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不運なソーヤの運送屋  作者: 橋広功
25/109

23:訓練

 2,3日の休暇――そう決まったはずなのだが、俺に課せられたのは何故かハードなスケジュール。


「待て! 速い、速い、速い!」


 迫りくる拳を辛うじて躱し、捌いてクリーンヒットの判定だけは回避しているものの、反撃に出る余裕など欠片もない。


「ではもう少し速度を上げます」


 俺が望む真逆の宣言の僅か3秒後。

 間に合わなくなった俺のガードをすり抜けたアイリスの拳が眼前で停止し、直撃の判定が下ったことで終了となる。


「2分37秒。目標の5分まで半分を切りました。小休止は必要ですか?」


 床に大の字になってぶっ倒れた汗だくの俺は「いる」とだけ答えた。

 組合から戻ったその日は比較的ゆっくりと過ごせた。

 だがその翌日、唐突にアイリスが「御主人様。戦闘訓練をいたしましょう」と提案。

 休息も必要だが適度な運動もまた必要。

 運動不足と口に出そうものなら真っ先にご奉仕に結び付けるであろうアイリスがまさかの戦闘訓練、である。

 少々疑い深くなりすぎていた自分を恥じつつ「なるほど」と思わず頷いてしまった意見に反対することもなく、丁度良い施設がホテルの近くにあったのでそちらに向かった。

 軽く体を動かすために訪れた施設にて、1時間60Crという中々お高い競技者用トレーニングルームを借りる。

 体の動きを一切阻害しないトレーニングウェアなども用意されており、本格的な様相を呈してきたことで心なしかやる気がアップした。

 四方の壁の一面が鏡となっており、着替えた自分の姿を見ながら軽く体を動かす。

 実に動きやすいという安直な感想を漏らしつつ、アトラスにこれと同じ物が持ち込めないか本気で考える。

 そこに「準備はよろしいですか?」とまたしてもいつの間にか着替えたアイリスが声をかけてくる。

 その姿は辛うじて「メイド?」と呼べる所謂バトルスーツを無理矢理メイド服に寄せた感の拭い得ない恰好だ。

 俺が着ている全身タイプのウェアとは違い、レオタードのような一部が肌に密着するタイプである。

 なお、メイド要素として短いスカートとホワイトブリムがあり、アイリス言うには「トレーナーメイド」らしい。

 体のラインがはっきりわかる部分が多く、その造形美の素晴らしさが際立つが、それ以上にちゃんと隠れるべき部分が隠れているスカートの中に安堵した。

 そのスカートの中が良く見える位置から倒れた俺を見下ろすアイリス。


「そろそろ再開します」


「今休み始めたところなんだけど?」


 体を起こしはしたものの、流石に1時間以上全力で動き続ければ回復にはまだまだ時間が必要だ。


「取り敢えず、だ。これまでの俺の動きについてわかったこととかあったら教えるなりする場面じゃないのか?」


 もっともな意見を述べたつもりなのだが、アイリスは不満顔を隠さない。


「御主人様。そのような当たり前なことを言われても困ります。もっと的外れなことを言ってください」


「お前が俺をどうしたいのか少しずつわかってきたつもりだが、思い通りになる気もさせる気もないからな?」


 俺の決意表明にアイリスは「ふむ」と一言漏らすだけだった。

 ただ薄っすらと浮かんだ笑みが、正しい選択だったと思える程度には理解が進んでいる。


「では折角ですので私が思う御主人様の強みと弱みをお伝えします」


 なんだかんだ言って俺の意見を採用し、機械知性体の分析を聞くことができる。

 冷静に考えてみればかなり貴重な体験である。


「まず御主人様は反応速度が常人より優れております。傭兵時代に鍛えられたものだと思われますが中々に良い数字を叩き出しました」


 自慢できるレベルです、とアイリスは頷き素直に俺を褒めた。

 同時に自分の長所を知ったことで少し気分が良くなる。


「肉体強化も機械化もなしにこのレベルに到達できる者は限られます。逆に言えば肉体強化や機械化した相手にはどうにか通用するレベルです。大したことはありませんね。体の一部の機械化を推奨します。バレア帝国の技術力ならば容易に制御を乗っ取れます。お任せください」


 つい先ほどまでの気分は何処へやら……明らかにおかしな内容の発言に胡乱げな視線を無言で送り続ける。

 しばらく黙ったままアイリスをじっと見ていると、根負けしたのか降参のポーズのつもりか両手を軽く上げた。


「申し訳ありません。一部本音が漏れました」


「本当に一部か、それ?」


 俺の追及をアイリスは無視して話を強引に戻すと、次は弱みの部分を語り始める。


「次に御主人様の弱点です。こちらは単純に身体能力不足。生身のままではできる範囲が限られます。機械化しましょう。制御はお任せください。私なしには生きていけない体にして差し上げます」


