『S』と『M』
僕の彼女はいたずら好きである。
しかも、それは基本的にエロ方面。
電車移動中は繋いだ手に絡んで、胸をパフパフさせてきたり、手を内腿へ誘導してきたり…
僕をからかっている様で、いつか仕返しをしてやろうと考えている。
映画館へ来た僕達は、チケットを買いにカウンターへ並んだ。
休日の昼過ぎ、そこそこの賑わいである。
「ねぇ、ねぇ、ナオキ。
SMってあるやん?」
このタイミングでこの会話。
これはいたずらの一環な気がする。
「ドSとか、そういうやつ?」
周りを気にしつつも、小さな声で返事をする。
彼女はいつだって、周りを気にしないけど。
「ナオキはぱっと見Sやけど、Mやんな!」
カラッと晴れ渡ったかの様に笑う彼女。
すかさず、周囲の目も気にせず否定をする。
「いや、ちゃうし。そんな訳ないやん。
Sやし!しかもドS!」
可愛い女の子をいじめるのは、やはり男としてはよくある事だろう。
しょーもない、小学生のスカートめくりから、大人な焦らしテクニックまで。
誰しも男は一度は好きな子をいじめるもんだと思う。
「ミサは…見たまんまMやな。」
彼女の恥ずかしそうな姿は、かなり可愛い。
涙目になって震えたりすれば、僕はおそらく自分を見失うだろう。
「えー…どうかなー…」
なにやらひとりで考え込み始めた彼女を連れて歩く。
チケット、飲み物を買って、早めにスクリーンへと向かう。
すでに、何人かがまばらに腰掛けているが、すんなりと座席までたどり着いた。
あまりにも静かに考え事をしている彼女をじっと見つめる。
普段からメガネをかけている彼女の目を見る。
横からみると、案外まつ毛が長い。
白い肌に薄ピンクの頬、髪をサイドでひとつにまとめていて、後れ毛がなんだか色っぽく感じる。
少し暗くなった映画館にムードを盛り上げられている気になってしまう。
ふいに彼女がこちらを見て言い放つ。
「あたしは…肉体的M、精神的Sって感じかなぁ。」
…謎です。
高鳴る鼓動が疑問に変わり、次第に僕まで悩み出す。
「それって…」
上映が始まると彼女は真剣な顔つきでスクリーンに向かう。
その、凛とした座り方に僕もつられて真面目になる。
疑問は晴れないので、なんだかモヤモヤしたまま、次第に映画に引き込まれていった。
…
……
ー…ザワザワ…ザワザワ…ー
映画も終わり、満足した表情の彼女。
少し小腹が空いたようなので、映画館の周辺をウロウロする。
…まぁ、僕はスプラッター後に空腹感は絶対に感じないけど。
手頃な店に入り、注文を終え席に着く。
そして彼女は僕に話しかけた。
「そもそも、SMって最近じゃソフトSMとかあるやん?
言葉そのものに多様性があると思うんよね。」
映画の話はしないんだ…
僕は驚いたけど、映画が始まる前の言葉が忘れられなかったので、少し掘り下げた。
「んー…もともとはサドとマゾやろ?」
“肉体的M、精神的S”
そのままサド、マゾで良いのだろうか?
少し違う気がする。
「それよ。
俺はドSって言ったら、人を殺しかけるほどいじめる事に興奮しますって事ですかー?ってならん?」
あ、いや、僕はそんな事ないです。
嫌がる姿とか、涙目とかを嗜む程度で…って、普段使うSMはその程度の意味なんじゃないかな…?
「確かに…気軽に使ってるからなぁ。
いじめるのが好きやからS!って感じやん。」
彼女の顔を見ても先程の言葉の答えは見えない。
「サドとか、いじり役とか…オラオラ系、みたいな?」
彼女が小首を傾げる様は小動物のようで愛らしい。
僕がうなづくと、彼女も何故かうなづく。
「同じSMでも、人によって温度差がある言葉なんかなー…」
…もしかしてこれは深い意味があったんだろうか。
また突然なカミングアウトか!?
「サディスト、マゾヒストって言ったらガチなやつやんってなるんやけどねー。」
そう笑う彼女に陰りは見えない。
どうやら、今回は違うらしい。
危うく、真剣に勉強した方がいいのか悩むところだった。
同じ言葉のはずでも意味が違って聞こえるのは、一般的な使用のされ方に問題があるかもしれない。
…でもさ、この会話はここでしなくても良くないかな?
映画館近くのハンバーガーショップ。
夕方、人通りも多く、混雑した店の中、恥ずかしげもなくSMについて語る彼女とそれを静かに聞く僕。
僕達は間違いなく目立っている。
彼女がポテトを食べ終わったので、僕は急ぎ足で机を片付け席を立つ。
するりと僕の手を絡め取った彼女は、普段見ないような顔で呟いた。
「ナオキ相手なら…精神的にはSだけど、肉体的にはMかな。」
付き合って、ふた月いかないくらい。
ぼくの彼女への愛情は少しずつ膨らんでいく。
謎も深まるばかりだ。
あとになってから知ったけど、僕は『S』で、彼女は『M』。
もしかしたら、そんな関係なのかも知れないと思った。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。