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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
最終章 はやる心の花曇り
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天井のない舞踏会


「何だと?」


 キールが顔をしかめる。ドゥラカが隙をついて彼の手を取った。そして剣の切っ先を首に近付けさせる。キールは目を見張った。


「あなたの剣はあなたの味方?」


 何事かとうろたえていた一人の兵士の手を、ギリヤの民の娘がそっと取った。驚いた兵士に微笑みかけ、娘はその手を引いた。兵士は娘の手を振り払おうとした。


「あたしたちは争いは望まない。自分たちの国がほしいとも願わない。ただ春に小麦が芽吹くことを、秋に穂が豊かに揺れることを祈るだけ」


 観客のベルンシュタイン人の多くは、ドゥラカの言葉が農民の芝居の台詞ではなくギリヤの民としての言葉だと察した。芝居という形にしつつ、ベルンシュタイン皇帝にギリヤの民への迫害を止めるよう訴えかけているのだ。

 貴賓席のティニヤ王女が皮肉気に笑い、お説教が始まったわよと皇帝の耳元で囁いた。だが皇帝は微動だにしなかった。


「あたしたちは決して、誰かの富を奪ったりはしない。今まで通り歌を愛して、踊りを愛して……そしてちょっぴりのお酒を愛して、平和に暮らしたいだけ」


 そう言って初めて人間味を見せてはにかんだドゥラカの言葉に合わせて、スタート地点のテントから酒瓶を持った新たなギリヤの民が現れた。そして兵士達にも観客にも次々に酒を振る舞っていく。

 それを見届けた指揮者が彼らに背を向けて指揮棒を振り、楽団も演奏を再開した。作曲家が壁や天井からの反響がないことを計算に入れて作った新曲、『花と綿雲のための輪舞曲』だ。ギリヤの民も各々の楽器で演奏に参加しているので、音の調べに異国情緒が滲んでいる。


 兵士の手を取ったギリヤの民の娘は、スカートの裾をひらめかせながらくるりと回って晴れやかに笑った。兵士はそれが演技なのか本心からの笑みなのか分からなくなったが、それでも微笑みを返して踊り出した。


 主催者のテントの幕が開いた。母の形見のドレスを着たロアと衣装から着替えたユリシーズが現れて、場内が沸いた。二人は観客の方々に丁寧にお辞儀をしてから、曲に合わせて踊り出す。


「今夜は足を踏まないようにね。でないとこの場の全員に永遠に語り継がれて、歴史に名を残すことになる」


 ユリシーズに耳打ちされて、ロアは笑った。


「バロウズ将軍より有名になるかも」


 次にパッツィーニが現れて、観客席で飲み物の売り子をしていた女性を手招きした。女性は顔を赤くして戸惑いながらも、レモネードの瓶の入った立ち売り箱を置いた。そしてスカートを摘まんで馬場へ降り、ますます顔を赤くしながら踊り始める。

 続いてパンセ共和国の首相がティーア王女と、歌い終えたオッツォがティーナ王女とともに現れた。

 兵士達とギリヤの民は互いに手を取り合ったり、それぞれに観客席から相手を見つけて踊り出している。

 やがて観客も自主的に馬場へ降りて思い思いに踊り出し、あっという間に花曇賞はレースから大舞踏会へと様変わりした。


 貴賓席のウィンフィールド国王は、どさくさに紛れてマリアとコンラッドも踊っているのを見つけて、顔をしかめた。キール公子はこの何とも例えようのない前代未聞の大舞踏会に胸を打たれ、私達も行こう、妻の手を取って二階から降りて行った。それを見送ったティニヤ王女と貴賓席に戻っていたチェッリーニ司教国の大司教は、それぞれの理由で自分が踊れないことをひどく残念に思った。

 ティニヤ王女はつい溜め息をついた。すると、ベルンシュタイン皇帝がティニヤ王女の手を掴んだ。ぎょっとした王女が何、と問うても感情の読めない瞳が王女を見るだけだった。


