4:逃げた先にもある不運
ステーションを発ってから凡そ8時間――全速力でハイパーレーンへと向かうアトラスの後方には防衛部隊30隻の軍用艦が迫ってきている。
向こうが追手を差し向けたのはこちらが動き始めてから大体2時間後。
その間も引っ切り無しに通信が入ってきており、あの管制室のオッサンから罵詈雑言が飛んできていた。
しかしそれもぱったりと途絶え、ブリッジに静かな時間が戻って来る。
管制室で何かあったのかもしれないが、ようやく出撃し始めた防衛部隊を見て思考を切り替える。
幾ら帝国が強大とは言え、前線から離れている星系に割ける防衛力など微々たるもの。
問題は予想通りに出てきた防衛部隊が船が古すぎた。
型落ちもいいところで、中型艦であるにもかかわらず、この超弩級戦艦アトラスと速度が然程変わらないのだ。
「いや、何世代前の骨董品だよ」と呆れてしまうほどだ。
そんな足の遅い中型艦……恐らく重巡洋艦と速度を合わせているのか、前に出ている駆逐艦が先行するわけでもなく、編隊を組んで追ってきているのだ。
「うん、これ追いつかれないわ」
ちょっと防衛部隊の練度と艦の質が心配になってきた。
こんな非常時に「マニュアル通りにやってます」はないだろう、と思えるのは俺が元傭兵だからだろうか?
ともあれ、これで生存の可能性が十分に出てきたことを今は素直に喜ぶとしよう。
俺が描いていた結末の一つに「軍を釣り出し降伏する」というものがある。
これは上層部が確認せざるを得なくなるほどに騒ぎを大きくなったケースだ。
となれば真相の究明は行われ、僅かでも俺の言い分が通る可能性が生まれる。
また「今回の件で俺は被害者であり、このような不埒なことを企む者を野放しにはできない。よって我が身に代えても事実を詳らかにしてやろうと思った次第であります」とでも言っておけば、情状酌量の余地が生まれるではないかと思われる。
だが、今出てきているのはステーションの防衛部隊。
出てきてほしかったのはこの宙域を管理しているセクターの防衛艦隊である。
こっちは曲がりなりにも最新鋭のドレッドノートなので、型落ち船の防衛部隊では手の出しようがないのか、向こうから積極的な姿勢は見受けられない。
それもそのはず、あそこまで古い船ともなれば、たとえ攻撃したところでアトラスのシールドを突破することすらできないだろう。
武装クラスが3つ違えば戦闘にならないと言われるのが昨今の軍事事情である。
あの防衛部隊がこの最新鋭――クラス5の兵装で固めたアトラスと交戦するのは自殺行為に等しい。
管制室のオッサンは部下に死ねと命じるのがお好きなのか?
恐らくはその辺りの事情で出撃が遅くなったのだとは思うが、下手に交戦しようものなら全滅するとわかっているからこそのサボタージュなのだろうか?
