48:予想通りという意味不明な結末
ホテル「ジェスター」はバレア帝国において最も古いホテルの一つである。
帝国が誕生する以前から存在しているホテルであり、各所へと移転を繰り返しはしたものの、由緒正しき歴史ある宿泊施設として各所では紹介されている。
その知名度は高く、貴族や官僚、芸能人といった有名人が訪れる高級ホテル故に、一般客の予約は難しく、敷居の高さからある種の羨望を集めていた。
この日もイズルードル侯爵という超大物が訪れた。
しかし従業員はいつも通りに振る舞う。
それが許されるだけのサービスを提供し続けているからこそ、このホテルの名声は揺るがないのだ。
誰が来ようといつものと変わらぬ日常が訪れる――従業員たちその自負は、今日この日脆くも崩れ去ることとなった。
一人の少女が訪れた。
身長に合わないバイクに乗り、ホテルの前に着くや否や邪魔だとばかりに乗り捨て道路を渡る。
真っ直ぐにホテルへと向かう少女を見たドアマンが怪訝な表情を見せる。
中に入れてよいのかどうか判断に困ったドアマンがインカムで指示を仰いだ。
「失礼ですが、IDの提示をお願いいたします」
少女の前に出たドアマンが恭しく小型の端末を手に頭を上げる。
「うむ。こちらにゼノリック・イズルードル侯爵がいるはずだ。娘が来たと伝えるがよい」
その言葉に委縮したドアマンが端末に表示された帝国IDを見て疑いの目を少女に向ける。
「ああ、そうか。まだだったな。伝言はシーラが来たと変更してくれ」
「しばしお待ちください」
そう言ってドアマンは連絡を入れる。
返答は直ぐに返ってきた。
ホテルの入り口は開かれた。
これが世に言う「撲殺嬢伝説」の始まりである。
ホテルへと足を踏み入れたシーラに早速従業員が付いた。
後の侯爵令嬢となる人物である。
最上の礼を以て接するべき相手であることは瞬時に伝わり、こうして直ちに案内を申し出たのだ。
「よろしく頼む」と短く、尊大に聞こえるかもしれない言葉も、彼女の生まれを知れば貴族らしい振る舞いと称賛されるだろう。
齢10歳――その年齢通りの姿に似合わぬ言動は、多くの貴族とその子息を見てきた従業員ですら感嘆したほどだ。
侯爵の待つ部屋へと到着し、従業員がドアをノックする。
「シーラ様をお連れ致しました」
従業員の言葉に「入れ」とだけ部屋の中から返ってくる。
「ご苦労だった。ここまででよい」
そう言って従業員を下がらせるシーラ。
ここまでやり取りをモニターで観察していた侯爵は満足そうに笑みを浮かべる。
しかしそこから無言でドアを開けて入ってきたシーラを見る顔つきが厳しくなる。
礼を失する行動だ。
威厳を持たせるためか、老化の始まった肉体をそのままに、白髪混じりの髪と鋭い目つきの男がソファーに座ったまま睨んでいた。
「そのような顔をなされるな。親子が初めて顔を合わせる時なのだ。儀礼よりも優先すべきものがあるのではないか?」
僅か10歳にしてこの物言いに、ゼノリックはソファーから立ち上がる。
周囲にいる4人の護衛たちの気配も変わる。
そう、彼女はまだイズルードルの人間ではないのだ。
「確かに、ワシは其方が生まれてから一度も顔を見せることすらしなかった。ならば感動の出会いに貴族の礼儀を持ち出すのは無粋か……」
部屋に入ってから動かぬシーラに歩み寄るゼノリック。
二人の現在の身分を考えれば本来ならばあり得ないことだ。
それは即ちゼノリックがシーラを自分の娘と認めるに等しい。
「侯爵閣下。ただのシーラとして最後に問いたい。貴方が私の父なのか?」
「そうだとも。このゼノリック・イズルードルとルゼリス・ホーウィッドの娘、シーラよ」
立ち止まり両手を広げる侯爵とその胸に飛び込むように歩き出すシーラ――まるで演劇のように進む光景は、異変を察知した護衛たちが動いたことで終わりを迎えた。
後に侯爵の護衛たちは口を揃えてこう言った。
「殺気を感じたんだ。あそこまではっきりと感じたのは久しぶりだ。だから動いた」
それが引き金になったわけではない。
少なくとも、シーラは最初からこうするつもりだった。
だから迷うことなく、その拳をゼノリックの腹部へと容赦なく打ち込んだのだ。
