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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
エピローグ
93/93

ラストダンスはあなたと


 やがて最後の曲が終わり、青空の下の大舞踏会は閉幕を迎えた。観客のソイニンヴァーラ王国から来た貴婦人が、ベルンシュタインの方と踊るのは初めてでしたわと上気した顔で話している。パンセ共和国から来た初老の男性は、膝を痛めてから長年踊っていなかったが、ベルンシュタイン皇帝とソイニンヴァーラ王女のダンスを見て数十年に踊ったと笑っている。チェッリーニ司教国から来た赤毛の少女は、今度は末の妹も連れてこようと両親に強請っている。

 そんな光景を見ていると、ロアの胸は喜びでいっぱいになった。今日までの努力がその何倍もの成果をもたらしたと思えた。


「控え目に言って大成功ですね」


 閉会式の準備が進む中、本部テントを訪れたキール公子はそう言って手を差し出した。ロアは笑ってその手を取った。


「そう思ってるのが私だけじゃなくて、よかったです。キールさんも、婚約おめでとうございます」


「いやあ、ほっとしましたよ。朝も昼も緊張でろくに食べられなかったので、今とてもお腹が空いています」


 笑顔で腹を撫でさするキールを見て、ロアはまた笑った。


「ドゥラカは……フィアンセはどちらに?」


「一族の皆さんに報告に行っています。僕抜きで話したいことがあると、追い払われてしまって」


 ドゥラカの血族の話になると不安があるのか、キールは少し表情を曇らせた。


「大丈夫ですよ。ドゥラカは一度決めたことを曲げたりしません」


 ロアの言葉に微笑んだキールの厚い肩に、ぽんと気安く大きな手が乗せられる。


「やあキール。おめでとう」


「ああ、ユリシーズ王子」


 ユリシーズはすっかりいつもの表情だった。


「あなたにも祝福を。あなたとソイニンヴァーラの三王女の舵取り無くして、今日の成功はあり得ませんでした」


 二人は握手を交わした。


「僕はただ間に立って、ちょこちょこと調整しただけさ。船のエンジンも舵取りも彼女達だ」


 視線を向けられたロアは、首を横に振った。


「みんながいたから。ユリシーズも王女達もキールさんもドゥラカも、みんなが協力してくれたから上手く行ったんです。本当にありがとうございました」


 ロアがぺこりと頭を下げたその時、後ろ側の天幕が捲られた。


「閉会式の準備ができました」


 三人は視線を混ぜ合わせた。ユリシーズがニヤリと笑ってロアに流し目を送る。


「終わり良ければ全て良し、だ」


 逆に言えば最後で失敗すれば台無しだと圧を掛けるユリシーズを、ロアは半眼で睨んだ。


「あんまりプレッシャー掛けたら、またあなたの足を踏んじゃうよ」


 その言葉にユリシーズとキール公子は笑った。頑張って下さいねと言ってキールが手を振る。係員に促され、ロア達は天幕を出る。


 レース場にはまだ、舞踏会の熱気が残っているようだった。馬場は蹄の跡ではなく靴跡で凸凹している。観客席は開会式の前よりもずっと陽気にざわついていた。人々の表情は明るく朗らかでロアは嬉しかったが、閉会式の挨拶は自分なので胸はドキドキしていた。ぎくしゃくした歩き方で、白い踏み台の前まで歩み出る。


「それでは、恐れ多くもベルンシュタイン帝国の皇帝陛下に代わりまして、ロア・ジャンメール騎手より閉会のご挨拶を賜ります」


 右足から台に上がるか左足から上がるか迷ってつんのめりそうになりながら、どうにかロアは台の上に立つ。レースで優勝した後にこうして台上でコメントをした経験は何度もあったが、主催者の一人として挨拶するのは当然初めてだ。会場にぎっしりと並んだ観客の目が自分に注がれている。

