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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
最終章 はやる心の花曇り
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雲の上はいつも蒼天


「クレメンテから知恵を借りるって? おいおい、そいつがおめえに知恵を貸し出しても生活できるほどの知恵者に見えるか?」


 オッツォが素っ頓狂な声を上げて、小馬鹿にした口調でまた冗談を言う。


「そうなら光栄だけど」


 画家の父に付いて街から街へ渡って育ったクレメンテは、ほとんど学校には通っていない。さもおかしそうに口元をひくつかせたクレメンテに、ロアは真面目な顔で大きく頷いた。


「違う視点からのアイデアがほしいんです。あなたも──えっと、オッツォさんもお願いします。羽落ち牧場をどうしたらたくさんの人に知ってもらえるか、何かいい考えはありませんか?」


 誰かにさん付けで呼ばれることなど滅多にないオッツォは、ぎょっとして目を丸くした。まして相手は騎手ではあるが、身分は貴族だ。


「飛べなくなった天馬の牧場を?」


 クレメンテは顎を擦った。気が進まなかったが、何せロアが真剣なので逃げ場がない。


「そうです。走れなくなったり、働けなくなった地上の馬たちもいる牧場です」


「そうだなあ……当世流行りの画家に哀れな馬たちのポスターでも描かせて、心優しい貴婦人達の同情を集めるっていうのはどう?」


 手法としては現実的だし有効だろう。だがロアがしゅんとして肩を落とした。


「あの、可哀想な馬たちっていうのを前面に出すのはちょっと……。我がままでごめんなさい」


 ぺこりと頭を下げたロアを見た後で、クレメンテはオッツォと視線を交わして肩を竦めた。


「となるとかなりの難題になるよ。ちなみにきみは何か思いついたの?」


 時間稼ぎに問いを返すと、ロアは悔しそうに顔を伏せた。


「……私は、レースをすることしか思いつかなくて。でも走ったり飛んだりできない馬ばかりだから、そんなレースを見に来てくれる人はいないかもしれなくて……」


「だろうな。悪趣味すぎらぁ」


 オッツォが真顔で頷いた。ロアは更に肩を落として、己の無力さに唇を嚙んだ。


「まあそうがっかりしないで、ゆっくり考えてみようよ。三人寄れば何とやら、いいアイデアが出るかもしれないし」


 クレメンテはぽんとロアの肩に触れ、顎に手を当てて考え込んだ。その仕草がやはりユリシーズにどこか似ていて、ロアは会ったこともない親子の血の繋がりに不思議な気持ちになった。


「そうだなあ、花馬車なんか珍しくていいかもね」


「花馬車? ……ああ、パンセ共和国の?」


 ロアが確認すると、クレメンテは頷いた。花で美しく飾り付けられた馬車はパンセ共和国の名物だ。


「弱った馬ばっかり集めた牧場なんだろ、馬車を牽かせるのは無理じゃねえのか」


 現実思考のオッツォに指摘されて、クレメンテは眉を下げた。


「そうだねえ。停まったままの花馬車でサンドイッチを食べるくらいがせいぜいかな」


「でもいいアイデアです。ティニヤ王女は、食堂も作りたいって言ってましたから」


 屋外で食事をするのが好きなロアは微笑んだ。尋ねてみて正解だったと思い、少し覇気を取り戻す。


「でもそうなると、乗馬も難しいんだろうね。うーん、他に何かあるかなあ……」


 クレメンテは弱り切った顔で天井を見上げた。


「どうした、がんばれよ知恵者」


 オッツォが加虐心を弾ませて楽しげにクレメンテを眺める。クレメンテは目を細めてオッツォを見返した。


「オッツォ。ソイニンヴァーラの三王女はきみの前の主だろ、口出しばっかりしてないできみも考えたらどうだい」


 初耳だったロアはきょとんとしてオッツォを見た。皇帝相手でも鋭い舌鋒で皮肉ることもある道化が、何故ベルンシュタイン皇帝の傍にいるのかが分かった気がした。理由は分からないが、ティニヤ王女から皇帝に道化のオッツォが譲られたのだろう。そういった縁でもなければあの残虐な皇帝が道化を傍に置くはずがない。


