雪解けとさえずり
その後もロアはあちこちのグループにそれとなく近づいて、馬達のショーに誘うことに成功した。ウィンフィールド王国の大舞踏会の話を聞きたがる人が多かったので、こちらから話しかけなくても向こうから話し掛けられることもあった。
そして今、一番の難関の前にロアは立っている。ロアが苦手な、年若い少年少女達だ。彼と彼女達は、ロアがホールをうろついては話をするのをちらちらと好奇心を滲ませて見ていた。だが直接呼び止めて話し掛けてくる者はいなかった。自分から話し掛けるしかない。
ロアは覚悟を決めて大きく息を吸った。
「ねえ、ちょっといい?」
少年がニヤニヤと笑いながらロアを見た。
「いいけど」
許可を出したのは黒髪の巻き毛の少女だ。
「あなた、ウィンフィールドへ行ったんですってね?」
ロアが話すより早く、赤毛の少女が質問してきた。
「うん」
「王子様たちの花嫁候補だったんでしょう?」
「王子様とは踊ったの?」
矢継ぎ早の質問に戸惑いながら、ロアは小さく二度頷いた。
「何度かね」
「キャー、王子様と舞踏会で踊るなんて夢みたい!」
「ねえ、どうだった!?」
少女達は歓声を上げ、ぐっとロアに近づいて来た。圧に押されて、反射的に一歩下がってしまう。
「ど、どうって……?」
「あなた夜会に全然出ないのに、上手く踊れたの?」
「うーん、知らない曲が多くて困ったけど、慣れたら普通に踊れたよ」
コンラッド王子の足を踏んだことは黙っておくことにした。
「ウィンフィールドの王子様は、噂通り格好よかった?」
顎にほくろのある少女が目を輝かせながら言う。王子のことを何も知らずにウィンフィールドに渡ったロアは、その噂さえ知らなかった。
「え、どうだったかな……」
すっかり困り顔になりながら目を閉じて記憶を辿ると、ユリシーズが天馬に乗った姿で瞼の裏に現れた。懸命に顔の詳細を読み取ろうとしたが、視界のピントは次第にユリシーズを乗せたシェーガーの顔に合っていく始末だった。ロアは諦めて目を開けた。
「まあそうだと思うよ」
「まあそうだと思うよ、ですって?」
「もっと具体的に言ってよ」
この中で一番小柄な少女が、不満そうに言った。そんな少女達の騒がしい会話を、少年達は呆れ半分嫉妬半分といった様子で眺めている。弱り切ったロアはしかめ面になった。
「ぐ、具体的に? ……えーと、確かユリシーズの方が背が高くて、後は……うーん……肌が日に焼けてて……」
「『ユリシーズ』!?」
栗色の髪の鼻の高い少女が、人殺しを見たかのような顔で叫んだ。ロアはびくりと体を揺らし、それから慌てて訂正する。
「あ。ま、間違えた。ユリシ-ズ王子、ね」
少女達は疑念の眼差しでじっとロアを見る。その緊張状態に耐えかねて、ロアはへらりと笑った。気の抜けたその笑顔に、顎にほくろのある少女がため息をつく。
「……ユリシーズ様は背が高くて、魅惑的でエキゾチックなお顔立ちなんでしょう?」
「コンラッド様はちょっぴりクールで、冴え冴えとした美しいお方だって聞いてるけど」
直接会った自分より詳細な表現にほっとしたロアは、知っているなら聞かなくてもいいだろうにと少しだけ恨めしく思った。
「ああ、そうそう。そんな感じ。なんだ、みんな知ってたんだね。確かにそんな感じだったよ」
「ほらね! 私、叔父様の家で王子様の肖像画を見たことがあるのよ。肖像画の通りだわ」
赤毛の少女が勝ち誇り胸を張った。黒髪の少女は意に介せずに質問を続ける。
「ねえ、結局どこの国の花嫁候補がお后様に決まったの?」
「え。ど、どうなんだろう」
クローディアのことは言わない方がいいだろう、そう思ったロアの目が泳いだ。少女達の中で一番小柄な少女が呆れた声を出す。
「大舞踏会に参加したのに、知らないの?」
「うーん。一人は決まったみたいだけど」
ロアは仕方なく曖昧に答えた。
「うそ! どちらの王子様!?」
「相手はどんな子なの!?」
興奮した少女達は、体に触れるくらいに更に身を近づけた。ロアは身を反らして両手を胸の前へ上げる。
「わ、私も詳しくは……。とにかく、ものすごくきれいな子だったよ」
事実を一つだけ告げると、途端に少女達は意気消沈した。
「あーあ、やっぱり選ばれるのは美人なのねえ」
顎にほくろのある少女が自分の髪に触れた。自分の平凡な髪色が好きではないようだ。
