと回って床に足をつけると優雅に一礼してみせる。
「よろしい。早速クオリアに要請しました。明日にはこちらと合流することになるでしょう。費用は18万Cとなっております」
「一応聞いておくが……人の頭に勝手にぶち込んだインプラントを利用するんだ。その分安くなっているんだろうな?」
俺が選択したもう一つの強化――それは勝手に頭に埋め込まれたインプラントを利用し、神経伝達速度の向上を図るというもの。
記憶に干渉できるんだったら脳に近い位置にあるんだろうし、それくらいはクオリアの技術ならできるだろうと踏んでのことだが、やはりというべきか当然のように可能だった。
アイリス曰く、俺の取り得は反応速度くらいなものだと言う。
ならばそれに特化させる方向の強化は「強くなる」という一点においては決して間違った選択ではない。
応用力は追々どうにかするとして、一芸に秀でるだけの形であっても、この短期間で格上に食らいつくには最適とすら言える。
なお、借金の額に目を瞑ってクオリアの技術でフル強化するのが最も強くなる手段ではあるが、そちらは文字通り桁違いの金額となるので候補から即座に外された。
返済が現実的である範囲でとなればここいらが限界だ。
そんなわけでの値段交渉だったのだが……あっさりと拒否された。
「残念ですが御主人様が現在使用しているインプラントとは用途が違います。予期せぬ事態に備えて入れ替えるという形となりますので安くはなりません」
「あ、入れ替わるんなら文句はない。爆弾を頭に入れたままってのは気分が良くないからな」
「ちなみに現在御主人様に埋め込まれているインプラントは最新のものですのでお値段が倍以上違います」
その言葉で「何か利用法は?」と手の平を返す現金な俺。
しかしあくまでアイリスが貸し出しているという体らしく、俺の意思でどうこうするのは無理のようだ。
今ある物を利用しようとしたのだが……そう上手くはいかないものだなと少し肩を落とす。
思いついた時はこれ以上はない名案だと自賛したが、実際は使えないどころか俺の所有物扱いですらなかった。
そんな状態で他人の頭の中に入れっぱなしにするな、と言いたい。
言ったところで「借金をしている身でよく言えますね」とか返されそうなので黙っておく。
「それでは早速ですが説明をさせていただきます」
俺が選んだ強化でどれだけの変化が起こるのか?
期待と不安に胸に俺は「頼む」と頷いた。
「――以上になります。何かご質問は?」
「聞く限りだとデメリットがないように思えるんだが……絶対何かあるよな?」
「精々破壊された際に脳に微細な損傷を伴うリスクがある程度です。ですがそもそもそのような状況なら死亡しているのでデメリットと呼ぶほどのものではないでしょう」
確かに頭に埋め込んだものが破損するような状況なら無事とは思えない。
それと紛れもないクオリアの技術なので、他所に調整を任せるようなことがないようにと注意を受けた。
その他にも細々とした注意点はあったが、普通に考えてあり得ない状況や使用目的であるため割愛。
常識の範疇でご使用くださいということだ。
「しかしこの『リミットオーバー』とかいう機能は大丈夫なのか?」
読んで字の如く限界を一時的に超えるロマン溢れる機能だが、得てしてこういうものはデメリットが付きまとう。
「大丈夫ではないので最後の手段としてお使いください。長時間使用すれば最悪脳が焼き切れます」
思った通り危険な代償が付いていた。
基本的に使用後は過負荷で体がまともに動かなくなるらしく「短時間の使用でもお勧めしない」と本当に最後の手段として使うようにと念を押された。
ちなみに現在の俺のスペックだと30秒が限界との見解で、それを超えると脳にダメージが行くのだそうだ。
そうなる前に強制的にシャットダウンする機能を付けるか否かを聞かれたが、それをすると意識を失うことになるらしく、使用時の状況を鑑みてセーフティーはなしの方向で進めた。
最後に各種確認を行い契約内容に同意をして完了である。
これで明日に強化手術――と思っていたのだが、打ち込んで終了とのこと。
機械化の一種と思って身構えていたのが無駄になってしまった。
そんなわけで残りの時間を通常業務へと費やす。
送られてくる通信メッセージの量に辟易しながらも無事一日が終わる。
そして当然のように船長の許可なく中に入って来るクオリアの配達ドローン。
アイリスが引き入れているのは間違いないが、せめて何かしらの連絡はしてほしい。
思った以上に小さい小包を受け取ったアイリスが配達ドローンを見送る。
「打ち込むだけ」というだけあってインジェクターだけで済むのだろう。
中身を取り出してジェスチャーで後ろを向くよう指示するアイリス。
そして後ろを向くなり頭から首にかけてプスプスプスと三連射。
「終わりました」
「早!」
あまりにも呆気ない措置に効果のほどを疑ってしまいそうだが、完全定着までに80時間の時間を要するとのこと。
それまでは激しい運動も控える必要があるため、本日は艦長業務と武装輸送商会の会長としてのお仕事を中心とする。
つまりはデスクワーク。
未だに大量に送られてくる個人依頼のメッセージを一括で拒否しつつ、ふと気になることをアイリスに尋ねる。
「打ち込んだのはわかったんだが、取り出しはもう終わったのか?」
インジェクターの中身を打ち込まれたのは間違いない。
しかし取り出された記憶はないのだ。
「現在解除中ですので新しいインプラントが定着後に取り出す予定です」
そういうものなのか、と技術レベルの違いからくる常識に少し戸惑う。
訓練のない穏やかな日々が訪れ、サージス星系のハイパーレーンまで残り僅かとなった頃、インプラント定着まで80時間が経過したが、その間のご奉仕事情は早く忘れたい。
なので早速トレーニングルームでアイリスに相手をしてもらったわけなのだが……初手からその感覚の違いに振り回され床にへばりつく始末。
「……すっげぇ違和感あるんだが?」
「当たり前です。身体強化を前提とした調整なのですから現状では反応速度に体がついていけるはずがありません」
肉体強化はサージス星系で行う予定なので、タイタナ星系を抜けたらすぐに予約を入れよう。
強化した能力を体感できるのはもう少し先のようだ。




