49:全てはこの瞬間のために
殺してやるとばかりにこちらを睨みつけてくるイズルードル侯爵。
そんなお偉いさんと報酬の交渉をしろ、と催促されて仕方なく前へと出る俺。
「あー、侯爵。ご依頼通り、無事娘さんをお送りしました。ついては報酬の件についてお話させていただきたいのですが……」
「貴様……何時からだ?」
意味のわからないことを聞いてくる侯爵に、俺は「はい?」と反射的に返してしまう。
「どちらの差し金だ? フリエラか? ハインリックか!? 覚えていろ、貴様が誰を敵に回したか、その身を以て教えてやるぞ!」
「あ、これ裏切って襲撃したと思われてるのか」と理解ができた俺は、まずはその誤解を解こうとする。
しかし俺が何か言おうとすると、それを遮るように怒鳴り散らすため中々説明が進まない。
「いや、だからですね、ゼノリック侯爵……」
「この程度で勝ったと思うな! 貴様らの思い通りには絶対にさせん! 地位も、金も、貴様らにくれてやるものなど一つもないわ!」
時間が経っても冷静になるどころか更にヒートアップしている侯爵。
あまり時間を稼がれては護衛が呼んだ増援が来る恐れがあり、面倒なことになりかねない。
加えて、ストレスメーターが目に見えてまずいことになっているシーラが短気を起こす可能性がどんどん上昇。
今は俺が交渉中とあって堪えているようだが、侯爵をぶちのめす目的でここにいる以上、この脳筋なら何をしてもおかしくはない。
「私は、ご依頼通りに、彼女をここまで、送り届けただけです。ですのでその報酬を頂ければ、すぐにでも退散させていただきます」
「黙れ! このワシを謀りおって! その汚い口を閉じろ!」
「ですから、依頼を完了したので、契約通りに――」
「煩い! ワシを誰だと思っている! 貴様如きが意見しようなどとおこがましいわ! 契約だと? そんなものがワシと貴様らとの間で成立すると思っているのか! 身の程を弁えろ!」
このセリフは流石に侯爵と言えど問題がある。
故に、俺は見下ろすゼノリック侯爵に対し、相応の対処をすることに決めた。
たとえ相手が帝国貴族と言えど、ギルドを通した契約をなかったことにしようというのだ。
多少の無茶は許される――そう判断してのことだったのだが、背後から伸びた手が俺の口を塞いだ。
「わかりました。契約は破棄されたものと見做します」
背後に回っていたのはアイリスだった。
正直無警戒だったこともあり、完全に不意を突かれていたのでかなり驚いた。
だが、それではこちらの儲けがない。
何か言おうと振り返ったところに「狙い通りです」と囁き……じゃないな、テレパシーのような脳に直接響くような声が聞こえてきた。
「それでは我々は失礼致します」
そう言って優雅に一礼をするアイリス。
これに従う形でも俺も退出することになる。
後に残ったのはシーラと侯爵――つまり、報復タイムの再開だ。
もしかしたら侯爵はそれを見越して時間稼ぎをしていたのかもしれない。
ともあれ、部屋の外に出ると同時に悲鳴が閉まるドアから漏れてくる。
完全にドアが閉まったことで聞こえなくなったが、通路にいた従業員がぎょっとしていた。
「そういうプレイです。お気になさらず」
サラッととんでもないことを口にするアイリスに、部屋の扉とその前にいるメイドで視線が動く従業員。
「ええ……」と中にいる人物を想像して驚愕の声を漏らす彼にアイリスは笑顔で頷いた。
どう見てもそのやりとりは「え、つまり親子で?」という疑問に対し「正解です」と言っているようなものだ。
凄まじい誤解を与えるやり取りだが、帝国史において貴族の変態趣味など枚挙にいとまがない。
加えて、これが広まればちょっとしたやり返しにもなる上、ホテルの人達も「親子の再会を邪魔するわけにはいかない」と気を利かせてくれるだろう。
協力するというのは不本意だが、ここはシーラのためにも時間を稼いでやる。
俺の方にも視線を送る従業員に神妙な面持ちで頷く。
「邪魔をしてやるな」という意思を込めたこの一手に、従業員は仕方ないと言った風に通路から退散する。
それを見送ったらこちらも退散だ。
何事もなくホテルを出た俺たちは、アイリスの勧めで近くのカフェに入った。
こういう場合は下手に急いで離れるよりも、近場に身を潜めることが正解である場合もよく聞く話だ。
「……で、説明してくれるんだろうな?」
席に着くなり俺はアイリスに詰め寄った。
ここで「え、わからないんですか?」と言わず「勿論です」と返事が来たのはありがたい。
「そちらの方がお好みですか?」
「お前、マジで俺の思考読んでるだろ?」
そんなまさか、と笑うアイリスを睨みつけ、さっさと答えろと急かす。
「その前に注文をしましょう」
マイペースにメニューを広げるアイリスに溜息を一つ。
しかし何も注文しないというのも不自然な話だ。
自然を装うにしてはメイドの姿というのは不自然かもしれないが、確かにここは注文すべき場面である。
店員を呼び、俺はコーヒーを注文する。
話をする場では定番、これならば怪しまれることはなく、目立たずにいられる。
「こちらのカップルチャレンジメニューを一つ」
「少しは目立たないように努力しよ?」
どう見ても二人分では済まないジャンボパフェを注文するアイリス。
目立たないようにするという選択は何処に行ったのか?