「そうだったんですね。オッツォさんは人を喜ばせるプロですから、何かいいアイデアがきっと浮かぶはずです」


 期待に満ちた眼差しで見つめられ、オッツォは動揺して思い切り顔をしかめた。


「……おだてたって、オレから出るのはゲップくらいのもんだ」


 オッツォはクレメンテ以上に学がない。学校には一度も通ったことがなかったし、人を笑わせる以外に何か特別な能力がある訳でもなかった。そんな短躯の中年の道化が、家族以外の人間に頼られることなどまずない。口では憎まれ口を叩きながらも、オッツォは腕組みをして本気で知恵を絞り始めた。


「羽落ちに、怪我をした馬や年寄りの馬だからなあ。可哀想だけど正直なところ、観客を集められるような存在じゃないよね」


「そんなことないです!」


 ロアは勢い込んで両手で握り拳を作り、その必死さにクレメンテは苦笑した。


「まあロアちゃんにとっては、魅力的かもしれないけど。でも、一般的には難しいと思うよ。何か根本からショーアップしないと」


「ショーアップ……馬に飾り付けするとかですか?」


 言葉の理解がすれ違い、クレメンテが眉を下げてけらけらと笑った。


「よぼよぼの馬の首に花輪でも掛けて、尻尾にリボンでも結んでみようか?」


 冗談をまともに受け止めたロアが腕組みをして考え込む。


「可愛くしたら、お客さんが来るでしょうか?」


「まず無理だろうねえ」


 クレメンテの顔を見てようやく冗談だったと気づいたロアは、一拍置いて眦を吊り上げた。


「……真面目に考えて下さいよ!」


 思い切り顔を顔をしかめたロアの緑の瞳に、じわりと涙が浮かんだ。こうしている間にも、この世を去る馬たちがいる。羽落ち牧場が成功したとしても、全ての馬たちを救うことはできないかもしれない。だがそれでも、ロアにとっては唯一の希望だった。


「ああ、ごめんよ」


 涙を見て同情したクレメンテは、思わずロアに手を伸ばして頬に触れる。


「何でも茶化すのはぼくの悪い癖だ、何せ画家と道化と太鼓持ちを兼ねてるもんだから」


 頬に触れたクレメンテの手が下に降りて、髪の先に触れる。切り落とした髪の感触が新鮮で、思ったよりも長く触れてしまう。自分の髪を弄ぶクレメンテの指に、色とりどりの絵の具が付いていることにロアは気づいた。


「……画家?」


「ああ。この腕じゃもうまともな絵は描けないけど、それでも画家と名乗らせてもらえるならぼくは画家だよ」


 クレメンテは利き手を失っても、まだ絵を描いているのだ。画家だった、大好きな父と同じように。その事実にひどく胸を打たれて、ロアは何も言えないままクレメンテを見上げた。


「──」


 この間の東部杯で一着でゴールした光景が蘇る。喜びと興奮でいっぱいの気持ちを思い出す。

 馬も人間も年を取ったり怪我をしたりして、元の自分がしていたことをできなくなってしまったら、あんな幸せな気持ちにはもう二度となれないのだろうか。そうじゃないと、クレメンテの左手が言っている気がした。そうじゃない。左手一本でも、素敵な絵はきっとまた描ける。飛べなくなった馬にも、走れなくなった馬にも、きっと。


 ロアの目尻から涙がこぼれた。


「クレメンテさん、オッツォさん……私、どうしても、馬たちに居場所を作ってあげたいんです。翼のない天馬に、走れない馬に、荷物を背負えない馬に、馬車を牽けない馬に……もう一度、別の形で幸せにしてあげたくて……」


