会議
一度主催者達が顔を合わせて話そうという話が出たのは、羽落ち牧場のショーの話が出てすぐのことだった。だがなかなか予定の調整が付かず、やっとその日が来る頃には季節は夏になってしまっていた。
「ウィンフィールド王国から二枠、ソイニンヴァーラ王国から二枠、それにベルンシュタイン帝国からも二枠。後はキリヤコフ公国から一枠、パンセ共和国から一枠」
手紙の返事や書類を眺めながら、足を組んだユリシーズが各国の出走予定を確認していく。
「チェッリーニはまだ返事待ちなのね」
ティニヤ王女がゆらゆらと羽根ペンを揺らしながらメモを取る。速記役として使用人も簡単な議事録のようなものを書き留めてはいるのだが、それとは別に自分用のメモが欲しいらしい。
「チェッリーニ共和国が出てくれるなら、ちょうど九枠そろいます」
ロアが機嫌良さそうな顔で言った。ベルンシュタインの競馬では、出走頭数は九頭までと決まっている。
「便宜上レースって呼んではいるけど、ほんとのレースじゃないんだから数にこだわる必要はないわ。八枠でも十分よ」
姉のティニヤ王女の言葉に、ティーア王女が頷いた。
「そうねー、初開催だから、欲張り過ぎない方がいいわー」
「大丈夫だよ、チェッリーニの大司教には僕からもう話をしてるんだ。内容も詰めてる。返事が遅れてるだけで出場するのは決定事項さ」
「あの国らしいわ」
ティニヤ王女は半眼になった。
「返事が遅れてると言えば、ウィンフィールドの国王陛下からまだ正式な許可が来てないのだけど。そのへんはあなたが保証してくれるのよね?」
「ああ、大丈夫。僕に任せてくれ」
ユリシーズは頷いた。父であるウィンフィールド国王の頑固さを知っているコンラッドが、少し心配そうに兄を見た。
「土壇場になって説得できませんでした、じゃ困るのだけど。信頼していいのよね?」
ティニヤ王女が慎重に確認する。ユリシーズはやれやれと眉を上げて椅子の背もたれに体を預けた。
「もちろん」
「ところで皆さん、内容は決まったー?」
ティーア王女が好奇心に輝いた顔で主催者達を見回した。
「うちはもう決まったわよー。わたくし達は馬車に乗るのー」
続けたティーナ王女の言葉に、ユリシーズはパンセ共和国からの手紙を引っ張り出して見下ろした。
「馬車? パンセは風で動く花馬車で出ると言っているよ。被らないかな」
「心配は要らないわー、ちょっとした仕掛けのある馬車ですものー。ねー?」
「うふふ、当日が楽しみだわー」
ティーア王女とティーナ王女は、視線を混ぜ合わせてにっこりと笑い合った。ユリシーズは書類を手に取って眺める。
「そうかい、でも馬車で二枠続けない方がいいな。ソイニンヴァーラとパンセの出走順は間を開けよう」
「ウィンフィールドは何をするの?」
ロアの質問に、ユリシーズは鉛筆の尻で軽く頭を掻いた。
「僕らはまあ、結婚がテーマのコメディだね」
「私はまだ承諾していません」
むすっとした顔で腕組みしたまま座っていたコンラッドが、呻くように兄に言った。だがユリシーズは取り合わずに話を続ける。
「それと、もう一つの枠もコメディだ。ベルンシュタインは何をやるんだい?」
「あたしはキールと組んで、戦争とギリヤの民がテーマの劇みたいなもんをやる予定だ」
各国の王族達を前にしても、ベルンシュタイン帝国の騎手ドゥラカは臆することがない。彼女と親しいキリヤコフ公国のキール公子は大きく頷いた。
「ええ。ですから、ドゥラカさんの枠とうちは繋げて下さい。順序はキリヤコフが先で、ドゥラカさんがその次です」
「キリヤコフと、ベルンシュタインのドゥラカの枠は繋げるのね」
ティニヤ王女とユリシーズは書類にペンを走らせた。