「では詳細を語らせていただきます」
ウェイターが注文を繰り返して戻ったのを確認し、アイリスの説明が始まる。
その前に何故カップルチャレンジメニューを注文したかの説明をしてほしい。
「今回の一件ですが私の目的は最初からデータを手に入れることにありました」
「データ?」
該当するような情報など心当たりのない俺が首を傾げて繰り返す。
アイリスはそれに頷き続きを話す。
「はい。そもそもの話になりますがこの度のお家騒動でゼノリックが追い落とされることは確実でした」
「は? ちょっと待て、それじゃ報酬なんて最悪空手形だろうが」
「その通りです。この手の騒動では部外者は勝ち馬に乗ることが最も賢い立ち回りです」
この言葉で俺の表情が険しいものとなる。
何せ今まさに俺たちは負け犬に手を貸していたのだ。
「つまり、今からでも勝ち馬に乗れる手段がある……いや、今だからこそ、勝ち馬に乗れる手段がある、ということか?」
「はい」
頷くアイリスと差し出されるコーヒー。
ウェイターが立ち去ると説明が再開される。
「現在ホテルの内部の情報は封鎖されております。後継ぎとなる血の繋がった娘を手に入れたゼノリックと阻止できなかった他勢力。最早余程の悪手を選択せねばひっくり返ることのない状況と認識していることでしょう。となれば我々が持つ情報は現在どれだけの価値があるでしょうか?」
ここまで言われてようやく理解できた。
出した結論にコービーの入ったカップを手にする指が僅かに震えた。
「最初から、逆転劇を演じるつもりだったんだな?」
それを首肯するアイリス。
「はい。敗北――つまりは死を覚悟した二つの勢力に一つ情報を競り合ってもらいます」
これがそのデータとなります、と差し出された耳にかけるイヤホンのような何か。
恐らくそれで音声情報を聞け、ということなのだろうと耳にかける。
すると目の前に表示されるホロディスプレイ。
「御主人様にしか見えませんのでご安心ください」
そういうものだろうなと予想していたので驚くことなく視聴させてもらう。
そこに映っていたのは先ほどホテルで見た映像。
二度目となるが、これを繰り返し見ることにどのような意味があるのかを考える。
しかし答えを出す前にアイリスが正解を口にした。
「重要なのはこれが『現当主であるゼノリック・イズルードルがシーラを自分の娘として認めた証拠』であることです」
「そういうことか……シーラは簒奪を明確に宣言している。ゼノリック侯爵は目的を達成できず、それどころか第四勢力を登場させた。まだ決着が着いていないと知るには十分すぎる代物だ」
後継ぎを指名できないということは、この争いが終わらないことを意味する。
証拠とするには弱いかもしれないが、主張する側が勝ちさえすれば関係ない。
「はい。勝負はまだついていないということに加えて現当主を追い落とすに足る不祥事の確たる証拠」
幾らの値が付くでしょうか、と締め括ったアイリスに俺は戦慄する。
アイリスの言うことを鵜吞みにするなら、全てはこの情報(異常性癖を含む)を最も高く売りつけるためのものである。
しかしそれは、護衛対象であったシーラを切り捨てることを意味している。
お家騒動の継続――それまでは三つの勢力の争いだったが、そこにたった一人の少女が加わるのだ。
勝敗など見るまでもない。
幾らあのシーラと言えど、単騎では組織には通じない。
その結末が如何なるものかは、帝国の歴史が語っている。
敗者には死――良くて幽閉。
だから俺は、少し考え、答えを出した。
「すぐに情報の競売を夫人と弟に持ちかけるぞ。情報は鮮度が命。最も高く売り捌くぞ」
少女の命?
あのバトルジャンキーを生かしておく理由など何処にもない。
むしろ世のため人のため俺のために、ここで潰えてもらうのが最良。
暴君の誕生を阻止できるまたとない機会である。
よって躊躇する理由など何処にもない。
俺の言葉で早速、両者との接触を試みるアイリスだが、同時に忘れていた大事なことを話し始めた。
「そしてもう一つの利点についてご説明します」
「もう一つ……?」
他にもまだ大きな利益を生む何かが残っているのか?
期待よりもそのようなものがまだあることに疑問を感じた。
「お忘れのようですが契約が一方的に破棄されております」
その言葉で俺は「あっ」と事の発端を思い出す。
「ギルドからの指名依頼……それも秘密裏のものを一方的に破棄され報酬が貰えなかった」
俺の呟きにアイリスが頷く。
これが意味するところは一つ――ギルドの信用問題だ。
貴族を相手にして一方的に契約を破棄され無報酬となった今回の件は、形の上では指名依頼という形で受領している。
たとえそれが秘密裏のものであったとしても、これを「なかったこと」にはできない。
俺が本来受け取るべき報酬の補償だけで済む話ではないのは勿論、誰が継いでもイズルードル侯爵家に対してギルドはこの不義を追及できる。
「はい。この事実がどれほど大きな貸しになるでしょうか?」
ご想像ください、と続けたアイリスに俺はカフェの天井を仰いだ。
これが全て計算の内だと言うのか?
情報を制する者は――で始まる言葉が幾つもあるが、機械知性体は間違いなく情報を掌握している。
それが味方である、という事実が如何なるものなのか……俺は今日、この瞬間にその意味を正しく理解した。




