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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
最終章 はやる心の花曇り
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愚者とエゴイストの輪舞曲


「よかったー! 気難しいドゥラカのことだから、変なこと言い出して断っちゃうかと思ったよ」


 ロアは震える声で言いながらぽろりと涙を零し、それをグローブを嵌めていない手で拭った。

 彼女の視線の先のキール公子は、腕を上げて高く抱えていたドゥラカを降ろした。二言三言会話を交わしてから二人は抱き合う。


「見て、あのキール公子の嬉しそうな顔! こっちまで嬉しくなっちゃうね」


 ロアは満面の笑みで笑いかけたが、ユリシーズの顔が完全に無になっていたのでギョッとして眉を上げた。


「ユリシーズ、どうしたの?」


「……」


 彼は黙って目元を手で覆った。


「気分でも悪いの? 二日酔いってやつかな、少し休んできたら?」


 反応がないので、心配したロアが救護テントを振り返る。


「……いや、大丈夫」


「ほんとに?」


「ああ。ただちょっと、驚いただけだから」


 ユリシーズは目元から手を降ろし、今度は口元を手で覆った。視線は地面に落ちて、愕然とした顔に混乱の色を浮かべている。大丈夫と言ってはいるものの落ち着きのない仕草に、ロアは安心はできずに軽く眉根を寄せた。


「それならいいけど。あんまり無理しないでよ」


「無理なんてしてない、平気さ。……それよりちょっと──話したいことがあるんだ。そうだな、準備用テントの裏へ行こうか」


「えっ、今から? 閉会式の後じゃだめ?」


 青空のもとの大舞踏会を楽しんでいたロアは、少し渋って小首を傾げた。


「すぐに終わるよ。頼む」


「いいけど。何の話?」


 尋ねても、ユリシーズはしばらく答えなかった。今度は薔薇を一輪咥えたオッツォと踊って観客の笑いを攫っていたパッツィーニが、おやという顔で二人を見送る。


 準備テントを突っ切って裏手に出ると、ロバの親子のいる柵のところでユリシーズはようやく足を止めた。後について歩いてきていたロアが足を止めるより早く、彼は振り返って性急に口を開いた。


「キールが、ベルンシュタインの女騎手にプロポーズしたね」


 てっきり花曇賞の打ち合わせか何かの話だと思っていたロアは、予想外の話題にぱちくりと瞬きをした。


「ああ、うん。そうだね」


「きみはいつから彼の予定を知っていたんだい?」


 ユリシーズは恨めしげな顔でロアを見た。恨まれる心当たりは少なくとも最近はないロアは、困った顔で記憶を辿る。


「いつからって……ドゥラカと結婚したいって聞いたのは、キール公子に初めて会った日だよ」


「きみと彼は、ウィンフィールドのあの舞踏会で初めて会ったんだったよね?」


「そうだよ」


 ロアはすっかり尋問を受けている気分で肩を竦めた。確かにキールのプロポーズは関係者でもごく一部の人しか知らないことだったが、何故それでユリシーズがここまで動揺しているのかロアには分からない。


「あの日にもう、プロポーズの話を聞いていた?」


 ユリシーズの考えなど推し量っても無駄だと諦め、ロアはただとにかく正直に答えることにして頷いた。


「うん。ベルンシュタインの騎手なんですってねって言われて、ドゥラカという騎手を知ってますかって聞かれて……友達だって答えたらすごく嬉しそうに、僕は彼女に結婚を申し込もうと思ってるんですって言ってた」


「…………」


 ユリシーズは大きな溜め息をついて、背中を柵にもたせかけてぐったりと肩を落とした。


「ユリシーズ?」


 灰色の毛並みのロバの親子は、二人を特に気にすることもなくのんびりと干し草を食んでいる。


「ねえ、ほんとにどうしたの? 何だか変だよ」


 ロアはユリシーズに近付いて手を伸ばしたが、その手が肩に触れる前にユリシーズは顔を上げた。ロアは少し驚いて手を降ろす。


「ああ、変だ。おかしい。狂ってる」


 ユリシーズはわしゃわしゃと髪を掻き乱して、だらりと投げ出すように腕を降ろした。


「こんな冗談話みたいな勘違いをするなんて、僕らしくない。まったく屈辱的だね」


「……ええと、」


 何と言葉を掛けていいのか分からず、ロアは困って思わずロバを見た。だが母ロバは耳が痒いか虫でも止まったか、草を食みながらパタパタと片耳を振っただけだった。


「きみが僕を、こんな情けない愚か者にしたんだ」


「ええっ? 私のせい?」


 弾かれたように切り髪を揺らして、ロアは慌ててユリシーズを見た。不満げに自分を指差す彼女を見たユリシーズは顔をしかめて、また軽く髪を後ろから前へ掻き乱した。


「もちろんきみが悪い訳じゃない。悪い訳じゃないけど……はあ。どうしてこんなことになったんだろう」


 とうとう天を仰いでしまったユリシーズを見て、ロアはがしっと彼の手首を掴んだ。突然のことに今度はユリシーズがきょとんとする。


「救護テントに行こう、ユリシーズ。やっぱりどこか具合が悪いんだよ、休まないと」


 表情は真剣だった。多少の疲れはあるものの体調はすこぶるいいユリシーズは、完全な誤解なので言葉を無くした。だがそのうちに目の前で自分の心配をするロアが、キールの恋人ではなかったという喜びがじわじわと込み上げた。彼女が手首を掴んでいる手に自分の手を重ねる。


