20:明確な敵意への対処
「これは不要です。これも要りません。こんなものを買ってどうするおつもりですか?」
ショッピングモールにて、俺は没収された携帯端末に表示されているカートの中身をアイリスにチェックされていた。
次々とキャンセルされていく商品に俺は抗議の声を上げる。
「いいか? 人間には娯楽が必要なんだ。長時間船の中で生活する以上、何かしらの楽しみがいるんだよ」
「なるほど。暇を潰す手段が必要なのですね? では勉強の時間とトレーニングの時間を増やしましょう。御主人様に今必要なのは生活環境を向上させるためのものです。ゲームやポルノムービーよりも優先してください」
人通りの激しい往来でそのようなことを言われれば周囲の声や視線が気になってくる。
「そもそも性的欲求の解消を目的とするならば私がいるのでポルノムービーは不要です」
「声がでかい!」
わざと周囲に聞こえるように声を大きくしてのこの発言。
ポイントを加算する指の動きに苛立ちを覚えつつ、地の利がないこの場から離れるべくアイリスの腕を掴んで引っ張る。
だがそれに抵抗するアイリスは俺の態勢を崩すように足を引っかける。
そしてそのままダンスをするようにクルリと体を密着させて俺ごと一回転し、アイリスにリードされるままピタリとポーズを決めると周囲から歓声が上がった。
「御主人様。こちらを尾行している者がおります」
この囁きが彼女の目的だったようだ。
どうしてこんな迂遠なことをしたのかは不明だが、このメイドに理由を問うても納得できる答えが返ってくる気がしない。
取り敢えず頷くことで状況を把握したことを伝える。
相手が誰かなどはどうでもよく、それを指示した人物ならば心当たりがある。
というか一人しかいない。
「なあ、無視していいんじゃないか?」
姿勢を正し、歩き出した俺の後ろに付いたアイリスに聞こえるよう呟く。
「脅威度が低いと言えど明確に敵意を持った行動ですので何かしらの対応は必要かと思われます」
それもそうか、と納得する反面、面倒という単語が俺の頭を過る。
どうせ連中は一般人の枠を出ない。
ならば嫌がらせや迷惑行為が関の山――つまりただ鬱陶しいだけの連中だ。
まさに相手をするのも面倒な連中なのである。
どうしたものかと頭を捻っているとアイリスがこのような提案を出してきた。
「宿泊先を偽装するなど誤った情報を持ち帰らせるなど如何でしょう?」
「定番だな」
相手が直接的な手段に出てきていない以上、打てる手は限られる。
どの道、予約していた宿泊施設へは立ち寄ることになるので、ここは別のホテルで尾行を撒くのが定石だろう。
俺が頷いたことで後ろを歩くアイリスがスッと隣にやって来る。
「候補と致しましてはここか――もしくはこの辺りがよろしいかと」
ホロディスプレイに表示された地図を指差すアイリスを横目に、最も近いポイントを指で軽く突く。
頷いて後ろに下がるアイリスを連れて大通りから外れた道を歩き、辿り着いた先にはピンクの看板が目立つ建物。
「ラブホじゃねぇか!」
思わず振り返って声を荒げてしまう。
「誤った情報を与える点においては最適です。行きましょう」
「行きましょうじゃねぇ」とアイリスを頭を叩き、別の宿泊施設を自分で探してそちらに向かうことにする。
そもそもアトラスの改修が終わるまではこのコロニーからは出ることは叶わない。
10日間もあれば必ず接触することになるのは予測の範疇にあり、そのタイミングを相手の都合良くさせないためにこんなことをしているのである。
宿泊地を誤魔化すだけで充分であると考える俺としては、無意味に他の情報を与えることに賛成できないのだ。
その旨を伝えたところ、アイリスはどう解釈したのか以下のような返事をする。
「ホテルでお楽しみになられるのですね。かしこまりました」
「何で楽しむことが前提なんだよ」
「ポルノムービーを買い漁られておりましたのでてっきり欲求不満の意思表示かと思いました。それと尾行の人数が増えております。どうやらモーン・ハイドリッシュは本気で御主人様と敵対する模様です」
前半部分を聞かなかったことにした俺はその情報に「へぇ」と小さく呟いた。
傭兵同士ならば諍い事などよくある話だ。