「見て下さい、大成功ですよ」


 キールが言うと、その肩に手を回して踊りながらドゥラカは不敵に笑った。


「ああ。予想以上だ」


 踊る人々を見渡して、キールは感慨深げに頷いた。


「ドゥラカ、全てはあなたのおかげです。ギリヤの民の長として、あなたはこれまで誰にも為し得ないことを成し遂げたんですよ」


 キールの目には尊敬が滲んでいた。ドゥラカはふっと笑った。


「まだ終わってない、遂げてはいねえよ。それに、これは全部ロアのやつが言い出したことだ」


「導いたのはあの子でも、この成功はあなたがいてこそです。今日のことはきっと、世界中で長く語り継がれることになるでしょう」


 ドゥラカは笑って首を横に振る。


「そんなのはどうだっていい。このレースは、皇帝の気が変わらなけりゃあたしの負けなんだ」


 張り詰めた顔で、ドゥラカは二階の貴賓席を見上げた。その時、一際大きなどよめきが起こった。二人がそちらへ目を遣ると、海が割れるように貴賓席の下のあたりから人々が左右に割れていった。


「何だぁ?」


 ドゥラカは目を凝らし、割れた人混みの先にベルンシュタイン皇帝がいるのに驚いて息を飲んだ。


「皇帝が、どうして──」


「ティニヤ王女だ」


 キールは怪訝そうに言った。杖をついて歩く皇帝の傍らに、車椅子の少女がいたのだ。車椅子で皇帝と並んで歩くことのできる人間など、この世にただ一人だ。


「ティニャ王女?」


 発音を間違いながらドゥラカが聞く。機嫌を損ねればこの場であろうともドゥラカの首を刎ねかねない皇帝なだけに、ドゥラカの表情には脅えがあった。


「ソイニンヴァーラ王国のティニヤ王女は、ベルンシュタイン皇帝のお気に入りなんですよ」


 それについては、ドゥラカも噂では聞いたことがあった。皇帝は王女の希望で歩いたのだろうか。まさか自分が歩く姿を人に見られることを嫌う皇帝が、衆人環視の極みのようなこの場で歩くとは思っても見なかった。ドゥラカはごくりと息を飲む。


 ティニヤ王女の車椅子を押す者は誰もいなかった。王女が自分の細い腕で懸命に車椅子を進めている。侍女が押そうとするのを断ったのは、恐らくは自分のために人前で歩くことを選んだ皇帝の気持ちに応えたかったからだった。自分よりずっと年下の皇帝に、心の器の大きさで負ける訳にはいかない。


 慣れない肉体作業に、ティニヤ王女の額に汗が滲んだ。人々は驚き、見てはいけないものを見たかのように顔を伏せる者もいた。皆が幸せに踊るこの場で、歩くことさえできない自分を誰もが憐れんでいるのだろうと王女は思った。それは屈辱ではあったが、一方で大したことではないとも感じていた。それに、ここで逃げれば一生後悔する気がした。

 花曇賞は羽落ち達のためのショーだ。自分が一肌脱がずに誰が脱ぐのかと、王女は歯を食いしばって力を振り絞る。腕が痛かったが、それはどこか心地良い苦痛だった。


 二人はゆっくりと馬場の中央まで進み、皇帝が先に足を止めた。何が起きるのかと皆が息を凝らして見守る中、皇帝は無言でティニヤ王女に手を差し出した。踊るつもりなのかもしれないと予想はしていたが、彼の性格上それはないだろうと打ち消していた行動を彼は選んだのだ。


 王女は彼女には珍しく目を大きく丸く見開き、読み負けた気がして少し悔しげな顔をした。そして、やるじゃないと呟いてから勝ち誇ったように微笑む皇帝の白い手を取った。

 それを見て、キールが眉を上げた。


「……おいおい、まさか踊る気じゃないだろうな」


「本気か!?」


 ドゥラカが叫ぶ。実際に中央の二人は手を取り、ぎこちなくゆっくりと踊り出した。ダンスと呼ぶにはあまりに一つ一つの動きが独立していたが、それは確かに二人だけのダンスだった。非力なティニヤ王女は両腕で車椅子を扱わないと動けないため、王女がターンで回る間は皇帝は杖に体重を預けて静かに彼女を見ている。観客の中には、そのスローダンスに心を打たれて目尻を拭う者もいた。