 小刻みに震える手で、ロアは胸ポケットからスピーチの全文を書いたメモを取り出した。紙を広げて顔を上げると、観客全員と目が合った気がして頭がくらりとした。


 最初の一言がなかなか出せずに言葉に詰まっていると、隣のユリシーズがロアの背中にそっと手を当てた。目と目が合う。ユリシーズは微笑んで小さく頷いた。すっかりいつもの、余裕綽々のウィンフィールド王子だ。ロアは羨ましいような頼もしいような気持ちになりながら、微笑んで視線を前に戻し大きく息を吸って胸を反らした。


「えー、た、ただいまあの……紹介された……いえ、ご紹介に預かりました、ベルンシュタイン帝国で騎手をしております、ロア・ジャンメールです」


 喉がからからに渇いている。言葉を切ると、これだけの人数がいるにも関わらずしんとした静寂が耳に痛かった。


「……えっと、あのう……」


 もじもじと無意味にメモを揉みしだくと、手汗で紙が湿気っていく。


「どうした主催者ー、聞こえねえぞー!」


 観客席の最前列にいたドゥラカが、ニヤニヤ笑いながら野次ってきた。隣ではキール公子が微笑んでいる。ロアは小さく笑い、そのおかげで緊張が少しほぐれた。


「あー、今、ドゥラカ騎手から声が小さいと怒られました。すみません。こういうの初めてで、緊張しちゃって……」


 あまりに不慣れな挨拶に、一部の観客が笑った。その声でロアはますますほっとした。


「えっと、とにかく。今日この『花曇賞』を開催して、無事に終えることができて、すごく嬉しいです。もう何というか、胸がいっぱいで。最高の気分です。色々ここで話すことを考えて、紙に書いてきたんですが……」


 用意した紙を読むだけで観客に気持ちが伝わるだろうかと、ロアは迷う。


「読むなら朗読! 喋るからスピーチ!」


 矮躯の道化が花冠を放り投げて、それを手を使わずに直接頭で受け止めて被りながら叫んだ。観客がどっと笑い、ロアもますます笑顔で頷く。


「そうですね。レースを盛り上げてくれた、功労者の言うとおりにします」


 思い切ってメモを畳み、胸ポケットに仕舞い込む。これでもう頼れるものはない。崖っぷちなのかもしれないが、逆に勇気が湧いてきた。できることなら観客全員の目を見て話したいほどだった。


 騎手仲間のニコラが、孤児院の子どもの手を引いて客席に戻ってくるのが見えた。トイレに付き添っていたらしい。だが戻って来るなりまたすぐに別の子が騒ぎ立てて、ニコラは少し怒りながらその子と手を繋いでトイレへと駆け出した。忙しない光景にロアは思わず笑った。ますます緊張が緩んで、ロアは大きく息を吸った。


「ええと、口下手ですみませんが、どうか今の自分の言葉で話させて下さい。……今日の華やかなショー、『花曇賞』は、飛べない馬たちや走れない馬たちのために、何かできないかとみんなで考えてできたショーです。馬が大好きで騎手をしていた私ですが、そうですね……怪我をして殺処分になる競争馬たちからは、ずっと目を逸らしてきました」


 殺処分という突然の暗い単語に、観客はすうっと冷えてしまう。この晴れの舞台でその単語を出すのかとユリシーズは苦笑した。だが空気を読まないロアらしいとも思う。彼女にすれば、羽落ちと殺処分は切り離せないものなのだ。


「ですから、ティーア王女とティーナ王女も言っていた通り、花曇賞はほんとに私たちの罪滅ぼしなんです。速い馬、高く飛べる馬に憧れて、私たちはずっと、そうでなくなった馬にひどい扱いをしてきました。でも今日、こうして花曇賞を開くことができて……今まで、私たちの自分勝手な理想のために殺されていった馬たちに、やっと少しだけ顔向けができる気がします」


 拙いながらも懸命に己の思いを言葉にして紡いだロアは、ほっとした顔で微笑んだ。だが観客は静まり返ったままだ。無表情になった小さな男の子と目が合った。殺処分になる馬の話をしたことに後悔はなかったが、純粋に楽しんでいた子どもを悲しませてしまったことは申し訳なく思った。


