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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
最終章 はやる心の花曇り
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戯れと戦争


 人々の拍手が鳴り止み、ざわめきが小さくなってしばらくした頃、プッと短くラッパが鳴った。観客は何の合図かと場内へ視線を走らせる。スタート地点の白いテントから、ひょいと道化のオッツォが顔を覗かせた。


「ママ、あそこ!」


 開幕前にロアが不正をしていると騒ぎ立てた少年が、オッツォに気付いて母の袖を引き指差して叫んだ。


「神に許しをどうのと聞こえたけど、呼ばれたかな?」


 十分に人々の視線が自分に集まる間を取ってから、オッツォは大きな声で言った。そして一度顔をテント内に引っ込めて、縄で巻かれた仔ロバの前脚と後脚をそれぞれ掴んだ。そして仔ロバを肩の上に担ぎ上げると、テントの外へと走り出した。先ほどとは打って変わって奇妙で愉快な出走馬に、観客は陽気な歓声を上げた。


「私は神の子オッツォ。冷酷無比な某皇帝の命により──おっと間違えた、冷酷無比な国王の命により、だ」


 オッツォは言い間違えたとぺろりと舌を出して、額をぺちんと叩いた。ベルンシュタイン人以外は冷酷無比な皇帝という言葉に反応して笑ったが、ベルンシュタイン人は笑う者と青ざめて貴賓席を見上げる者とが半々だった。

 ティニヤ王女も声を上げて笑って、あんたのことよと言わんばかりの顔で隣に座っているベルンシュタイン皇帝を見た。皇帝は面白くなさそうな顔でティニヤ王女をちらりと見返したが、すぐにオッツォに視線を戻した。


「そう、国王陛下の命により、私は収穫祭のための子羊を一度も地に下ろさず王都へ運ばなければならないのだ。ああ、何という無理難題。私は必ずやこのレースの途中で──いや、この旅の途中で命を落とすだろう」


 オッツォのこの台詞一つで、多くの観客はこれが聖ピロタージュ教の『穢れなき仔羊の道』の逸話のパロディだと気付いた。


「おっと!」


 とっとことリズミカルに走って行く途中で仔ロバは暴れ、オッツォは仕方なく靴を履いていない足を止めて担ぎ直そうとした。だが仔ロバの抵抗は激しく、オッツォはロバごと転んで尻餅をつき観客は笑い声を上げた。


「危なーい!」


 仔ロバが地面に着かないよう、オッツォは慌てて仔ロバを体の前へ持ってきて抱え込む。その悲愴な叫びに観客はまた笑った。


「セーフ……危なかった。やれやれ、救世主も楽じゃない」


 オッツォは座り込んで仔ロバを抱えたまま溜め息をついた。そして再び仔ロバを背負って左右に揺れる独特の歩き方で歩き出したが、途中で今度はファンファーレが鳴った。競馬のスタートで流れるメロディだ。途端に仔ロバはこれまでよりも更に激しく暴れ出す。


「こら、やめろ、暴れるなー!」


 観客が笑う。肩の上で暴れる仔ロバに何度も頭や体を蹴られながら、オッツォは仔ロバの脚を掴んでいた手を離した。縄は緩く脚に巻かれていただけだったので、解放された仔ロバはあっという間に脚を抜いて駆け出した。


「脚、脚、脚ぃぃッ!」


 仔ロバの脚が地面についてしまい、両手で頬を押さえたオッツォの間抜けな絶叫が響き渡る。今日一番の観客の笑い声がそれに続いた。やがてゴールの奥でマリアとなったヨゼフィーネが、聖母に扮して母ロバを連れて現れる。


「あっ! マリア母さん!」


 地に伏せ泣き真似をしていたオッツォが、顔を上げて叫んだ。額には土が付いている。


「おいロバ、じゃなかった仔羊! 母さんがいるぞ!」


 オッツォら場内を駆け回る仔ロバに向かって叫んだが、当然仔ロバは気付かない。ヨゼフィーネが手綱から手を離すと、母ロバは一直線に我が子の元へと駆け寄った。仔ロバが母親に気付いて落ち着くのを待って、オッツォは母ロバの手綱を取って観客に手を振りながらゴールした。オッツォに促され、観客の明るい拍手にマリアは困ったように微笑みながら小さく手を振った。




