6:逃れられぬ契約
アトラスがクオリアの内部をゆっくりと進む。
封鎖されてしまったブリッジの中では俺が戦々恐々といった具合に縮こまっている。
「いっそ舌を噛んで死ぬか?」とも思ったが、彼らの科学力を前に死に切れるかは甚だ疑問。
結局、成り行き任せるしかないとその時を待つことにした。
「拷問は嫌だ。拷問は嫌だ」と呟き続けること大体10分。
動きを止めたアトラスのブリッジで船の状況を見ていた俺は、今更ながら武装がロックされていることを気が付いた。
流石にクオリアと言えど内部からの砲撃は効果があるのかもしれない。
最も、船のコントロールを奪われているので何もできやしないのだが……聞いていた通り可能性は潰す主義のようだ。
そんなわけで生命維持装置が最低限機能しているだけの少し肌寒いブリッジにて、俺は向こうがどのようにこちらに接触してくるのかと待っていた。
(まさか船だけ接収して、中身は放置するとかいうオチじゃないだろうな?)
待機時間が長くなるにつれ、不安で圧し潰されそうになってくる。
死刑囚のような気分を味合わされ、俺は「来るなら早く来てくれ」と呟く。
「わかりました」
突如耳元に響く声。
反射的に振り向いた先には誰もおらず、それどころか突如ブリッジの照明が消え辺りは暗闇に覆われた。
視界が失われ、声の主を探す前に近くにあったはずの席を手探りで探す。
そして指先に触れたものを掴むとぐにゃりと形を変え指がそれに沈む。
座席にしては柔らかすぎる。
ふにふにと感触を確かめてみるが、頭部を保護する緩衝材のようなものとも違う。
「こんなもの何処にあったんだ?」という疑問はブリッジの照明が戻ると同時に氷解した。
「はじめまして」
何故かメイドがいた。
そして俺の右手はそのメイドの豊かな胸を思い切り揉んでいた。
周囲を手探りで調べようとした中腰のまま、俺は伸ばした腕でしっかりと無表情のメイドの胸に手を押し付けるように触れている。
表情が微動だにしないメイドと目が合う。
俺は記憶にある「猛獣を刺激しないための逃げ方」を実践するように視線を逸らさずゆっくりと手を引く。
無言のまま手を戻すなり頭を下げ謝罪の言葉を口にした。
「……すまなかった」
「それは何についての謝罪でしょうか?」
反射的に顔を上げ、相手の意図を読み取ろうとする。
考えてみれば相手は機械知性体。
胸を揉んだところで不快に思われるかどうかわからない。
「触ったのでアウト」の場合はどうしようもないが、この場で俺が真っ先に謝罪すべきことがあるとすれば一つしかない。
「こちらの不手際で、しかも軍用艦でクオリアに近づいてしまった。本当にすまない」
そう言って姿勢を正し、腰を90度曲げて頭を下げる。
「よろしい。状況を把握できないほど馬鹿ではないようですね」
その言葉に俺はホッと胸を撫で下ろす。
ほんの僅かな余裕が生まれ、目の前の相手をようやく観察できるまでには持ち直した。
長く青みがかった銀髪の美人メイド――その造形美は最早俺の語彙力では語ることは難しい。
続く沈黙に俺は恐る恐る小さく手を上げた。
「質問、よろしいかな?」
目の前のメイドが小さく頷いたが、こちらを見つめる冷たい目に圧され当たり障りのない質問に変更する。
「態々明かりを消してから現れる意味は?」
「ただの演出ですが、なにか?」
あれは演出だったのか、と意味はわからないが無理矢理納得しておく。
どんな理由でそのような奇行に走ったかは不明だが、人ならざる者にその真意を問う勇気はない。
「さて、そろそろ用件を済ませるとしましょう」
メイドはそう言うと両手でスカートを摘まみ上げ優雅に一礼する。
「私の名前は……帝国式の方がいいですね。私のことは『I・R・I・S』――アイリスとお呼びください。あなたの『助けてくれ』との救助要請を我々アルマ・ディーエは受諾しました。それに伴いこの度派遣されることとなったのが私となります。まずは各種契約に関する説明をさせていただきますがよろしいですか?」
顔を上げ、こちらに確認を取るアイリス。
彼女の言葉の意味を把握するのに少しばかり時間を有したが、俺は自分の命が助かったことだけはすぐにわかった。
