44:盤面の優位性
バイクに向かって走るシーラを見送り、目の前の襲撃者に注意を払う。
現在視認できている襲撃者の数は前方に4人と後方に3人。
10歳の身長ではバイクに乗るのは難しいだろうが、肉体強化が進んでいるのでどうにかするだろう。
大型バイクだとどうにもならなかったかもしれないが、幸い学生が買える程度の極々一般的なものだ。
問題はないと他人の心配はほどほどにして、我が身を守るために動き出す。
滑り込んだ先は落下して炎上中のレンタカー。
そして始まる銃撃戦。
炎上中のレンタカーを遮蔽物とし、時間を稼いで倉庫側へと身を隠したいのだが……それをするのはシーラの離脱を見届けてからだ。
しっかりとアイリスがサポートをしてくれているので護衛対象には怪我一つない。
バイクを確保したところに放たれたロケットランチャーが突如爆発したり、銃弾が見えない何かに阻まれているのを見る限り、問題なく離脱できるのは間違いない。
状況を察したのか、指示を出していると思われる黒服が耳に手を当て何か喋っている。
恐らく振り切られた時のためにもう一部隊がいるのだろう。
そちらに連絡を入れて離脱したシーラを仕留めるのは正解だ。
アイリスがいる限りは護衛対象に危害を加えることが難しい。
だからこそ、こうして分断を狙ったと考えることもできるが、その場合は依頼失敗という大きな損失をアイリスが警告しないはずがない。
つまり、この状況はまだ想定の範囲内であり、依頼達成が十分に可能であることと示している。
(というか、護衛対象の戦闘能力がやたらと高いせいでシーラ一人でも大体どうにかなるんだよ)
事実、依頼を受けるまでの襲撃をシーラは一人で全て撃退している。
生半可な相手では足止めにすらならない。
そして唯一そのシーラが警戒した相手はこちら側にいる。
向こうの人材が豊富でないことを祈る必要はあるが、現状悲観するような問題はあまりない。
派手に動けば動くほど、相手の状況が悪い方向へと傾くのも好都合だ。
ここはコロニー内。
騒ぎが大きくなればなるほど、治安維持部隊が介入する可能性が大きくなる。
これを権力で留めるにも限界があるはずだ。
「選択肢はこちら側の方が多い」と改めて確認し、俺は笑みを浮かべて炎上する車越しにブラスターのトリガーを引く。
勿論命中しない。
相手の位置情報なんてないので当然の結果である。
バイクで走り出したシーラを見送り、その進路を塞ぐように3人の襲撃者が並ぶ。
「まあ、追わせるわけないわな」
車体に身を隠した俺が呟く。
「私が護衛対象に付いていては手の出しようがありませんから当然の対処ですね。お一人で行かせてよろしかったので?」
「俺も死にたくないんだよ」
護衛対象よりも自分の命を優先する発言に何処からか吹き出す音が聞こえた。
誰が笑ったのかは確認できないが、銃撃が止んだのは幸いだ。
「死にたくない、というのであれば今からでも手を引け」
どうやら攻撃を停止させたのは黒服が喋るためのようだ。
「ここまで来て報酬を受け取れないのは話にならん」
そちらが払ってくれるのか、と付け加えてまずは様子見。
先ほど同様黒服の周囲にはコンバットスーツの3人が待機しており、こちらが動けば即座に対応してくる状態となっている。
「命が大事なのか、報酬が大事なのかはっきりしたまえ」
「どっちも大事に決まってるだろ」
やれやれと肩を竦める黒服が合図をすると銃撃が再開。
そんなわけで取り出したるはこちら――スモークグレネード。
各種妨害機能付きのちょっとお高い代物だ。
使い方は簡単、ピンを抜いて投げるだけ。
真っ白な煙に包まれた黒服たちが、こちらの正確な位置を掴めない間に倉庫へと走る。
建物を遮蔽物にして時間稼ぎ開始だ。
戦って勝つ必要など全くない。
逃げ回っても勝ちなのだ。
むしろシーラを追いかけるように逃げることで、こちらを無視できなくする。
このいやらしい戦術を見るがいい。
これぞ傭兵歴がなせる技だ。
倉庫の間を走り抜け、射線の通らぬ位置へと身を隠した俺は携帯端末を取り出して地図を表示。
現在位置とホテル、シーラの予想される移動ルートを確認し、頭に叩き込むと再び走り出す。
そこにタイミングよく現れるアイリス。
「この辺りの倉庫には取り扱いに注意が必要なものもあるので下手な銃撃戦は控えた方がよろしいでしょう」
暗に俺の射撃の腕を微妙だと言っているようにも思えるが、この事情は向こう側にも当てはまる。
お互いに撃ち合いができないとなれば、どう考えてもこちらに利がある。
「はっはー! これでロケランは使えない。地の利は我にあり、ってやつだな」
「その代わり身体強化能力者や強化外装使用者が有利な展開となります。向こうの独壇場となりますので死ぬ気で逃げてください」
何やってんだこのバカは、と言わんばかりに「やれやれ」と呆れた様子を身振り手振りで見せつけてくる。
何も言い返せずに黙って走り続けていると、隣の倉庫で何かが落ちたような音が聞こえてきた。
恐らく……というか、まず間違いなく倉庫の屋根伝いに移動している者がいる。
