第十三章 友との決着
第十三章 友との決着
刃物で刺されたヘルメスの背から流れ出た血は、極僅かだった。ゲオルグの持つ禍々しいナイフの刃先から垂れる血と、刃を抜かれたときに噴き出た血だけ。
傷口は素早く石化し、それに反応するようにヘルメスは悲痛の叫び声を上げる。
「苦しそうだねヘルメス。今、楽にしてあげるよ」
ゲオルグはニタリと笑みを浮かべ、一切の迷いなく、床で転げ回るヘルメスにナイフを再び突きたてようとした……が、そのナイフは宙に弾き飛ばされた。
「そうはさせん! これ以上、貴様に手出しはさせない。我が貴様を、斬って捨てる!」
ミチヒサは大太刀を構えると、その刃を見た。そこからは黒い煙が小さく発せられており、シューシューと音を立てている。
「む……。僅かだが、そのナイフは生物以外にも効果があるのか……」
ミチヒサの視線が刃に奪われている隙に、ゲオルグは素早くナイフを拾った。
彼等は無言で構えると、相手の目を見ながらジリジリと間合いを取り合う。
「いいのかな? そんなに慎重に攻めても。早く治療しないと、ヘルメスが死んじゃうよ?」
ゲオルグの冷酷な笑みと共に告げられた言葉に、ミチヒサはギクッと一瞬、床で悶えるヘルメスを見た。
それを待っていたとばかりに、ゲオルグの目が大きく開かれ、ナイフを手にミチヒサに襲い掛かった。
「……速い!」
まるで瞬間移動したかのように間合いを詰められる。密着すれば、長い武器を手にしているミチヒサは攻撃の隙をなかなか見つけられずに、ただただナイフによる相手の無数の攻撃を回避することしかできない。
「あはははは! 言ったはずだよ、この武器は拷問用だと。一突きで死ぬほど致死量は高くないさ」
先のゲオルグの言葉はミチヒサの隙を作るための虚言だったのだ。ミチヒサは一度距離を取ろうとするが、相手がそれを執拗な攻撃で許さない。
「ぁがああぁぁああ!」
突然、床で悶えるヘルメスの声が大きくなった。赤い蒸気のようなものが彼の体から立ち上っている。
「うるさいぞ。君は後で始末してやるから、少し黙っていてくれないか?」
そんなヘルメスには目もくれず、冷たく言い放つゲオルグ。ミチヒサに攻撃を続ける彼の目には、ヘルメスの姿は目に映っていない。
「……力が、抑えられない……! 魔力が……爆発する!」
苦しみながらのその言葉と同時に、彼の背中、その傷を中心とした巨大な爆発が起きた。
ヘルメスはあまりの激痛に、力をセーブしきれなくなったのだ。爆発後も、体内の魔力が傷から体外にとめどなく溢れ出ている。
鳴り響く轟音と崩壊する周囲。ゲオルグは舌打ち一つ残して回避行動を取る。
「その首、もらった!」
訪れた好機を逃すまいと、ミチヒサはすかさず攻撃に出る。しかしゲオルグはその動きに素早く反応し、ナイフで迎撃の構えを取った。彼らは互いの武器を手に肉薄する。一度、二度、刃が鋭い音を響かせて交差し、それぞれの身体に切っ先が迫る。
「相討ち覚悟かい? この武器を相手に……見上げた根性だよ」
「痛みなどどうでもいい。貴様をここで討てるのならば!」
あと数センチメートルで接触というところで、二人の間に向かって鋭い雷が走る。彼等は急襲を察知すると互いに大きく飛び退いた。そうして間合いが切れたところで、戦いが途切れる。
「邪魔をするなヘルメス! コイツは危険だ!」
もの凄い剣幕で睨むミチヒサ。ヘルメスはその眉のつり上がった顔を睨み返す。
「ゲオルグは、俺が止める」
ヘルメスは変わり果てた友人に杖を向ける。友の光さえも吸い込むような漆黒の瞳を見つめ、ジリジリと間合いを詰めていく。
「殺せるのか? 己が友を」
「止めるんだ。俺はコイツを、助けてみせる!」
思い出されるのは、ホムンクルス達を葬った時のミチヒサだ。ヘルメスも彼らを殺しはしたが、罪悪感で胸がいっぱいになっていた。だがミチヒサは違う。命を奪っても、何も感じないようなのだ。そんな彼をゲオルグと戦わせようものならば、彼は何のためらいもなく切り捨てるだろう。