「ゲハッ!」
打ち上げられた侯爵の体がくの字に折れ曲がり宙へと舞う。
護衛たちの視線が上へと向けられたその一瞬を見逃さず、シーラは体勢を低くして狙い定めた一人へと弾丸のように飛び込んだ。
骨の折れる音が室内に響く。
護衛一人の足首を破壊し、もう片方はあらぬ方向に捩じ切れんばかりに曲がっている。
崩れ落ちた者を顧みることなく、残った三人の護衛は侯爵の安全を最優先に動く。
つまりはシーラと侯爵の間に入ること。
その間にも足を砕かれた護衛の意識が奪われているが、彼らは優先順位を違えない。
天井付近まで打ち上げられた侯爵を救うべく動いた者は一人。
残り二人がシーラの相手となるも、一人は武器を取り出す前に膝を破壊され、体勢が崩れたところに顎を打ち抜かれて意識を失った。
もう一人は健闘したものの、意識を失った侯爵の傍を離れるわけにはいかず、シーラによって意識を刈り取られる同僚を見守ることしかできなかった。
全てはお家騒動から「娘に会う」という目的で秘密裏に動いたことが仇となった結果である。
増援を呼んだがステーションからここまでは時間がかかる。
どう考えても間に合わないという結論は直ぐに出た。
最後に残った一人は命懸けの時間稼ぎが始まり、その意図を察したシーラは憐れむように呟いた。
「愚かな。彼の者の所業、知らぬわけでもあるまいに」
シーラは己の拳で打ち破った一人をゆっくりと床に横たえる。
動く者がいなくなったことを確認したシーラはゆっくりと侯爵の元へと歩み寄る。
「さて……起きてもらうぞ、イズルードル侯爵。貴様の罪は、この程度で贖えるほど軽くはない」
ゼノリックの頭部を蹴り、それで起きないと見るや調度品の花瓶を手に取り逆さにする。
顔にかけられた水で目を覚ましたゼノリックが目を覚まし、状況を把握するまでの間シーラは黙って見下ろしていた。
「馬鹿な奴め、貴様はワシの娘として、イズルードル侯爵家の人間として――」
言い終える前にシーラの蹴りが侯爵の喉に突き刺さる。
咳き込むゼノリックの前に立ち、その白髪の混じった髪を掴み上げる。
「貴様のような下種を父と思うわけがなかろう。私の父は唯一人。貴様の下卑た悪趣味に付き合わされ、女にされた挙句に孕まされたルゼリス・ホーウィッド唯一人だ!」
怒りを露わにシーラは叫ぶ。
だが次の瞬間にはその怒りを抑え、冷徹な目でゼノリックを見ていた。
「安心するといい、お前の地位は我がもらい受ける。お前の望み通り、我が侯爵家の後継ぎとなってやろう」
喋ることのできないゼノリックがシーラを睨みつけるも、この場において強者がどちらかなど言うまでもない。
「だが、その前に……我らが親子の恨み。晴らさせてもらうぞ」
その小さな手がゼノリックの顔を掴む。
凶暴な笑みを浮かべた少女を止める者は誰もいない。
「……なにこれ?」
これは侯爵が待つ部屋で行われた惨劇の記録をホロディスプレイで見た俺の率直な感想だ。
「見ての通りこの部屋で起きた一部始終でございます」
「うむ、よく撮れているな」
いつの間にか隣に来ていたシーラが満足そうに頷く。
「お前の目的はこれなんだよな?」
そう言って指を差した先には意識も朦朧としている侯爵。
その姿は先ほど見た壮健さとは程遠く痛々しい。
「如何にも。その権力で我が父を女とし、我を産ませた上で笑いながら捨てた下種だ」
それだけ聞くとわからんでもないが、相手は侯爵である。
この後にどうするつもりだったのかはキッチリと問い質す必要がある。
だがその前にアイリスを見る。
「はい。存じておりましたので予想通りの結末です」
「この状況が予想通りなのかよ」
だったら報酬はどうなる?
そんな疑問を顔に出してアイリスに視線を固定する。
「貴様、ら……」
意識が戻ってきたのか、侯爵が股間を抑えながら途切れ途切れに何か呟いているが、生憎と何を言っているかはわからない。
というか、何やらシーラの仲間認定されている気がする。
これから報酬に関する交渉を行うとか冗談だろうか?
「御主人様。報酬の交渉をお願いします」
お前の仕事だ、とばかりにアイリスは無慈悲にやれと言う。
いや、本当にもうどうなっても知らんぞ?