 オッツォがゴールする前から、スタート地点の布の衝立の向こうでは大掛かりな準備が始まっていた。やがて進軍を告げるラッパの音が高らかに響き、衝立の布が一斉に引き下ろされた。そこにずらりと並んだ本物の軍さながらの勇壮な兵士達の入場に、観客は大きくどよめく。遠目にも紙と分かるハリボテの戦車を引いているのは、元軍馬達だ。


「彼の地は目前。かつての我が領土を再び我らの手に治めるために、いざ、進軍!」


 野太いキールの掛け声に、兵士達は武器を天に突き上げて大声を上げて応える。行軍開始だ。直線のコースの三分の一ほど進んだ時に、スタート地点にばらばらと人影が現れた。誰も彼も鍬や鋤を持っている。農民に扮したギリヤの民と、彼ら独特の模様の布などで飾られた農耕馬の登場だった。キールは振り返る。


「何者か!」


 威厳ある将軍の声が響き、観客のキリヤコフ人は自分達の戴く公子の風格を誇らしく思った。

 農民の中から一人の女性が前に歩み出た。大きなストールを巻いているので目元しか見えない。農民の長らしいその女性は、持っていた干し草を集めるピッチフォークの柄尻をとんと地面に突き、声がよく通るよう口元のストールを押し下げた。


「あたしたちは、あなたたちが昨日踏み荒らした畑の持ち主です」


 農民の長、ドゥラカの凜とした声が響く。


「何だと? 愚かな、農民が軍に復讐に来たとでも言うのか」


「いいえ。あたしたちは、あなたたちが奪っていったものを返してもらいにきただけ。種籾まで奪われてしまっては、あたしたちはとても生きられない」


 ドゥラカはゆるゆると首を横に振ってから答えた。


「この土地は元々我らのもの。よってお前らの種籾も我らのものだ」


「踏みにじられた作物を返せとは言わない。来年のための、未来の子どもたちのための種籾を返して」


「ごちゃごちゃとうるさい奴だ。切り捨てろ!」


 キールが剣を抜き切っ先をドゥラカ達に向けると、兵士達は一斉に襲いかかった。だがギリヤの民は目と目を合わせて鍬や鋤を捨てると、マントの下や背中に隠し持っていた楽器を手にした。兵士達は驚いて進む速度を緩める。


『武器を持たぬ者を殺すのが軍?』


 艶のあるテノールが響き渡る。いつの間にかスタート地点に楽団がおり、そこで道化が歌っている。


『小麦の芽を踏みにじるのが戦士?』


 ドゥラカ率いるギリヤの民は、歌い踊りながら剣戟を交わしていく。数人が戦車と馬を切り離し、ハリボテの戦車は動かなくなってしまった。


「ええい、何をしておる! 儂が相手だ!」


 キールはドゥラカの元へ近付くと、馬から飛び降りた。ドゥラカは振り返り、艶然と微笑んだ。一瞬その笑みに怯んだキールだったが、すぐに剣を握り直して襲いかかる。


「生意気な女め。その首を畑に植えてくれるわ!」


 ドゥラカはピッチフォークの先を彼へ向けて、剣撃を鮮やかに打ち払った。ドゥラカの民の舞には剣舞もあるので、その動きは鮮やかだ。


『いかなる日も涙を呼ぶ剣を捨てられないのは何故?』


 オッツォは笑うことなく歌っている。


「なるほど。腕に覚えがあるようだが、所詮女の細腕よ!」


 キールの攻撃をいなすドゥラカだったが、防戦一方だ。小さな少女は観客席で顔を覆い、父の背後に隠れてしまった。更なる剣戟が続き、とうとうドゥラカのピッチフォークが弾き飛ばされ空に舞った。楽団の演奏と歌が止まる。しんと場内が静まり返った。


「これで終わりだ」


 キールはニヤリと笑った。だがドゥラカも笑う。何故彼女がこの状況で笑うのか分からず、キールは笑みを消した。ドゥラカは人差し指で己の首を指し示す。


「あたしはあなたの敵?」



前回投稿から間が開いてしまい、大変申し訳ありませんでした。

ラストまでまとめてアップしましたので、最後までお楽しみ頂ければ幸いです!

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