勧誘
あれから半月。
ロアは参加する予定のなかった夜会に父とともに出席していた。皇帝の城を訪ねた日から見違えるように覇気を取り戻した娘の姿に、父であるジャンメール男爵は心からほっとしていた。だが苦手な夜会とあって、今夜のロアにはまだ少し肩に緊張が見える。そこにふわりと香水の香りが漂って父の姉、ロアにとっては伯母になるフンボルト子爵夫人が声を掛けてきた。娘のアメリア・ケッシンガー男爵夫人も一緒だ。
「ずいぶんと久しぶりね」
「姉上、アメリア。元気そうだね、ご機嫌はいかがかな」
「お陰さまでそれなりにやっていますわ」
「ダックスは少し痩せたんじゃなくって?」
ロアとジャンメール男爵を見て、フンボルト子爵夫人が小首を傾げる。
「娘の旅が心配で食欲がなかったからね。でももう元気ですよ、なあロア」
「はい」
「あなたを夜会で見かけるなんて久しぶりね、ロア」
ケッシンガー男爵夫人がロアを見て微笑む。小さな子ども二人の母である男爵夫人は、子どもと離れて参加している夜会を楽しんでいるようで既に頬が朱に染まっている。
「先月のベーア侯爵の夜会には出たのですよ」
「そうなの。あなたも年頃なんだから、その調子でどんどんあちこちに顔を出しておくといいわ」
娘の参加を誇るようなジャンメール男爵の言葉に、フンボルト子爵夫人は許可を与えるかのように浅く頷いた。
「はあ」
年齢と夜会への参加に何が関係があるのか分からず、ロアは気の抜けた返事をしてしまう。
「最近は馬に乗っていないんですって?」
「ええ、まあ」
ロアは気まずそうに少し斜めに頷いた。
「一体どうしたの、怪我でもしたの?」
「そういう訳ではないんですけど……あの、実は今、馬に関するある計画がありまして」
言い淀みながら意を決して顔を上げ、ロアは夜会に参加した理由でもある話の口火を切った。フンボルト子爵夫人は、予期せぬ返答に細い三日月のような眉を上げた。
「計画?」
「はい。怪我をして飛べなくなった天馬や、走れなくなった馬たちをメインにしたショーです」
二人の女性にとってはあまりに突拍子もない話題だったのか、場に沈黙が流れた。
「……走れなくなった馬のショーですって? あなたは自分から話し掛けてくるといつも、酔狂なことを言い出すわね」
新しいものも美しくないものも好まない子爵夫人が、信じられないというように眉根を寄せる。
「とにかくそのショーに、お客をたくさん集めなくちゃいけなくて。顔の広い伯母様達にも、協力して頂けるとありがたいのですけど」
顔が広いと言われて悪い気はしないが、子爵夫人は唇を真一文字に結んでひらひらと扇を揺らした。
「何を言い出すかと思えば、まったく……。普通のレースならともかく、みすぼらしい馬ばかり集めた哀れなショーなんて、誰が見たいと思うの」
「もちろん、見て楽しめるものにするつもりです。人を集めて頂けませんか」
ロアは真っ直ぐに伯母を見つめて力を込めて言った。自分に対してはいつもどこかびくついている姪の姿が珍しく、子爵夫人はますます訝しんだ。
「簡単に言うけれど、そのショーとやらが質のいいものでなかったら誘ったわたくしが恥をかくのよ?」
「そんなことにはならないようにします。着飾ったり、変わったアイデアだったり……とにかく面白いものにしますから、ぜひお願いします!」
子爵夫人の言うことはもっともだった。だがロアは引き下がる素振りさえ見せずに、熱い口調でなおも頼み込む。
「まあまあ、ロアがここまで一生懸命に頼んでくるなんて珍しいわ。協力してあげましょうよ、お母様」
二人の遣り取りを黙って聞いていたケッシンガー男爵夫人が、二人を見比べるように視線を移しながらおもむろに口を開いた。だがフンボルト子爵夫人の表情は厳めしいままだ。
「安請け合いは怪我の元だわ。人からの信頼というものは長年の積み重ねだけれど、崩れる時は一瞬なのよ、アメリア」
母の説教は聞こえない振りをして、ケッシンガー男爵夫人は従姉妹をまじまじと見た。
「もっと話をよく聞かせてちょうだい。その馬のショーをするというのは、あなたが考えたことなの?」
「いえ、発案はソイ……じゃなくて、えっと、ウィンフィールド国王陛下です」