 とうとう泣き出したロアを見て、二人は顔を見合わせた。オッツォが両手の手のひらを上に向けて肩を竦める。


「……そうだね、そうできたらいいね。でも馬に乗れない騎手も、幸せにしてあげてよ?」


 冗談めかして微笑み、クレメンテは頬の涙を親指で拭った。自分が馬に乗るのを止めたということを知っていたのだと気づいて、ロアは小さく鼻を啜った。


「利き手をなくした画家も、です」


 予期せぬカウンターが返ってきて、思わずクレメンテは笑った。オッツォも天井を仰いで目元を覆って笑う。


「うーん、そう来たか。参ったな。でもぼくもそうなるといいと思ってはいるんだよ、本当に」


 クレメンテはどこか泣きそうな顔で微笑んだ。現状を煉獄と表現したクレメンテも、幸せになることを諦めている訳ではないらしい。


「……にしても、馬を飾り付る、か」


 オッツォは馬を飾り付けるというクレメンテの冗談に、サーカスのロバのことを思い出した。


 ソイニンヴァーラの三王女に引き抜かれるまで、オッツォはギリヤの民が主催する移動式のサーカス団に所属していた。そこには開幕までの待ち時間に、城内を歩きながら花飾りを観客に売り、それを首に掛けてもらう役のロバがいた。ロバの花飾りはどんどん増えて、最後は花飾りに埋もれてしまう。花だらけになった馬が手綱を引かれてふらふら去って行くのを見て、いつも観客は陽気に笑ったものだ。


「冗談じゃなくなるかもしれねえぞ、その話」


「え?」


 クレメンテがオッツォを見た。ロアも小首を傾げる。


「どういうことですか?」


「サーカスだ」


 まだ目が潤んでいるロアの問いかけに、オッツォは頷きながら答えた。花飾りに埋もれたロバだけではない。サーカスのテントの暗闇の中で次々に披露される芸や、ランプに照らされた人々の笑顔や驚く顔を思い出す。人を楽しませるというなら、あれ以上のものはないだろう。


「サーカス?」


 田舎暮らしで、サーカスなど見たことのないロアはきょとんとした。


「そうだ。馬が身一つで客を楽しませるのが難しいなら、ショーアップした馬と一緒に誰かが芸をすりゃあいい」


「なるほど。道化のきみらしい発想だなあ。そうだ、その大道芸をレースにすればいいんじゃないかい? お客を一番楽しませた馬が優勝だ」


「そりゃ最高じゃねえか、レースにするんなら賭けもできるぜ」


 ギャンブル狂のオッツォは人の悪い笑みを浮かべながらクククと声を漏らし、テーブルに置いていた自分の帽子を手に取った。長靴のような茸のような、奇妙な形をした帽子だ。立てた人差し指でその帽子をくるくると器用に回す。


「うん、盛り上がりそうだね。すごくいいアイデアだと思うけど……馬を見世物にするなんてってロアちゃんに怒られちゃうかな?」


 クレメンテはオッツォのアイデアに感心したように言って、横目でロアを見下ろした。彼の推測通りの感情も確かにあったロアは、自分の意見を決めかねているかのように小さく口を開けたままオッツォを見ていた。


「確かに道化は見世物だ。でもオレは笑われてるんじゃねえ、オレがまわりの奴らを笑わしてんだぜ」


 そう歌うように嘯くと、オッツォは帽子を回している腕を振り下ろして帽子をロアへと投げつけた。驚いたがロアはどうにかそれを受け止めた。手の中の奇妙な帽子をじっと見つめる。一見不格好な帽子に過ぎないが、これは彼の商売道具であり、きっと誇りなのだ。


 オッツォがニヤリと笑った。


「自分の理想を取るか、現実の利を取るか。さあどうする、ジャンメール」


 だがロアの答えは決まっていた。羽落ち牧場の話を聞いた時に願った通りの、美しく爽快な誰に対しても誇れる余生には確かにならないだろう。指を差して笑われる瞬間もあるかもしれない。しかし馬たちの第二の人生を何か役割を与えたいという思いは、この形でなら結実する。


 オッツォの言った通り、可哀想な馬と同情されたり笑われるためのレースにはしない。「どうですか皆さん、楽しい馬でしょう」と胸を張って客を笑顔にするレースだ。

 ティニヤ王女を失望させてあれだけ萎れていた心に、勇気の火が灯ったかのようだった。ロアは大きく息を吸ってから不敵に笑い、オッツォとクレメンテの顔を順に見つめる。


「……やりましょう!」


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