「救助要請を受諾した」という部分だけ抜き取れば、俺は間違いなく助かるはずだ。
しかし相手は機械知性体――どのような条件を呑まされるかまでは予想できない。
俺はゆっくりと頷きアイリスに続きを促す。
そして後悔した。
やはり俺はあの最後のチャンスで死ぬべきだったのだと……
「……冗談、だろ?」
「いいえ、冗談ではありません」
床に座り、顔を伏せる俺に突き付けられた契約内容を簡潔に説明するならばこのようになる。
・超弩級戦艦アトラスはクオリアに接収される。
・返還の代金は購入金額の10%とし、支払い完了までアルマ・ディーエより随伴する者をつける。
他にも細かい条項はあるが、旧文明に関するものや技術的な内容なのでここは重要視しなくてもよいだろう。
しかしこの二つが意味することは事実上の借金奴隷である。
そしてアトラスは通常手段で売却できるような代物ではなく、所有権の問題が解決したところでその金額は一生かけても支払えるように額でもない。
つまり俺は生涯アルマ・ディーエ――このメイドにこき使われることになるのだ。
「俺に、死ねと言うのか?」
「御冗談を」
「なにがなんでも生きて支払わせてみせる」という意思を感じる。
機械知性体ならばこの借金の返済プランが立てられるのか、と絶望を感じた。
10%とは言え元が120億Crともなれば、普通は一生縁のない数値である。
運が良いのか悪いのか、俺はその縁があったことでそれだけの額の借金を背負うことになった。
「俺は、どうなる?」
「契約を履行している限りは死ぬようなことにはならないでしょう」
なんでもないことのようにメイドは言う。
「俺はこれから何をすればいい?」
「こちらのプランに従って支払いを完了してもらいます」
12億Crを働いて返せと平然と宣う恐ろしきメイド。
俺は崩れ落ちるように床に膝をつき、乾いた笑いを漏らしたところで泣きそうになり腕で顔を隠す。
するとアイリスが近づき俺の顔を覗き込む。
同時に俺の腕を取り、ホロディスプレイを出現させると契約のサインを迫った。
抵抗すれば死、しなければ地獄……だが、今この時を凌げさえすればチャンスはあると思いたい。
そう切り替えると俺は意を決してその指先でメイドの手から表示されている項目をなぞり、下へとスクロールした先にある「同意」の文字へと触れる。
「これであなたは私の御主人様となりました」
流し読みになってしまっていたが「そういう内容だったか?」という疑問が頭に浮かぶが口には出さない。
契約が完了するや、アイリスは契約書を消して姿勢を正す。
「恐れる必要はありません。これから御主人様はその一生を私にご奉仕されていればよいのです」
俺の危惧をどう解釈したかはわからないが、アイリスはそんなことを言ってのける。
機械知性体のユーモアは理解できない。
立ち上がった俺は情けない顔のまま「よろしく頼む」と手を差し出す。
しかしアイリスは俺の手を取ることなく笑みを浮かべた。
ニチャリとでも音を付けるべきか?
そこには底冷えするような恐ろしさがあった。
TIPS:船の種類
民間船:シャトルのような人を運ぶものから個人所有のものまで様々。
輸送艦:民間から軍艦まで幅広く、小~大のサイズで区分されている。兵装もわずかながら詰める。
戦闘艦:傭兵や企業が所有する防衛戦力。内約はコルベットと護衛艦と呼ばれる軽巡洋艦相当の二種。
軍用艦:国家、一部の企業や傭兵が持つ戦闘艦。
軍用艦
駆逐艦・巡洋艦・戦艦・空母に分けられる軍事兵器。戦闘艦とは明らかにレベルの違う兵器群。空母は艦載機を多数搭載。人型ロボットはなし。
船のサイズ
コルベット:20~60m (20mはあくまで記録された最小のもの)
駆逐艦:60~120m (小型輸送艦が大体このサイズ)
護衛艦:120~160m (民間船に該当。中型輸送艦が大体このサイズ)
巡洋艦:260~380m(軽と重の違いは国家によって若干違う。帝国の場合は重量。大型輸送艦がこのサイズ)
空母 :550~770m
戦艦 :680m~
※ドレッドノートは戦艦扱いで1000m~のものを指す。タイタン級は全長1580mと銀河でも最長クラス。