「あー、せっかくの楽しいレースの最後に、悲しい話をしてごめんなさい。でもあの、今日は本当に、一点の曇りもなく──すばらしい日でした。きっと馬が乗用になってから、最高の日です。それも全部、走れない馬、飛べない馬のためにこうして集まって下さった、ここにいる皆さんのおかげです」


 観客席を見渡すロアの目元が潤んだ。これほどまでの数の観客が集まるとは、始めはとても思えなかった。ガラガラの観客席を見て心臓が止まりそうになる夢を見たのは、一度や二度ではない。


 父親のトラウゴット・ジャンメール男爵は、娘のスピーチの成功を祈って最前列の端で小さく十字を切った。マリアになったクローディアは、コンラッドと並んで柔らかな表情でこちらを見ている。ソイニンヴァーラの三王女は二階の貴賓席に戻ったため、ここからは表情は窺えない。隣の領地のミッチェル・アンカーソンは、隣に座っている婚約者と微笑みを交わしている。夫と息子と並んだロアの伯母フンボルト子爵夫人は、姪が失言をしないようにと両手の指を組んでハラハラと見守っている。ダンヒル子爵が夫人の肩をそっと抱き寄せた。ドゥラカはまだニヤニヤしながら芋のフライをかじっている。気楽なものだ。やっと子どもとともにトイレから戻ってきたニコラは、何とか間に合ったというように夫と笑い合った。


 こうして大勢の人々が協力して応援してくれたからこそ、この花曇賞は成功したのだ。ロアはまた大きく息を吸った。


「とにかく今日は、馬たちにたくさんの拍手や歓声を下さって、本当に、本当に本当に……ありがとうございました!」


 言葉が詰まり、涙声になってしまった。ロアは深々と頭を下げて、必死に気持ちを落ち着けさせようとした。しばらくして、そんなロアの背中にそっと触れてからユリシーズが口を開いた。


「ありがとう、ロア。皆さん、彼女は本当によく頑張ってくれました。苦手な事務作業からようやく解放される彼女に、盛大な拍手を!」


 観客はジョークに少し笑い、それから大きな拍手をした。一つ一つの音が全て誰かの手のひらが奏でていることが温かく伝わって、ロアは両手で顔を覆って泣いた。


「さて。ウィンフィールド王国を代表して、僕からも少し補足させて下さい」


 その声でロアは自分が役目を終えたと思い、心から安堵した。ユリシーズは優しい眼差しで隣のロアを見下ろした。


「ジャンメール騎手の言った言葉は、何も馬にだけ当てはまるものではありません。楽しく過ごせる華やかな時間ほど、その裏で犠牲になっている誰かがいるかもしれない。見た目は笑顔でも、心では泣いている人がいるかもしれない。そういう観点を忘れないことはとても大切だと思います」


 話し慣れた声は遠くまでよく響く。


「遠い国にいる誰かにも、一番身近にいる家族にも、いつもではなくとも時々は、そういった細やかな慈愛の心を持って接したいものですね」


 ユリシーズはそう言って十字を切った。急に信心深くなったような兄の所作に、コンラッドは眉根を寄せた。ユリシーズの仕草がピロタージュ教へのポイント稼ぎであることは、ソイニンヴァーラの王女達には分かっていた。相変わらず抜け目がないわねー、とティーナ王女が呆れたように呟く。


「という訳で、皆さん。家に帰ったら、今日のチケットを手に入れるために多大なる犠牲を支払った家族に、たっぷり感謝してあげて下さいね」


 その言葉で場内の観客がまた少し笑った。追い打ちを掛けるように、隻腕のパッツィーニが口の横に手のひらを添えて素早く口を挟む。


「王子様ー。君もお父上に感謝を忘れずにねー!」


 ユリシーズは一瞬目を見開き、それから困ったように微笑んで軽く手を上げた。


「ご助言ありがとう、あなたの言葉はしっかり心に響いたよ。羽落ちの救い主である我が父、そして父と同じく花曇賞最大の功労者であるベルンシュタイン帝国の皇帝陛下にも、もちろん最大限の感謝と愛を」


