102:踏み抜いていた罠
(´・ω・`)風呂上りに冷房つけたまま寝落ち。皆も気を付けよう。
「御主人様に良い知らせと悪い知らせがあります」
帰りに用意された客船の中、唐突にアイリスがそう言った。
船内を一通り見て回り、行きとの違いをしっかりと確認した翌日、客室で目を覚ましたところでこのセリフである。
「それ知ってるわ。実はどっちも悪い知らせだった、ってオチだろ?」
言葉通りに受け取るほど俺は素直な人間ではなく、同様にこれまでの経験から馬鹿正直に話すことなどあり得ないと判断せざるを得ないのがアイリスである。
そんな俺の態度を「心外です」とばかりに不機嫌そうにアイリスはこちらを睨む。
「良い知らせですが御主人様にファンクラブができました」
何事かとしばし考え「動画のことか」と一発でアタリを引く。
「悪い知らせですが折角の撮れ高が機密案件に抵触したため削除されました」
「あの皇帝のかー……」
かなり高評価を獲得していたらしいのだが、削除されてしまったため収益が発生しないとのことである。
ならば他に動画を上げれば良いのではないか?
そう思ったのだが、基本的に月々の投稿数には制限があるらしい。
聞けば制限を設けなければ作品であふれかえるとのことである。
「動画作成が下手すれば数秒で終わる世界ならそうなるのか」
そのような感想を呟きつつ、身支度を整えた俺は食事のためにレストランへと向かう。
となれば道中話の続きをするのが自然な流れとなる。
「しかしファンクラブかー……なんか嬉しいような恥ずかしいような」
少なくとも今後の収益――それも数少ないクラウンを稼ぐ手段なので、利益という観点からすれば非常に良い話であることは間違いない。
「ちなみに分類はコメディアンです」
「あれ? お前とのやり取りってコント扱いされてんの?」
笑いを提供しているつもりもなければ、笑いものにされるつもりもない。
プライドで飯は食えないし借金の返済もできないが、一応の確認を込めての発言に対し、アイリスは「そうではなく」と手振りで否定する。
「先日の皇帝との一件で表と裏の両者に市民IDの変更を依頼しました。これにより表と裏でブッキングが発生。あらぬ疑いが私にかけられました。本当に余計なことをしやがりますね」
おまけに表が裏の介入に気づいたことでさらに事態がややこしくなっているとのことである。
このファインプレーに対し「文字通り人生を賭けたコメディー」やら「これだから有機生命体の観察は止められない」だの嬉しくないコメントを次々と読み上げるアイリス。
「娯楽を提供するってのは、案外辛いものなんだな」
図らずしもアイリスに対する嫌がらせとなったことで、一瞬出てしまった本音の部分を隠そうしたが遅かった。
顔面にめり込む指を外す努力をすることなく、伸びた腕をペシペシ叩いて降参の意思表示。
「思考くらい好きにさせてくれないか?」という俺の意見を「なら顔に出さないでください」と一蹴するアイリス。
なお、蓄積されたデータが豊富なので表情に変化がなくとも何を考えているのか正確に当ててくる。
どうしろと言うのか?
ともあれ、レストランに到着したので席に座って豪勢な朝食を注文。
待ち時間を再び会話に費やすことになるが、そうなると話題は当然未だ決まっていない今後の話となってくる。
「タイタンと互換性のある砲はまだ売れる。シールドも売れる。けど他は全滅か……」
船体を改修したのがやはり致命的だった。
それさえなければ相応の額で手放すチャンスはあったのは間違いない。
「面倒事から離れるために活動範囲を帝国に限定しないことは結構です。問題は同等の金額を稼ぐことが可能な船を購入した場合に発生する資金不足。仮にこれを解決してもまだ問題は山積み。何より国境を超えるには御主人様は少々やらかしすぎております」
「もっと言えば、お前の存在がある限り国を跨いで仕事するのは無理そうだけどな」
「私がいなければ死ぬまで稼いでも返済額には到底届きません。それ以前に機密情報を狙う者に暗殺されてお終いです。アトラスを手放した後であっても結果は変わりません」
わかりきったことを言うアイリスに俺は「儘ならんなぁ」と溜息を溢す。
「アレではありませんが……御主人様は少々強欲が過ぎると思われます」
そう言って運ばれてきた料理を上品に切り分け口へと運ぶアイリス。
「そっちも貪欲にデータ収集してるよな?」
「当然です。クオリアの外にいる以上はデータを集めることは業務の範疇です」
口を閉じて咀嚼しつつも聞こえてくるアイリスの声。
違和感を覚える光景を前にパンを千切って口へと運ぶ。
「おや? パンは天然物のようですね」
俺が食べる姿を見ていたアイリスが意外そうにそう言った。