「ロア。ロア・ジャンメール」


 ユリシーズは静かにロアの緑の目を見た。健やかな草の色だ。恋に憂うにはきっとまだ早い。


「何?」


 ぽんぽんとあやすように手に触れられ、ロアは戸惑う。正直なところ、ユリシーズはこのままキールのように彼女を抱え上げて抱き潰してしまいたい気持ちだったが、実際そうすればロアに正気を疑われて救護テントに連れて行かれるだろう。ユリシーズは慎重に口を開いた。


「遠い先の話として聞いてくれ。きみにもし、気になる男ができたら──」


「気になる男?」


 早々に話の腰を折られて、ユリシーズが一瞬言葉に詰まった。


「つまりね、この人と一緒にいると楽しいとか、もっと一緒にいたいとか。そういうことを少しでも思う男が、きみに現れた時。後は……そうだな、きみだって男爵家の一人娘なんだから、縁談が持ち上がったりした時」


 ロアは話の意図はもちろんのこと、内容自体もよく分からず露骨に理解が及んでいない顔をした。それに気付いてユリシーズは苦笑し、話を単刀直入に切り替える。


「まあ、要するに。きみに恋愛や結婚の準備ができた時には、すぐに連絡がほしいってことさ」


 ムードの欠片もない言葉にユリシーズは笑いたくなるが、そもそも家畜の親子の前というあまりに牧歌的な状況だ。今更言い回しにロマンを求めても仕方ないだろうと思い直す。


「別にいいけど、どうして?」


 ロアはまだユリシーズの体調を探るように顔色を窺いながら、素朴な疑問を口にする。


「……今のきみは、とても恋だの愛だのに興味を持てる気はしないだろう?」


「うん。あ、分かった。私の結婚をお祝いしてくれるってこと?」


 キール公子のサプライズのプロポーズを思い出し、ユリシーズもサプライズで結婚祝いをしてくれるつもりなのではとロアは表情を明るくした。ユリシーズはその表情を見て目を伏せ、靴の先を見下ろしながら少し笑った。


「どっちかって言うと逆だね」


「逆? 結婚祝いに変なプレゼントくれるとか?」


「僕がきみの結婚を祝うってところからもう間違いだ。僕は祝福できない」


 ロアはもう、ユリシーズが何を考えているのか全く分からなくなった。


「じゃあどうして連絡がほしいの?」


「さあね。その時のお楽しみだ」


「何それ」


 ユリシーズは柵に預けていた体を引き起こして真っ直ぐに立った。柔らかな風が髪を揺らす。


「絶対にそうするって、約束してくれるかい?」


 珍しく懇願するような頼りなげなユリシーズの表情に、ロアはどきりとする。


「……うん。いいよ」


 ユリシーズはそれを聞くと微笑み、右の小指を立ててロアに差し出した。


「何?」


「知らないかい? 東の島国の風習らしい。約束を絶対に守るって誓う時にするんだ。こんな風に小指を絡めてね」


 ユリシーズはロアの手を取り、その小指に自分の小指を絡めた。


「……」


「……」


 ロアは気まずそうに身じろぎした。


「えっと。これでもういいの?」


「何か歌いながら揺らすはずだったんだけど、歌詞を忘れたな」


「どんな歌?」


 ユリシーズが鼻歌でメロディを教えた。


「分かった。やーくそーくぜったい、まーもりーますからだーいじょーうぶ、ぜったい。これでいいでしょ?」


「絶対が二回入ってたね」


 素っ頓狂な歌にユリシーズはくすくすと笑い、離れようとするロアの小指に曲げた小指を強く絡めて捕らえた。


「細かいなあ……やーくそーくぜったい、まーもりーますからだーいじょーうぶ、ドンドン!」


 ロアは頬を赤らめながら口を尖らせ、同じメロディで歌詞を最後だけ変えて自暴自棄のように歌った。


「ドンドン?」


 ムッと口をへの字に押し下げてから、ロアはバッと強引に小指を解いた。


「あーもう、何でもいいでしょ! 約束守るっていう頼もしい音だよ」


 その乱暴な仕草と頼もしい音という謎の言葉に、ユリシーズはまた笑った。


「それより、話が終わったんならそろそろ行こうよ。せっかくの特別な時間がもったいないよ」


「特別な時間はここにもあるんだけどね」


「え?」


 ユリシーズは返事はせずに、ロアの小指に絡めていた自分の小指に小さく音を立てて軽く口付けた。それを見たロアは真っ赤になる。


「なっ──」


「それじゃ、そろそろ行こうか」


「ユリシーズ。あなた少し普通にしてた方がいいよ」


 普通の女性なら頬を染めるか微笑むような仕草への容赦のない注意に、ユリシーズは思わず声を立てて笑う。


「君にだけは言われたくないなあ。それとも、普通にしてた方が格好いいって話かな?」


 目を細めたユリシーズは、エスコートのためにひらりと手のひらを差し出した。やれやれといった諦めへと表情を変えて、ロアは渋々その手を取った。


「……あなたって、ものすごく前向きなんだね」


「あいにく、後ろを向いても碌なものが見えない人生だからね。さあ行こう、輪舞曲が終わってしまわないうちに」



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