しかも複数。
アイリスにサポートを頼んだが、自立兵器はほぼシーラの護衛に使っているらしく、こっちも本気で足掻く必要があるとのこと。
「これだから御主人様は」とそれはそれは良い笑顔で俺を罵るアイリス。
戦術自体は悪くなかったはずなのだが……どうやら相手の戦力の見積もりが甘かったようだ。
銃にばかり気を取られていたのも原因かもしれない。
「このところ、近接戦闘の訓練を、みっちり、積んだからな! 少し、自信が、あるんだよ!」
一応補助プロテクターを付けているので、強化外装ほどではないにしろ常人離れした動きはできるはずである。
にもかかわらず、全力疾走しているのにみるみる距離を詰められている気がするのは気のせいではない。
少しばかり相手を過小評価していたのは否めないようだ。
引き離せるとは思っていなかったが、こんなに早く距離を詰められるのは想定外だ。
とは言え、接近する音同士にも距離はある。
これは追跡者の能力に差があるということだ。
そしてその相手も予想できるので対処法も思いつく。
シーラが警戒した相手――恐らく身体強化済みの襲撃者をアイリスに任せ、俺はもう片方の強化外装使用者を相手にする。
重要なことは「無理に戦う必要がないこと」である。
機械知性体であるアイリスに勝てる人間などいるはずもなく、俺はそちらの決着が着くまで生き残ればよいだけなのだ。
つまりはイージーゲーム。
相手が同数になった時点で優位性が大きくこちらに傾く。
なお、元々の優位性は考えないものとする。
そんなわけで追手の数を絞ることができたので2対2の状況が出来上がる。
要約すると追いつかれた。
息が切れているので時間稼ぎをお願いしたかったのだが、向こう側も後からやってきた黒髪のスーツ姿の男が既に疲労している。
男はスーツを脱ぎ捨て、その下に装着した強化外装を見せつける。
「LXC-2406。ライン社製の軍用モデルか」
「知っているか……まあ、有名どころだし、知っていてもおかしくないか」
俺の呟きを拾った男が反応した。
お互い呼吸を整えるには良い時間稼ぎだ。
この強化外装については、購入する候補に挙がっていたのでカタログスペックくらいだが知っている。
今の俺ならば、ギリギリどうにかできる相手だ。
問題はもう片方――短い茶髪の筋肉を誇示するかのようなタンクトップにジーンズというラフな姿。
全員が武装する中、一人だけ肉弾戦仕様、しかも己の肉体のみという時点でその危険度が推し量れる。
恐らくこいつもうちの護衛対象と同じで戦闘狂だ。
「そっちは任せた」というアイコンタクトをアイリスに送り、強化外装の男へと一歩近づく。
溜息を吐いたアイリスがタンクトップの男に向き直ると、奴は肉食獣を彷彿とさせる鋭い目つきを歪ませ笑う。
「俺の相手はそっちのねーちゃんか。いいね、美人は嫌いじゃない」
「ダミテル。わかっていると思うが……」
「いいじゃねぇか、楽しませろよ。トッド」
どうやら筋肉の方の名前はダミテルといい、俺の正面の男はトッドというようだ。
反応からしてダミテルは扱いにくい奴らしい。
(それでも使われるということは、それだけ腕が良い、ってことだろ)
しかし相手が悪かった。
アルマ・ディーエを一人で相手にするなど自殺に等しい。
事実、こちらよりも先に仕掛けたダミテルは、アイリスに猛スピードで突進するも、華麗に回避されただけでなく、すれ違う瞬間に両手から伸びたプラズマブレードにより切り裂かれた。
その光の軌道を横目に見ていた俺は、一瞬でついた勝負に呆気なさを感じつつも、予想通りの結果に安堵した。
しかし、正面の相手に意識を向けた俺の耳に届いたアイリスの口から出たとは思えない言葉。
「まさか、そんなことが……」
アイリスにしては歯切れの悪い言葉だった。
まるで予想外のことが起きたかのような声に思わずそちらを見てしまった。
それが大きな隙を生み、先手を取られる結果となったにしても、このよそ見はそれだけの意味を持っていた。
「無傷、だと?」
迫りくる拳をプロテクターで保護された腕で受け止め、数メートル後方へと飛ばされた俺は、プラズマブレードで斬られたにもかかわらず、その傷跡が一切見当たらないダミテルの姿に驚愕する。
「残念だったな。そいつは効かねぇ」
不敵に笑うダミテルが「そっちの番だ」とばかりにかかってこいと手振りでアイリスを挑発する。
アイリスはその手に握るプラズマブレードを確認するかのように一振りし、納得がいったのか頷く。
そして両手に握ったプラズマブレードを地面に落とした。
「戦闘を停止します」
唐突なその発言にこの場にいた者全員が眉を顰め、首を傾げた。
ある者はそれが投降の意思と判断し安堵した。
またある者は戦闘を拒否されたことで激怒した。
最後の一人は我が身の危険を察知し、心の中で泣き叫んだ。
そんな彼らの心中など考慮せず、優雅に一礼したアイリスが対面するダミテルに向かい口を開く。
「貴方は我々に可能性を示した。よって私はこれ以上の戦闘を望みません」