そうなのか、と違いがわからず首を動かしながらじっくりと味わってみるが……やはりどこがどう違うかなどさっぱりわからない。
注文を追加したアイリスから視線を外し、背もたれに背中を押し付けるようにして天井を見上げる。
取り付けられた照明一つ見ても高そうな内装である。
少数をもてなす豪華客船というだけあって室内はあまり広くない。
白を基調とした清潔感の色合いと木製と思しきものがチラホラを目に入る高級感。
流石にこんなものは自分の船には必要ない。
僅かではあれ、多少の憧れはあることは確かだが、それは求めるほどではない。
「強欲か……」
言われてみればそうなのかもしれない。
如何なる理不尽も撥ね退ける――そんな力を持つことは到底無理だ。
無理だからこそ願望なのだ。
それ以前に力を持ちすぎれば脅威となり排除されることも視野に入れなくてはならない。
最早願望ではなくただの夢想である。
そんな当たり前のことを口にすれば強欲と呆れられるのも当然だろう。
どうやら俺は自分が思っていたよりもずっとガキだったようだ。
「そういうプレイをご希望ですか?」
「だからなんでお前はそっちの方向に結び付けたがるんだ?」
運ばれてきたバスケットに入ったパンを食べるアイリスに「思考を読むな」と付け加える。
「私も奉仕者。御主人様がそれを望むと言うのであればご期待にお応えしますが……特殊プレイはほどほどにした方がよいと諫言させていただきます」
「望んでないからな?」
アイリスの言葉をしっかり否定する。
「というか……こんなやり取りばかりしてるからコメディアン扱いなんじゃないだろうな?」
「違います。御主人様の生き様ほどコメディーに満ち溢れておりません」
それはそれは真面目な顔できっぱりと断言するアイリス。
思わず笑顔で「一発殴らせろ」と言った俺は間違っていない。
「食欲の次は性欲ですか?」
「誰も『やらせろ』とは言ってない。お前らが聞き間違えるはずないだろうが」
俺は大きく溜息を吐いてこの不毛なやり取りを終わらせる。
そして頭を切り替えて現状考えるべきことをピックアップ。
(影の皇帝については向こう次第。後手に回る外ないのは少し怖いが、こちらが大人しくしている限りは恐らく大丈夫だ。となると、今考えるべきことは……あいつか)
かかわってしまったお家騒動。
そしてかかわりたくない暴力幼女。
一度はそちらの陣営についていた以上、避けては通れぬ関係の清算。
皇帝の介入でどのような形で落ち着くことになるかは不明だが、俺が長引かせる一因となったのは間違いなく、それを恨んで何かしらの報復があることも視野に入れなくてはならない。
「こうして改めて考えると貴族絡みは本当に面倒だな」
ぼやきながら最後に残ったサラダを口へと運ぶ。
そこにアイドルの厄介事も控えている。
愚痴や溜息が零れるのも致し方ないというものである。
しかし俺には機械知性体という反則としか言いようのない強い味方がいる。
だから俺は聞いた。
今、俺がこれらの問題に対処するために必要不可欠なもの――それは情報だ。
「動画作成の関係上ネタバレは控えさせていただきます」
口元を紙で上品に拭うアイリスは俺の要請をきっぱりと拒否した。
「いや、教えてくれないと困るんだが?」
「再生数を伸ばすためには必要なことです。まずは独力で立ち向かってください」
この言葉に俺は違和感を覚える。
奉仕者であるアイリスならばここぞとばかりに自分を頼らせようとしてくるはずだ。
しかし今回は明らかに面白くなるように誘導しているように見える。
そこで俺は気が付いた。
「……まさかとは思うが、このための動画作成か?」
「今頃お気づきになったのですか?」
呆れたような物言いに表情が歪む俺。
気づかず俺はアイリスに提供する情報を取捨選択できる理由を与えていた。
しかしそれはアイリスの掲げる堕落主義に反するのではないか?
それを問うてみたところ、このような答えが返ってきた。
「今回の件では御主人様に命の危機はないと判断しました。同様に対処に失敗した場合の依存度の上昇が信用の低下を上回る結果となります。何も問題はありません」
「それ聞いて信用問題に発展しないとでも?」
俺がそう言うとわざとらしく「しまった」と両手で口を押えるメイド。
静かに席を立った俺はその憎たらしい顔を抓るべく両手を伸ばし、その頬に触れる直前に両腕を掴まれ、捻り上げられる同時に体勢を崩されて担ぎ上げられた。
そしてそのままレストランから運び出される。
「何処行く気だー?」
「スキンシップをご所望とあらば丁度よい施設がございます」
「だから何処行く気だー?」
逆さまで肩に担がれた俺の声が客船の廊下に虚しく響く。
結局その日一日はいつも通りにいい様にやられる結果に終わった。