「そういうことなら仕方ないか……だったら状況が良い方向に動くまで、待たせてもらうとするか」
お役所仕事って何処もこんな感じだよな、とこちらの人員が俺一人と判明していないことにホッとする。
戦艦みたいにでかい船を一人で動かすなど到底無理な話。
なので、たとえステーションから離れていたとしても交戦なんぞとてもではないができなかった。
相手の無用な警戒がこの状況を作り出してくれているのだから情報というのは重要だ。
「問題があるとすれば、俺が船に何も持ち込んでいないこと、か……」
そう、俺はこの船に食料を持ち込んでいない。
水は生成できるのでどうとでもなるが、食料ばかりはどうにもならないので持久戦は無理。
「もっと早く動いてくれよ」と願うばかりである。
また、この8時間でこの船に何か積まれているかどうかのチェックはしている。
結果は何もなし。
残っていたデータには艦載機を24機搭載する予定だったのはわかっているが、格納庫にはそれらしきものは見当たらなかった。
あまり中のデータは見ない方がいいと判断し、船を自動航行に任せて艦内を見て回ることにする。
見て回ると言ってもブリッジ周辺のみである。
現状やることがなくて暇なのだ。
加えて少なくとも後最低でも10時間は解消される見込みのない空腹感故に、何かで気を紛らわせていないと落ち着かない。
交渉やら何やらで更に時間が必要であることを考慮すれば、最低でも後丸二日は何も食べることはできないだろう。
帝国軍の持つ緊急用ジャンプドライブならば、幾つもの星系を飛び越えて移動できるので、軍が姿を見せるのは早ければ三日。
仮に軍が出てこなくても、それなりに権限のある人物が出てくるのは間違いない案件である。
「水は生成できるとは言え、飲料水ではないからなぁ」
餓死する前に接触はあると思うが、基本的に船で生成される水は生活用水用であり、飲料用のものではない。
体に害があるわけではないが、味に違和感を覚える程度の違いがある。
その違和感というのが結構気になるものなのだ。
少なくとも常飲したいものではないのは確かであり、当たり前のように船に積み込むための飲料水は何処のステーションでも売っている。
当然そういった水を生成する機器も販売されているが、市販されているものと同じレベルの水を求めるならば、それ相応のお値段となる。
不満のないレベルのものが一台あればそれで事足りるので、ここいらに金に使う傭兵や企業は存外少ない。
軍艦にもそれくらいのものならば設置されていると思ったのだが……これに関しては当てが外れたと言わざるを得ない。
(艦載機がなかったことといい、こいつは就任前のものだったのか?)
しかしこのアトラスを購入した履歴を辿ると「中古品なので4割引き」との記録が存在している。
最前線の防衛用に回された戦艦が何故こんな海賊が少し出る程度の平和な星系にあるのか?
謎は深まるばかりである。
そんなこんなで10時間ほど空きっ腹を水で誤魔化しつつ、距離が縮まる気配のない追手を引き連れ隣接する星系へと移動するべくハイパーレーンに真っ直ぐ向かった。
向こうもこちらの動きがわかっていると思っていたのだが……特段何かするわけもなく指定した座標が見えてくる。
ブリッジでぐったりしながらハイパードライブの起動準備にかかる。
今まで乗ってた船と勝手が違うので時間がかかると思い早めに動く。
ハイパードライブが起動するまで追ってきた防衛部隊の動きを眺めていたのだが……こちらがハイパーレーンへと辿り着くと追跡を諦めたのか進路を変更。
「……おいおい、帰るのかよ」
レーダーに映る光点が回頭し、ステーションへと帰還していく様を見ながらポツリと呟く。
判断材料が乏しいので何とも言えないが、これは予想通り防衛艦隊が出てくると見てよいのだろうか?
(出てくるなら早くしてくれよ、俺が持ちそうにない)
空腹で考えがまとまりそうにない俺が唸っているとハイパードライブが起動。
隣の星系への移動が始まった。
「ハイパードライブ中の景色は変わらないもんだな」
ブリッジの座席の一つに座り、ポツリと感想を溢す。
しばらく高速で流れる星々を眺めていると衝撃のような重力が体に圧しかかる。
俺は小さく息を漏らし、ハイパードライブが無事成功したことを確認するとブリッジから見える宇宙を眺める。
そして、何故防衛部隊が踵を返して撤退したのかを理解した。
防衛部隊は彼らの機嫌を損ねることを恐れ、アトラスを追うことを止めて引き返したのだ。
「あ……」
体感にして10秒――ブリッジから見えるその威容に言葉を奪われ、ようやく絞り出せた声が俺を現実へと引き戻す。
この宇宙を漂うように浮かぶ真っ青な大型の惑星サイズの球体型構造物。
遠目からでも見える様々な防衛装置がその威容を誇っている。
「クオリア……何故こんなところに!?」
「銀河の脅威」とまで言わせしめた最大級の構造物――この宇宙を駆ける者たちが最も遭遇したくない存在がそこにはあった。
TIPS
この銀河では一日が28時間と設定されており、一ヶ月は40日で一周期が10か月。