もう一つの情報化社会
実家のゴミを片付けていたら製本された論文が出てきました
実家のゴミ捨てをしていたら、製本された卒業論文が出てきました。
法政は首相を輩出しましたが、それより江川の出身校であることで
知られており、飯田橋体育専門学校、言いたい放題とまで言われていた
頃に在籍していたものです。
首相が入学した学費が安いという理由で入学したのも同じですが、
入ってみると、2年生からゼミに入れてくれて、一般教養でも論理学
と言論だけは単位が落とせない仕組みがあり、論文が書けるように
なって卒業させてくれるという特徴があります。
書けるというのは、それなりに多くの人と交流するわけですが
ゼミだけでなく
留学生 多かった
他校生 早稲田が入り込んでスト
附属校 高校からの持ち上がり
と、縦横斜めの交流を泳ぎきって世にでた感じです。
ゼミは、後に日本のヘーゲルの父と呼ばれるまでなった
寿福(字が違います)ゼミに入ったのですが、当時ベルリンの壁が
崩壊するのを見に行って留守にしたため、先に学部長になった高橋先生に
3年は編入されて、卒業の時点では別の先生が卒論を担当してくれました。
高橋先生が担当されていたら、読みもされなかったであろう稚拙な論文が
その先生のおかげで、関連する書簡や背景を補足整理されてハードカバーで
製本されて自宅に届けられていたことに、今になって気がつき見直しています。
寿福先生は、10年くらい前にゼミの総決算といった集まりをしてくれましたので
国内外への関わりが分かりましたが、高橋先生は、そうしたことがなかったので
製本された論文に添付された家永三郎先生との書簡の写しで一部だけ垣間見ることが
できました。
それにしても、この製本をしてくれた卒論を担当された先生は、まだ健在だと
思われますが、今はどうしているのでしょうか?
肝心の自分の書いたものですが、今となっては論理が複雑すぎて苦手な部類に
思えているので、感想だけでも聞かせていただきたい。
製本された経緯がわからないままです