ヘルメスの構えた杖の先に、パリパリと電気が迸っている。臨戦態勢だ。しかしその電気は不安定なリズムで、時折消えたりもしている。ゲオルグに負わされた傷が、これ以上ないくらいに痛むのだ。毒や痛みで、立っていることすら難しい。
「黙って寝ていろ。死に損ないが僕に勝てる訳ないだろ」
ゲオルグの見下したような視線が、汗だくのヘルメスの顔に注がれる。ミチヒサはそれを遮るように間に立った。
「止めるだと? こんな見たことのない症状をどうやって治すと言うのだ。戦争というのは油断をすれば足元をすくわれる。僅かでも敵に可能性を残してはいけない。殺すんだ!」
「治せる可能性ならある。錬金術を学んだレアードがいる! 俺は絶対に命を軽視しない!」
痛みで歪んだ顔を、歯を食いしばり元に戻す。毒も傷を覆っていた石も、先の爆発のおかげか、今はもうない。代わりに多量の血液が溢れ出てきている。
「わかった。ここは任せよう。だが君が敗れそうになったその時は……」
ミチヒサは二人の間から身を引いた。彼の言葉にヘルメスはコクンと頷き、杖に魔力を流し込んでいく。
間合い、中心を、二人はゆっくりと弧を描くような動きで奪い合う。彼等は瞬きもせず、タラリと流れる汗も拭わない。
どれほど時間が経っただろうか。長い攻め合いの末、先に仕掛けたのはゲオルグだった。黒々とした眼から、触れたものを焼き尽くす光線が放たれる。
ノーモーションにして高速の攻撃。だがヘルメスは見事にそれに反応し、ほぼ同時に杖から雷を飛ばす。
二人の攻撃は接触し、均衡状態になった。ゲオルグは黒い血管をビキビキと浮かび上がらせ、光線の威力を高めていく。それに伴い、均衡も徐々に崩れる。
「お前、言ってたよな……」
ヘルメスは杖を握る手に力を込めてポツリと呟いた。
「何をだい? 死に損ないの出来そこない君?」
赤い息と共に吐き出される、ゲオルグの残忍な言葉。それを聞いたヘルメスは眼にうっすらと涙を浮かべ、叫び出した。
「お前、嬉しそうに言ってたじゃないか! 『錬金術は人を幸せにする』って! 戦争でたくさんの人を殺すのが、幸せにするってことなのかよ!」
その声に呼応するように、崩れた均衡が元に戻っていく。
「それは過程にすぎない。大切なのは結果さ」
ゲオルグが更に力を注いでも、今度は力の接点が動かない。緑の汗が、彼の頬を伝っている。
「未来の人も、今の人も! 同じ命なんだ! どちらか片方を不幸にするなんて、そんなのダメに決まってるだろ!」
均衡が再び崩れる。ただし、先ほどとは逆の方向に。
ゲオルグの顔からは完全に余裕が消え、歯をむき出しにして食い下がる。
「そんなこともわからないのかよ! このバカヤロォーーーーーー!」
巨大な叫び声が周囲に響き渡る。それと同時に力がゲオルグの方に押されていく。
変わり果てた彼にその声が届くと同時に、ヘルメスの雷がその体を貫く。ゲオルグはゆっくりと宙を舞い、力無く墜落し、ピクリとも動かなくなった。
ヘルメスとミチヒサが彼に駆け寄る。
「仮死状態か」
グッタリと横たわるゲオルグを観察し、ミチヒサが言った。
「拘束、現状態を維持」
ヘルメスが杖を振ると、ゲオルグの体を淡い光が包み込んだ。
「後はレアードに任せるという訳か。本当に治せるのだろうな?」
「何をされたかは知らないけど、見込みはあるよ。コイツの武器、一見すると残虐だけど……一撃必殺の武器じゃない。俺はこの武器を選んだのが、コイツの僅かでも残った良心だと思ってる。だからコイツの心は、まだ残ってるはずなんだ」
少しの間、二人はゲオルグの姿を見下ろしていた。形は人のものとは思えない顔だったが、表情は穏やかだった。
「さて、行くか。ここからが正念場だぞ、ヘルメス」
彼等は静かになった人気のない学校内を、奥に向かって進んで行った。