しかし今はただの運送屋であり、さっきの男はそんな俺を本腰入れて嗅ぎまわり始めた。
「また御主人様の会社の情報にアクセスした記録がございます。こちらの情報を入手したことで『容易く潰せる相手』と認識しての愚行かと推測いたしますが――如何なさいますか?」
「決まってる。返り討ちだ……と言いたいが、向こうから先に手を出させないとマズいよな?」
そうなります、と小さく一礼するアイリス。
「なので相手がこちらに手を出しやすくするために煽りましょう」
アイリスからまさかの俺好みな提案が出てきた。
これには俺も反対の意思などなく、快諾を示すようにニヤリと笑う。
敵対するなら容赦はしない。
「舐められたら終わり」は傭兵稼業では鉄則であり、他の業界でも共通した認識のはずだ。
やるからにはしっかりと叩き潰させてもらうとしよう。
そんなわけで予約していたホテルに到着。
人数が増え、ローテーションでの尾行が本格化したことで「気づいていることを悟られずに振り切ることは難しい」との判断からこちらの所在は明かしてやることにした。
そこそこ良いホテルなので警備の質も高く、直接何かをするには難しい場所だ。
アイリスの予想では従業員を買収し、盗聴を仕掛けてくると思われるので、それを逆手にとって相手を暴発させるように仕向ける方向で話を進める。
なお、俺の安全についてはアイリスが「私がおりますので危険などないも同然です」と言い切っている。
それ以前にモーン・ハイドリッシュが動かせる人員には限りがあり、資金や人脈を考慮しても俺が余程馬鹿な行動を取らなければ問題は発生しない、とのことである。
方針が決まったので一度ホテルから出て相手が工作するための時間を作ってやる。
ではその間何処に行くのかと言えば――現在アイリスと相談中である。
「普通に考えるなら仕事周りだよな」
組合の方に出向いて今ある依頼を調べることは間違いなく有意義な時間の使い方だ。
「普通すぎて面白味がありません。ここは先ほどのホテルに戻ってたっぷりご奉仕されることで時間を潰しつつ相手を煽っていきましょう」
「却下」とアイリスの提案を即座に退ける。
露骨に不満そうな顔をするアイリスだが、これには一応ちゃんとした理由がある。
まず一つは時間。
今からあのホテルに戻ってご休憩とするには時間が中途半端なのだ。
ここでの夕食はそれなりに高いホテルであることからも期待しており、こっちを疎かにする気は一切ない。
食の楽しみを覚えて間もない俺としては、ここは絶対に外せない、外したくないのだ。
時間指定のビュッフェ形式を体験しなくては、数あるホテルの中からここを選んだ意味がない。
もう一つの理由は単純に「怖い」から。
確かにアイリスの奉仕は恐らく一般人が知り得る快楽とは次元の違うものなのだろう。
しかしその気持ちよさ以上、恐怖が顔を覗かせる。
機械知性体の得体の知れなさはもとより、彼女が求める主人の像があまりに俺の生き方からかけ離れているのだ。
身を任せば破滅――そんな未来を幻視してしまい、アイリスとは一定の距離を保つように心掛けている。
問題は力関係が完全に相手側に傾いているため、俺がどれだけ抵抗しようが最終的には押し切られることにある。
理性に過労死するほど働いてもらうことで前回は耐えることができたが、次も大丈夫とは限らない。
「ダメな人間だから」という理由で奉仕対象となったが、完全に堕落した俺を見てもまだ主人として扱われるか?
今の俺はアルマ・ディーエから見放されれば、あっという間に帝国の闇に飲み込まれるほどに矮小な存在だ。
「御主人様」という名札の付いた首輪は、いつでも俺の首を落とすことができる。
その手綱を握られている以上、確証を手にするまでは俺は俺のままであり続ける必要がある。
元傭兵の俺にとって、荒事は日常茶飯事と言っても過言ではない。
故に、ただの運送屋になった俺には彼らが馬鹿を仕出かしてくれることは大変有難い。
どうせ嫌がらせ程度の迷惑行為しかできない面倒な連中だろうと思っていたが、相手が本気で動いてくれるのであれば、これほど有難いことはない。
俺が俺のままであるために、元傭兵が傭兵らしくあるために、わざわざ糧になってくれるというならば、俺は全力で彼らを迎え撃つ。
(´・ω・`)次回はおまけ回。