「私だって、鼻さえお父様に似ていたら……」
栗色の髪の少女が肩を落とした。
「それで、結婚するのはどちらの王子様なの?」
「コンラッドだよ」
「……」
「『コンラッド』?」
少女達の声が揃う。ロアは恐ろしくなって大声で訂正する。
「また間違えた! コンラッド王子、コンラッド様!」
赤毛の少女がじっとりとした視線を向けて訝しむ。
「怪しいわね」
栗毛の少女が一歩前に出た。
「あなた、コンラッド王子と親しいんじゃないの?」
小柄な少女もずいっとロアに詰め寄る。
「知らないなんて言って、本当はあなたがお后様になるんじゃないでしょうね?」
「まさか!」
黒髪の巻き毛の少女の問いにロアは叫んだ。うっかり花嫁衣装を着てコンラッドと腕を組む自分を想像してしまい、ぶるぶると首を横に振る。
「違う違う違う、結婚相手はウィンフィールドに住んでる子だよ」
「なーんだ。よそから花嫁候補を募っておいて、結局は自分の国の子がいいのね」
残念がりつつも、少しだけ小馬鹿にしたように巻き毛の少女がさらりと髪を後ろへ払う。
「やっぱり王妃になる人が異国の人だと、王子様とは風習が違うものね」
「そうなるといろいろ大変なんじゃないかしら」
「だけどよその国と繋がりができるのは、いいことなんじゃない?」
少女達は口々に話し出す。ロアは彼女達に話し掛けた目的をようやく思い出して、大きな声を出した。
「あ、あの!」
ロアのことなど忘れていたかのような目で、少女達が視線を戻す。
「……来年か、再来年。ウィンフィールド王国国境の近くで、楽しいショーをする予定があるんだ。良かったら、見に来ない?」
「西部の端で、ショーですって?」
「どんなショーなの?」
彼女達の興味を引くべく、ロアは懸命に言葉を探した。
「馬のショーだよ。飛んだり走ったりっていう役目を終えた馬たちが、華やかな格好をしたり芸をしたりするショー」
「ふうん。それって面白いの?」
黒髪の少女が冷めた目で尋ねる。
「もちろん! そうなるように今、みんなで一生懸命アイデアを出してるんだよ」
「みんなって、あなたやほかの騎手?」
値踏みするような目で、栗色の髪の少女がロアを見た。
「うん。それにソイニンヴァーラの王女様たちや、ウィンフィールドの王子様たちも」
赤毛の少女が目を見開いて叫んだ。
「王子様が!?」
「あなた、やっぱり王子様たちと親しいんじゃない!」
非難するかのような鋭い口調で、小柄な少女が言った。ロアは剣幕に押されながら懸命に事情を説明する。
「や、そういうわけじゃ……。そもそもショーというか羽落ちの牧場は、ソイニンヴァーラの王女様──じゃなくて、ウィンフィールドの国王陛下の発案なんだよ。私はそれに協力してるだけ」
少女達は半信半疑のようだった。ロアは全員を見回した。
「みんな、ショーに来てくれる?」
「残念だけど、遠慮しておくわ。わたくしは馬には興味ないもの」
黒髪の少女がにべもなく断った。
「そうね。私も行かないわ」
小柄な少女が追従する。だが赤毛の少女は首を横に振った。
「あちこちの王族が主催のショーなのよ。わたしは行ってみたいわ」
「ほんと!? 来て来て、家族の人も連れて来て!」
色よい返事にロアはいきり立つ。
「私も行ってみたいけど……」
栗色の髪の少女が悩みながら呟く。
「ウィンフィールドの国境の近くなんて、遠すぎるわ。お父様が許してくれないと思う」
少女が悲しげな表情をした。
「そこを何とか、頼み込んで来てよ」
ロアは熱っぽく説得する。
「無理よ。年寄り馬のショーじゃ、お父様を説得できないわ」
あっさりと諦めた少女を見て、なおも食い下がろうとしたロアはあることをひらめいた。
「そうだ。ユリシーズに騎手として出てくれるよう頼んでみるよ、それならみんな見たいでしょ?」
「見たいわ!」
「見たい!」
「絶対に行く!」
少女達は間髪入れず答えた。だが黒髪の少女だけは顎に手を当ててロアを見ると、疑いに満ちた表情で目を細めた。
「……『ユリシーズ』?」
また呼び捨てにしてしまったと気づいて、背筋がすうっと冷える。驚いた少女達の丸い目が一斉にロアに向けられた。
「あっ──と、とにかくそういう訳だから、よろしくね。決まったらまた声を掛けるから!」