ロアは慌てて言葉を言い換えた。本当の発案者がソイニンヴァーラ王国の三王女であるということは、今ではもうなかったことになっている。発案者をウィンフィールド国王にすることで、自国の羽落ちに対しての国王の慈悲深さをアピールするためだ。それともう一つ、羽落ちの牧場を当初の予定のソイニンヴァーラではなくウィンフィールドにすることを条件に、ようやく国王は軍馬の羽落ちを牧場に受け渡すことに同意してくれたのだった。
「ウィンフィールドの国王が?」
母娘は揃って目を丸くした。
「それを早くおっしゃい。わたくしはてっきり、あなたたちベルンシュタインの騎手だけで立てた企画かと思ったわ」
「すみません。ベルンシュタインの皇帝陛下や、キリヤコフ公国の公子も協力してくれています」
ウィンフィールド国王の名を出したことで二人の態度が変わったのを見て、ロアは効果の高そうな人物を選んで口にした。
「まあ!」
ケッシンガー男爵夫人はまた目を見開いて、口元に扇を当てた。ロアは急いで畳みかける。
「それに、ソイニンヴァーラの王女もです。元々王女たちは、羽落ちに心を痛めて下さっていたので」
「さっきも羽落ちと言っていたわね。何のことなの?」
首を傾げる従姉妹に、ロアは慌てて説明する。
「あ、ごめんなさい。羽落ちというのは、飛べなくなった天馬のことです。今までは羽落ちの牡馬は殺処分されていたんです」
「そうなの、可哀想に」
犬好きの男爵夫人は馬にも同情を寄せてくれた。
「そのショーのチケットはお幾らなの?」
動物に興味のないフンボルト子爵夫人は、別のことに興味を持ったようだ。ロアはぱちくりと緑の目を瞬いた。ショーの内容のことで頭がいっぱいで、チケットの値段など気にしたことがなかったからだ。
「……まだそこまでは、決まってないと思います」
正確にはティニヤ王女は大まかな額の話はしていたのだが、ロアはそれを忘れている。
「そう。場所はどこなの? 時期は?」
重ねられた質問にたじろぎながらも、ロアは懸命に頭の中で決定事項を整理する。
「ええと、まだ時期もはっきりとは決まっていなくて。秋はバロウズ杯の季節なので、来年の春はどうかというくらいです。場所は、ウィンフィールド王国との国境近くになる予定です」
「未定だらけね。決まったら連絡なさい、そうね、十五枚ほど買ってあげるわ」
頭の中で声を掛ける人を選びながら、子爵夫人が優雅に扇を動かす。ロアはぱっと輝くような笑顔になった。
「ありがとうございます!」
「五人分だけだけど、わたくしも買わせてもらうわ」
ケッシンガー男爵夫人も、家族分の購入を約束してくれた。ロアは思わず従姉妹の手を取った。
「アメリアも、ありがとう!」
「助かります」
ジャンメール男爵もにこりと姉達に微笑んだ。
「可愛い姪のためですからね」
つんと顎を上げて、フンボルト子爵夫人はゆっくりと口端を吊り上げた。
伯母と従姉妹への誘いが上手く行って覇気を取り戻したロアは、次に伯爵の息子であるミッチェル・アンカーソンに声を掛けた。
「ミッチェル、久しぶり!」
ミッチェルはびくりと肩を振るわせて振り返り、相手がロアだと分かると目を丸くして赤くなった。
「やっ、やや、やあ、ロア」
ロアは前に会った時は自分より少し小さかったミッチェルが、自分より大きくなっていることに驚いて目をくりくりさせた。
「うわあ、背が伸びたねえ! いいなあ」
それでも平均よりは少し小柄だからか、ミッチェルは眉を八の字にして首を横に振った。
「そ、そんなことないよ。も、もっと伸びて欲しかったけど、もう止まっちゃったんだ。……あの、きみ、ウィンフィールドに行ってきたんだってね」
ロアは頷いた。
「そうだよ。ミッチェルも知ってたんだね」
「けっ、怪我、け、……」
ミッチェルは頷いて言葉を続けようとしたが、言葉が重なって詰まってしまった。ロアは笑うことも問い返すこともせず、ミッチェルが落ち着くのをただ待った。
「……お、大怪我をしたって聞いたけど、大丈夫?」
ごくりと息を飲んで胸元に手を当てたミッチェルは、今までより少し大きな声で言葉を発した。
「大した怪我じゃなかったから、この通りもう元気だよ」
ロアは陽気に両手を広げて見せた。
「そ、そうだったんだ。良かったね」
ミッチェルはほっとして表情を緩めた。まだ顔は僅かに赤いが、肩の力も抜けたようだ。