「へへへ、あたしらのは派手だからびっくりするぜ。人数も多いし装置もでかい。ショーには皇帝陛下も来るからな、ガツンと鼻っ柱を殴りつけてやる」
自分達が演じる予定の内容を誇って、ドゥラカは不敵に笑った。ティーア王女が小首を傾げる。
「くれぐれも穏便にねー?」
「ああ、分かってるよ」
ユリシーズが書類に内容を速いペンタッチで書き込みながら頷いた。
「楽しみにしてるよ。それで、ベルンシュタインのもう一枠は?」
「オレはピロタージュ教の救世主役をやるぜ」
ベルンシュタイン皇帝の道化、幼児のように小柄なオッツォが椅子に深くもたれながら答えた。ソイニンヴァーラの三王女の元道化でもあるので、ドゥラカ以上にこのメンバーに対して萎縮していない。むしろ容赦のない主である皇帝がここにいない分、のびのびしているようだ。
「救世主? チェッリーニも聖書になぞらえたものをする予定なんだけど、被らないかな」
「オレがやるのは『穢れなき仔羊の道』だぞ」
ユリシーズが頷いた。
「ああ、それなら被らないな。大丈夫だ」
「ケガレなき仔羊の道って、何?」
ロアの質問に、信じられないというような顔でティニヤ王女が目を見開く。
「……あなた、ピロタージュ教の開祖で神の子でもある救世主が、どうやって亡くなったのか知らないの?」
「ご、ごめんなさい。宗教の勉強はあんまりしてなくて……」
「ベルンシュタインは信仰心の厚い国じゃないからね」
面倒なことになりそうだと思ったのか、ユリシーズが素早く二人の会話に割って入る。
「地面に落とした肉を食べることを、官吏の汚職を見て見ぬ振りすることに例えた教戒があるだろう。それは知ってるかい?」
だがその教えも知らないロアは、黙ったまま情けない顔になった。
「…………」
ユリシーズは肩を小さく竦めて話を進める。
「とにかく、我らが救世主はソイニンヴァーラの王都でそういう説話をしたんだよ。それを聞いて、当時のソイニンヴァーラ国王が激怒した。救世主の時代の国王は農耕部族の出身だったから、地面や土を穢れと見なすとは何事かっていう理屈さ」
ロアは理解できないという顔で軽く眉根を寄せた。
「でも、誰だって地面に落ちたお肉なんて食べたくないよ?」
「肉の質によるな」
道化のオッツォが茶化して笑った。ユリシーズが小さくため息をついた。
「何も国王も、本気でそう言った訳じゃない。元々救世主のやることが気に食わなかったから、処罰する理由を探してたんだよ。それで国王は救世主に、収穫祭に祭壇に捧げる仔羊の蹄を王都まで地に着けずに運べと命じた。土が穢れだと言うならそれくらいしろってことさ」
「どこから王都まで?」
「正確なスタート地点については諸説あるけど、王都の南の方なのは間違いない」
「仔羊を荷車に乗せて運んだの?」
荷車という言葉は、羽落ち牧場の整備の工事を見て覚えたものだ。初めて荷車という単語を使えてロアは少し嬉しかったが、ユリシーズは呆れ顔で眉を上げた。
「そんなものを使わせてくれるはずがないだろう。救世主は手足を縛った仔羊を背中に背負って何日も歩かされたんだよ。そして最後は、王都の門を過ぎたあたりで力尽きて亡くなった。粗末な靴は擦り切れて、足の裏からの出血で石畳が赤く染まったらしい。その道を『穢れなき仔羊の道』と呼ぶんだよ」
「そうなんだ。可哀想だね……」
「千数百年越しの同情ね」
眉を八の字にしたロアに、ティニヤ王女が冷たく言う。妹達がころころと笑った。
「その高潔で哀れな神の子役を、このオレがやるんだ。仔羊じゃ重くて担げねえから、ミニチュアホースの仔馬にするつもりだ。そんで途中で仔馬の縄を切って、あとはまあアドリブで笑わせるさ」