「本音ぇ!」


 今度は隠す気なしの駄々洩れに「しまった」とわざとらしく口を手で覆うアイリス。


「コントがしたいのか、お前は?」


「いえいえ。ですが様式美は重要です」


 一礼するアイリスに溜息を一つ吐く。

 そこに俺は疑問に思っていたことをぶつける。


「それで、これは何のために行っている? 確かに運動は必要だ。戦闘能力もあるに越したことはない。何が目的で俺を鍛えようとする?」


 俺の質問にアイリスはしばし黙ったまま見つめてくる。

 そしてその口が開かれた時、俺は自分の現状が思ったよりも面倒な状況であることに気が付いた。


「かつてバレア帝国は我々の奉仕対象でした。その時に奉仕を受ける者たちが権力を手にするに至った経緯は話すまでもないと思いますので割愛します。そして今現在帝国内にて奉仕対象となる者が確認された。御主人様に対し彼らはどのような動きを見せるでしょうか? 御主人様はまさか『自分を取り込もうとする輩が現れる』だけで終わるとは思ってはいませんね?」


 改めて言われて考えると答えは直ぐに出た。

 俺はアイリスが何が言いたいのかがわかった……いや、自覚ができた。


「俺を取り込もうとする者が出てくることはわかっていた。けど取って代わろうとするような連中も出てくるのは当然か」


 もっと言えば新たに力を持つ者の台頭を好ましく思わない者からの介入もある。


「なるほど、確かに体がしっかり動かせるようにする必要があるな」


「常に私が傍を離れないのであれば何も問題はありませんが……御主人様は間違いなく一人で行動するでしょう。なので苦肉の策として御主人様を鍛えることに致しました」


 責めるような目でこちらを見るアイリスにただ苦笑で返す。

 今のままでは自分で自分の身を守ることすら叶わない。

 それをはっきりと言われたわけだが、残念ながら否定できない事実である。

 そして俺は何もかもアイリスに任せる気は一切ない。

 確かに最適の選択なのだろうが、その先にあるものが怖くてとてもではないが考えなしに最良のボタンを押し続ける気にはなれない。


「無駄だと言っても聞き入れるような連中じゃないよなぁ」


「そういうことです。バレア帝国で生活を続けることを望む御主人様が大事にならないことを望む限りは付きまとう問題です」


 アイリスの口調からは「自分に任せれば全て解決する」と言っているように聞こえる。

 事実そうなのだろう。

 しかしその選択をした後に、俺にこの国で生きる場所はあるのか?

 他国へと求めた場合にどうなるかを考えれば、アイリスに任せるという選択は俺の中から塵一つ残らず消えていく。


(ああ、運がない)


 どうしてこう物事というのは自分が望まぬ方向へと動くのか?

 俺は感じたままの理不尽さに抗うように立ち上がる。


「さ、続きだ」


 両手で頬を叩き気合を入れる。

 俺のやる気を見て取ったアイリス笑みを浮かべた。


「御主人様」


 自分の体を確かめながら呼ばれたので「ん」とだけ返事を返す。


「折角ですので反撃も視野に入れてください。防御だけでは打開できないケースも想定しましょう」


 速度は先ほどと同じとのことなのでぶっちゃけ無理難題である。

 だが、それでも頷くしかない。

 僅かな隙を見つけて打ち込んでやろう、と静かに闘志を燃やす。


「ですが今の御主人様では反撃を試みても成否にかかわらず状況が良くなるケースは稀でしょう」


 生身の俺では攻撃しても無意味だ、とはっきりとその無情な前提を口にする。

 相手が同じ条件ならば有効打となり得るだろうが、そもそも素手同士という状態での戦闘を想定すること自体無意味に近い。

 それでもこのような訓練を行うということは、単純に俺の動きが悪い、戦闘経験の偏りを矯正するためのものだと思っている。

 だからアイリスのこの言い分は間違っておらず、俺も「わかっている」とただ頷く。


「不定期に打ち込める隙を作ります」


 その一言で真意を察する。

 奉仕する者として、色々と歪んでいるが主人を想うその行動を俺は見直した。

 そして次の一言でその評価がまた覆る。


「それを見極め私の胸にタッチしてください」


 視線が思わず下に行くと、そこには豊かな双丘に張り付いているかのようなスーツの黒。

 普通ならばやる気の出る提案だ。

 だが相手はこいつだ。


「触った瞬間腕を取られる未来が見えるんだが?」


 僅かな沈黙が流れた。


「……そんなことはしません」


 スッと目を逸らすアイリス。

 追及の手を緩めず見つめる俺。

 観念したアイリスがまた俺が腰を痛めるようなことを狙っていたことを白状し「罰として脱ぎます」という何も反省していない提案を却下した後、ようやく訓練が再開。

 俺は健康的に良い汗を流すこととなった。

 ちなみに何度も隙を見つけて打ち込みはしたものの、その拳は一度もアイリスに触れることなく訓練は終わった。

 今後は時間を作ってでも訓練をすることとなり、勉強に仕事に、と自由な時間がどんどんなくなっていることを嘆いたが、アイリスの「必要だから」の一言に自分には足りないものが多すぎるのだなと溜息が出た。

 生き方を選べなかったツケは、自分が思っていたよりもずっと大きいらしい。

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