「うん、ありがとう。それでね、ミッチェル。あなたにお願いしたいことがあって……これから開催する予定の馬のショーに、できるだけたくさんお客さんを呼びたいんだ。ミッチェルも知り合いに声を掛けてくれない?」
「う、馬のショー?」
きょとんとした顔をしたミッチェルに、ロアは更に説明を続ける。
「そうだよ。飛べなくなった天馬や、走れなくなった競走馬、働けなくなった馬車馬や、農耕馬たちのショーなんだ」
ミッチェルはぽかんとした表情のまま固まってしまった。伯母の反応を思い出し、ロアは慌てて手を動かした。
「あ、でもちゃんと見応えのある楽しいものにするよ! 詳しくはまだ言えないけど、笑えるものやかっこいいものも用意するから、だから──」
必死に乞う姿に、ミッチェルは微笑んで頷いた。
「よ、よく分からないけど。僕にできることがあるなら、協力するよ」
「わー、ありがとう!」
ロアは満面の笑みを浮かべた。国王や皇帝の名を出さずとも来てくれるというミッチェルは、やはりいい人に違いないという思いを深める。
「楽しそうね、何のお話かしら。わたくしも混ぜてもらってもよろしいですか?」
鈴を転がすような声がして、ほっそりとした少女が近づいて来た。ロアは微笑んだまま少女を振り返る。
「どうぞどうぞ」
「ありがとう。ロアさんは、ほんとにミッチェルと仲良しなんですわね」
名も知らない少女が自分の名を知っていたことに、ロアは思わず目を見開いて眉を上げた。その顔を見て少女は満足そうににっこりと笑った。
「うふふ。わたくし、あなたとミッチェルが踊るのを見たことがあるのですわ。あの時ミッチェルは、とっても優雅に踊っていましたわね」
ロアがミッチェルと踊ったのはたった一度、何年も前のことだ。ロアは少女の記憶力に驚いた。
「ああ、確かにミッチェルはほんとにダンスが上手だよねえ。あなたもミッチェルと踊ったことがあるの?」
「もちろん。あなたがミッチェルと踊った夜に、わたくしも初めてミッチェルと踊ったのですわ」
「そうなんだ。……ねえ、あなたも馬のショーに来ない? ミッチェルの友達なんでしょ、ミッチェルと一緒においでよ。ダンスはないけど、楽しいショーだよ」
相槌もそこそこに呑気ににこにこと少女を誘うロアに、ミッチェルがどぎまぎして真っ赤になった。
「あ、そ、その子は……」
「ええ、喜んで行かせていただきます。でも、わたくしはミッチェルのお友達ではありませんわ」
「へ?」
ロアはぽかんとして少女を見つめる。
「一昨日からは婚約者になったのですわ。そうですわよね、わたくしの愛しいミッチェル」
少女はミッチェルの腕に自分の腕を絡め、ゆったりと微笑んだ。
「ええっ!!」
ロアが目を丸くしてミッチェルを見ると、彼はこれ以上赤くなれないほど赤くなって俯き身を固くしていた。
「そうなんだ、おめでとうミッチェル!」
「あ、あ、ありがとう……」
ミッチェルは絞り出すような声で言った。少女は姿勢を正してロアを見た。
「ロアさん、わたくしたちが知り合えたのはあなたのおかげなのですわ。あの夜あなたがミッチェルと踊っていなかったら、わたくしはこの人の素晴らしさに気づけませんでしたから」
「そうなの?」
「ええ。ですから、ずっとお礼を言いたいと思っていたのです。今夜お会いできて嬉しいですわ」
ロアは照れて後頭部を軽く掻く。
「いやあ、私は何もしてないよ。でも何だろう、すごく嬉しいな。良かったねえ、ミッチェル!」
恥ずかしさがピークに達したのか、とうとうミッチェルは片手で目元を覆ってしまった。そんな婚約者を、少女は愛情の籠もった眼差しで見つめる。
「この通り、恥ずかしがり屋の未来の夫ですが、結婚式はきとんと挙げますわ。ロアさんも、ぜひ参列して下さいませ」
「うん!」
少女はにこりと微笑む。
「ロアさんのお馬さんのショーも、楽しみにしていますわ」
「アハハ、私のってわけではないけどね。色々決まったらすぐ連絡するよ、じゃあまたね」
その場を離れようとしたロアは、ミッチェルがまだ片手で目元を覆ったまま黙っているのに気づいて足を止めた。そして婚約者と悪戯っぽく視線を交わしてから、息を吸って大きな声で言った。
「婚約おめでとう、ミッチェル!」
周囲の視線が一斉に幸せいっぱいの二人に注がれた。婚約者はころころと笑い、ミッチェルは耳まで真っ赤になった。