こういうことには場慣れしているオッツォは、何の不安もない様子でニヤリと笑った。
「楽しそう。でも、ピロタージュ教の人に怒られないかな?」
ふと心配になって、ロアはピロタージュ教の枢機卿でもあるティニヤ王女を見た。王女は許可を与えるように羽根ペンを指先で小さく振った。
「子どもの劇でもよく取り上げられるテーマだから、大丈夫よ。まあ念のため、最後に救世主への敬意をしっかり示しておいてちょうだい」
「あいよ」
無礼な返事に、ティニヤ王女はオッツォを睨んだ。だが今はもう主ではないと言わんばかりに、オッツォはにたりと笑う。ムッとして口をへの字にするティニヤ王女に、ティーア王女とティーナ王女がくすくすと笑った。
「笑えるものと、歓声が上がるようなものは固めない方がいいな。緩急は大事だからね」
ユリシーズは書類を見下ろしながら頭の中で出走順を練る。
「それにしても。ベルンシュタインが誇る名騎手、ロア・ジャンメールが出走しないのは残念だな」
からかい半分といった顔でドゥラカがロアを見る。ロアは途端に表情を曇らせた。
「私は、準備で忙しいから」
「ウィンフィールドでも名を知られているあなたが出れば、きっと盛り上がると思うけれどー」
ティーナ王女が探るように言う。
「そうさ。あれ以来ウィンフィールドでも、夜会できみの名が出ない日はないくらいなんだよ」
ユリシーズもすかさず後に続いたが、ロアは口をへの字にしたまま首を横に振った。
「……ううん、今はこうやって色々するだけで手一杯だから」
書類を両手で持って急に真剣に読み込み始めたロアに、ユリシーズとティーナ王女は顔と顔を見合わせた。
「それはそうとして。ショーの名称の方は何かいい案は出たかい?」
話題を変えて、ユリシーズは全員の顔を見回した。
「『綿雲のレース』なんて、可愛いんじゃないかしらー」
ティーア王女が胸元で両手の指先を組み合わせながら微笑んだ。だがそれにはユリシーズが首を振った。
「天馬だけならそれでいいと思うけど、地上の馬も出るからね……」
「ガラクタレースってのはどうだ?」
道化のオッツォの案にはロアが顔をしかめた。
「馬はガラクタじゃないよ。『みんなおいでよ! 馬たちのがんばり大会』っていうのはどう?」
自分のメモ帳を引っ張り出して確認し、目をキラキラさせてロアが言った。だがそれはティニヤ王女が即座に否定する。
「五十人規模の大会みたいな名前ね」
「じゃあ、『春から熱いぜ! これが馬たちの全力ショー!』は?」
「必ず煽り文句を付けるのは、あなたのポリシーなの?」
熱く握り拳を作って提案したロアを冷たい目で見てから、ティニヤ王女は順に全員の顔を見つめた。
「名称が決まらないと宣伝もできないから、早く決めたいのよ。何かない?」
コンラッドが胸ポケットから手紙を取り出した。カサリという音を立ててそれを開く。
「……ここには来られなかった彼女から、名称の案を預かってきたんだ。『花曇賞』というのはどうだろうかと」
「ハナグモリ賞?」
耳慣れない言葉に、ロアが目を瞬かせた。鼻をひくつかせたモグラが頭の中に浮かんでいる。
「ああ。春の花が咲く頃の、空が薄く曇っていることを花曇りと言うらしい」
ティーナ王女が眉を上げた。
「……花と、曇りー?」
「ウィンフィールドの天馬と、ベルンシュタインの羽落ち牧場ということかしらー」
にっこりと笑ったティーア王女が言った言葉で、ようやく意味を理解したロアが大きく目を見開く。
「花の国と、曇天の国で、花曇賞か! ぴったりな名前じゃない!?」
興奮して叫ぶと、ユリシーズが顎に触れながら同意する。
「うん、いいね」
ティニヤ王女は書類に『花曇賞』と書き付けて、少し書類から顔を離して字面を確かめた。