 ドゥラカは皇帝の表情に僅かばかりの情が見えた気がして、すっかり度肝を抜かれて口元を手で覆った。


「信じられねえ……」


「驚きましたね」


 キールの言葉に、ドゥラカは空を見上げた。


「驚いたなんてもんじゃねえよ。この季節に雪でも降るんじゃねえのか」


 雪を待ち受けるように手のひらを天に向けたドゥラカを見て、キールは慎重に話し始める。


「……さて。僕もあなたを驚かせてもいいですか?」


「あ?」


 品も気取りもないドゥラカの短い返事に、キールは少し笑った。そしてジャケットのポケットへ大きな手を突っ込み、小さなベルベットの小箱を取り出した。唖然としているドゥラカの黒い瞳を覗き込み、キールはゆっくりと言った。


「僕の美しい人。黒い馬を駆るあなたを初めて見たあの日から、僕の心はあなたのものです。あなたの一族の長としての立場も、背負っているものも全て尊重すると約束します。ですからどうか、僕と結婚して下さいませんか」


「……は?」


 寝耳に水だったようで、ドゥラカはぽかんと口を開けている。キールは小さく笑った。周囲の人々が、一人二人とこの公開プロポーズに気付いてざわめき始めた。


 キールからプロポーズの話を聞いていたロアも、踊りながら二人に注目していた。ドゥラカの返事が気になって、胸がドキドキと高鳴る。


「……そんなにキールが気になるかい?」


 ユリシーズが静かに囁いた。ロアはぱっと彼を見上げた。ユリシーズは能面のような顔をしていたが、ロアは微笑んだ。


「うん!」


 まさか笑顔が返ってくるとは思わず、怒りより呆れに襲われてユリシーズは肩を落とした。


「残酷だな。踊っているのは僕なのに」


 ロアはユリシーズの言葉は意に介さず、彼の肩に乗せた手に力を込めた。


「ねえ、ほら、ユリシーズも二人を見てて!」


 ドゥラカはようやくキールの言葉の意味を理解し、ふるふると肩を震わせた。


「……そんな台詞、台本になかったぞ」


「ええ。お芝居はもう終わりました、これは僕自身の言葉です」


「あたしは一族の長なんだ」


 吊り上がった眦に怒りを滲ませて、ドゥラカはキールを見上げた。


「知っていますとも。責任感の強さも、あなたの数多い魅力の一つです。迫害を避けるために、一族の皆さんをキリヤコフ公国にご招待したいと思っていましたが、お望みであれば僕がベルンシュタイン帝国に永住します」


 ドゥラカの表情が驚愕で歪む。


「はああ!? ふざけてんのか、おまえ公子だろ!」


 楽団の演奏に負けないほどの大声が響き、周囲の視線が一斉に二人に注がれる。


「幸い僕には優秀な兄がいますので」


「…………バカだろおまえ」


 罵りつつも、ドゥラカの目に涙が浮かんだ。


「どうか愚かな僕に、あなたの背負う荷を半分持たせてくれませんか」


「…………」


「十年でも二十年でも待ちます。気は長い方なんです」


 俯いてしまったドゥラカの肩に優しく触れてから、キールはそっと彼女の頬に手を伸ばした。


「……年だ」


「え?」


 ドゥラカはばっと顔を上げて、喧嘩をしているかのようなきつい視線でキールを見た。


「半年だ! 一族のみんなと相談して、半年以内にここに残るかおまえの国に渡るか決める。だから半年だけ待ってろ」


 キールは厚い手のひらで口元を覆った。


「……ええと。それは、返事はOKだと思っていいんですね?」


「当たり前だろ!」


 ドゥラカは尊大に言って腕組みをした。


「ハッ! 最高だ!」


 キールは破顔すると喜びのあまり彼女を両手で抱き上げて、子どもにするように大きく回した。


「うわっ、ちょっ──降ろせ、降ろせよ!!」


 周囲の人々が歓声を上げて拍手をした。指笛が鳴り響く。


「やったあ!!!!」


 くるくると回されるドゥラカと回すキールを見たロアも、誰より大きな声で叫んだ。


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