 ウィンフィールド国王のいる階上席を手のひらで指し示してから、ユリシーズは畏まって頭を下げた。人々は大きな拍手を送ったが、ロアだけは一人青ざめて涙も止まっていた。自分が国王と皇帝への感謝を述べるのを忘れたと気づいたからだ。






「何とか上手くまとめられたな」


 万雷の拍手に手を振りながら主催者テントに戻ったユリシーズは、開口一番そう言った。


「きみの口から殺処分なんておぞましい言葉が飛び出した時は、どうしようかと思ったね」


 からかうようなユリシーズの笑みを横目に見ながら、ロアはごしごしと目元を擦ってふうっと大きく息を吐いた。


「悪いけど、今はクタクタだからあなた流の会話には付き合えないよ。さあ、皇帝陛下と国王陛下に謝ってこなくっちゃ」


 ロアは暗い声で言った。せっかくの花曇賞の成功も、スピーチで二人への感謝に触れなかったことの謝罪を思うと気が重かった。とても花曇賞が大成功に終わったとは思えないロアの意気消沈ぶりが滑稽で、ユリシーズは口元に拳を当てた。


「もう行くのかい?」


「うん。謝るなら早い方がいいし、それにあなたとの会話って、頭を使うから疲れるんだもの」


 八つ当たりのように言うロアに、ユリシーズはくすくすと笑った。


「そうかい。それじゃあ、素朴でシンプルな会話をしようか」


 ロアは使用人も呼ばずに箱からレモネードの入った瓶を取り出すと、器用に栓を開けてごくごくと喉を鳴らしてそれを飲んだ。手慣れているのはこれが初めてではないからだろう。そして手の甲で口元を拭う。貴族令嬢にあるまじき行為だが、もうユリシーズはそんなことにも慣れっこだった。


「素朴でシンプルな会話って?」


 浮かない顔のまま、ロアはまたレモネードの瓶に口を付けた。


「そうだなあ……例えばこんなのはどうだい? ──きみは特別な人だ。天馬に乗って世界中探したって、きみみたいな人はどこにもいない。きみと知り合えて、僕は本当に幸運だったよ」


 思いがけない言葉に驚いて、ロアはゴホゴホと激しくむせてしまった。レモネードを零さないよう、どうにか瓶をテーブルに置く。


「大丈夫かい、救護テントに連れて行こうか?」


 先ほどのテント裏での言葉を真似ているのであろう軽口に、赤くなったロアはしかめっ面をした。


「……もう。からかわないでよ」


 ユリシーズは眉を上げた。


「勇気を出して褒めたのにからかってると思われるのは、僕の人徳の無さだね」


 肩を竦めた後で、ロアにとって見慣れた笑みが消えた。琥珀色の瞳が揺らぐ。真顔だと若く見えるんだなとロアはぼんやり思った。


「本気だとも。だから今夜の打ち上げのラストダンスは、きみと踊りたい」


 外はまだ喧噪に溢れているのに、テントの中には呼吸音さえ聞こえそうな沈黙が流れた。答えは決まっていても何だか気恥ずかしく感じられて、ロアは目を伏せてレモネードの瓶を指先で弄んだ。


「いいかな?」


 顔を上げなくてもユリシーズがどんな顔をしているのか、ロアには分かる気がした。何度も問われては答えるしかなく、頬を染めながら瓶をタンッと音を立ててテーブルに置く。


「足を、踏んでもいいなら。いいよ!」


 そう叫ぶなりロアはぱっと身を翻して、天幕を大きくひらめかせて走って出て行った。


「……やれやれ。道のりは長そうだな」


 揺れる天幕を呆然と眺めた後で、ユリシーズは前髪を掻き上げてぽつりと呟いた。言葉とは裏腹に、その表情はどこか満足気だった。



物語はひとまずこれで完結となります。

最後まで読んで良かったと思える小説になっているでしょうか……?

もしそうであればこの上ない幸いです!


客観的に見てこれがどんな小説なのか、自分では分からない部分が多々ありますので、もしもよろしければ感想を頂けると嬉しいです。


それでは、長い長い話をエピローグまで読んで下さり、本当にありがとうございました!



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