「悪くないわ」
「クローディア、じゃなかった、ええと、マリア。マリアは表立ってショーのこと手伝えないって気にしてたから、名前がマリアの案に決まったらきっと喜ぶよ。ね?」
ロアは晴れ晴れとした満面の笑みでコンラッドに尋ねる。これにはコンラッドも僅かに微笑んで頷いた。
「ああ、そうだろうな」
「『花曇賞』でどうかしら」
ティニヤ王女が聞く。
「僕はいいと思うよ。賞が付いてるから、馬のイベントだって分かりやすいしね」
「美しい名前ねー、わたくしたちも異論はないわー」
「オッツォ、あなたは?」
ティニヤ王女が道化の意見を確認したので、コンラッドは驚いた。コンラッドはこの場に道化が同席していること自体不快なほどだったが、まさかそうとは言えずに黙っていたのだった。
「小洒落ててちいとばかりわかりにくいとは思いますが、まあその分だけ箔がついていいんじゃねえですか」
そう言ってオッツォは頷いた。
「ウィンフィールド国王の主催なんだから、安い名前じゃ困るのよ。これで行きましょ」
誰からも反対意見は出ないのを見て、ティニヤ王女が書類に書いた『花曇賞』の文字に大きく丸を付けた。そしてそれをテーブルの端のオッツォへひらりと滑らせる。
「オッツォ、これをクレメンテに渡してきて」
隻腕のクレメンテ・パッツィーニは、ベルンシュタイン皇帝陛下とともに別室で待機していた。皇帝は自分も会議に参加すると主張したのだが、あなたがいるとみんな発言しにくいからとのティニヤ王女の一言で不参加となったのだった。クレメンテはその道連れだ。
「あいよ」
オッツォは書類を手にしてぴょんと椅子を飛び降りると、体を左右に揺らしながら扉を開けて部屋を出て行った。
「クレメンテさんに、ですか?」
ロアが不思議そうな顔でティニヤ王女を見た。決定した名称をベルンシュタイン皇帝に報告するなら分かるが、あえてクレメンテにと指定したのが気になった。
「そうよ。あの人にはポスターを描いてもらうことになってるの」
「えっ、そうだったんですか」
驚くと同時に、ロアの胸は震えた。利き腕を失っても自分は画家なのだと言っていたクレメンテが、本当に画家として仕事を託されていたのだ。
「腕一本で描くと時間がかかるから、名称を早く決めてくれってずっと言われてたのよ。無事に決まって良かったわ」
ティニヤ王女は少しだけほっとした様子で、別の書類を手元に引き寄せた。
「クレメンテさん、良かったですね……」
感動して目を潤ませているロアに気づいて、ティニヤ王女はしかめ面をした。
「何よ、泣いてるの? わたしは別に、クレメンテのためにポスター制作を頼んだわけじゃないわよ」
「え?」
ティニヤ王女はロアにペン先を向けて、軽くつつくような仕草をした。
「当たり前でしょ、これは慈善事業じゃないのよ。クレメンテの父親は肖像画が得意だったけど、クレメンテはもっと庶民的で細々とした絵が得意だったの。ポスターもそうだし、挿絵とか新聞広告とかね」
「知りませんでした」
「それにクレメンテなら、皇帝陛下のご命令でタダで描かせられるもの」
身も蓋もないことを言いつつ、ティニヤ王女は書類に目を落とす。
「これで話し合いは終わりか?」
時計を見上げてコンラッドが言った。一刻も早く、最愛の恋人の待つウィンフィールドへ帰りたいといった様子だ。それを見たユリシーズは少し笑った。
「まだまだ。あとは開催日時、収容人数、チケットの国別の配分の比率、ショーに使う馬のセレクト、使う装置や道具の種類や数、悪天候時の対応……幾らでも議題はあるよ」
「うえー!」
素直に感情を口に出したのはロアだけだったが、ユリシーズとティニヤ王女以外の全員が表情を曇らせた。





