花の国から来た少年
ロアは頭の中の記憶を辿る。実の父親について、ユリシーズは何か言っていただろうか。
「ダンヒル子爵は優しいからね。あの子はぼくを恨んでいないとは言えない、っていう遠回しな言い方しかしないんだ」
道化のオッツォが笑みを消した。子爵の話も出て、ロアは更に目を白黒させて頭の中を整理しようとする。
「ええと……恨んではいると思います」
率直な返答にもさほどショックを受けた様子は見せずに、クレメンテは悲しげにじっとロアを見た。
「そうか。当然だよね」
「あ、でも、お父様……あの、今のお父様、です。ウィンフィールド国王。国王陛下のことも、恨んでるかと」
慰めようとは思ったが、ひどく若い頃にできた顔を見たこともない息子の話でどう慰めればいいのかロアには検討もつかない。結局慰めなのか何なのかよく分からないことを告げただけで終わった。クレメンテは意外そうな顔をした。
「国王を?」
「はい」
ロアは中庭での会話や、それ以前の色々な言葉の端々を思い出しながら頷いた。クレメンテは自分の顎を擦った。その仕草が会ったこともない息子のユリシーズにどこか似ている気がして、不思議な気がした。
「……そうか。ウィンフィールド国王がどこを落としどころにしたのか、何となく想像はつくよ。あの子はきっとそれが不満だったんだね。間男に復讐を遂げて、それ以上揉め事を起こす気はなかったんだろう」
クレメンテは目を伏せながら言った。正確には復讐は為されていないからだ。国王は無実のクレメンテの父を下手人と信じて殺し、復讐を遂げたつもりでいるだけだ。ユリシーズの母を溺愛している国王は彼女の咎を責める気はなく、復讐で全てを水に流して終わらせたのだろう。多感な時期に真実を知ったユリシーズにとっては、辛い着地点だったに違いない。
「ぼくとあの人の罪を、何の罪もないあの子が丸々背負わされているんだよ。むごい話だよね」
他人事のように呟いて、クレメンテはため息をついた。
「でも、クレメンテさんも悪くないですよ」
ロアは隣に座ったクレメンテを見上げた。この言葉は慰めようとした訳ではなく、率直な思いだった。クレメンテはどこか少し面白がっているかのような目でロアを見た。
「だって、まだほんの子どもだったんですから。悪いのは、あの……さそ……誘った人、でしょう」
話が話だけに舌がもつれ、やたらと険しい顔になってしまう。クレメンテはその顔を見て小さく吹き出した。
「おや、きみはあの子の友達なのにぼくを庇うのかい?」
「もちろん。誰の友達だって悪いものは悪いし、悪くないものは悪くないですよ」
迷いがなく力強いロアの言葉に、少しだけクレメンテは笑った。疲れた子どもにも、生きることに飽いた老人にも似た笑顔だった。そして背後を見通すような遠い目でロアを見た。
「……父さんもそう言ってくれたよ。ダンヒル子爵も、テリー様も。だけどぼくは、ぼくが欲望に負けたってことをよく知ってる」
「そ、それは仕方ないですよ」
その時の状況をつい想像してしまってますます戸惑い、ロアは慌てて首を横に振った。
「そうさ。あんなもんはただの生理現象だ、ガキにションベン我慢しろっつうのが無理なのと同じさ」
身も蓋もない比喩を口にして、呆れたようにオッツォが頷く。
「でも、ぼくにはそうは思えない」
静かな声だった。我が子を裏切りの証として遠い国に残し、自分のしたことで父を殺され、クレメンテも長い間苦しんできたのだろうとロアは思った。ユリシーズの母は一体この惨事をどう思っているのだろうか。
「そう思えなくても、あなたは悪くないです。百人いたら百人が悪くないって言うに決まってます」
クレメンテはまた少し笑い、片腕で後ろ手をついてゆっくりベッドに横たわった。大きく息を吐いて仰向けのまま目元に片腕を乗せる。手紙ではダンヒル子爵夫妻とずっと遣り取りしていたが、こうして誰かと息子のことについて会話したのは久しぶりだった。
子爵との手紙を見られて全てを知られたオッツォとさえ、きちんと息子のことについて会話したことはなかった。
「……あの子が自分の息子じゃないって気づいたウィンフィールド国王は、父さんに窃盗の罪を着せたんだ」
話し掛けているというよりは、記憶にたゆたいながらの独り言のような響きだった。
「もちろん父さんが宝物庫からものを盗んで逃げたなんて、でたらめだ。父さんは間違ってもそんなことする人じゃない」
吐き捨てるようにクレメンテは言った。父が罪人の汚名を着せられたことが、今でも許せないのだろうとロアは思った。
「ぼくは父さんが連れて行かれるのが恐ろしかった。連れて行かれたら、無実を晴らす機会もないまま死刑になるのは目に見えていたからね。それで、先代のベルンシュタイン皇帝陛下に必死に頼んだんだよ。陛下はぼくの望みを叶えてくれた。この右腕と引き替えにね」
ロアは言葉を失った。肖像画では二本揃っていた腕が一本になったのは、事故や病気ではなかったのだ。
「先代の陛下がはっきりウィンフィールド国王に断りの返事を送ってくれて、これで助かったと思った。心底ほっとしたよ。……だけどぼくらが警戒を忘れた頃に、父さんは国王の手下に金を握らされたゴロツキに殺された」
ロアもオッツォも何も言えず、ただ口元からクレメンテの気持ちを読み取ろうと見つめた。
「父さんと利き手を失ってからずっと、一人煉獄に取り残されてるみたいな気分だったよ」
地獄ではなく煉獄という表現が、むしろロアには悲しく聞こえた。皮肉気に口端を吊り上げてクレメンテは続ける。
「一時なら笑える。楽しい気分にもなれる。だけど興奮や酔いが覚めて一人きりになれば、ぼくの罪が部屋の隅でじっとぼくを見ているんだ」
「うす気味悪ぃ同居人だな」
小柄な道化のオッツォがせせら笑った。クレメンテもくすりと笑った。
「出てってもらえたらいいんだけどねえ。……そんな時は発作的に窓から飛び降りたくなるんだ。でも父さんを犠牲にして、息子を犠牲にし続けている以上、諸悪の根源のぼくが死んで楽になるわけにはいかない」
自死さえ考えていたということにショックを受けたロアは、咄嗟にクレメンテの手を取った。驚いたクレメンテが腕をずらしたが、ロアはその手を離さなかった。
「おいおい。この部屋にはオレもいるってことを忘れんなよ?」
オッツォが軽口を叩いたが、ロアの耳には入らない。
「よく死なないで、我慢してきてくれましたね……。そのおかげで今、私はこうしてあなたとお話しできるから、良かったです。煉獄に落ちなきゃいけないほど、あなたは悪くないと思います。ううん、絶対、悪くない。だからもう、自分を責めないで下さい」
クレメンテはきょとんとした顔のままロアを黙って見つめていたが、やがてオッツォが腹を抱えて笑い出した。
「ハハハ、何だそりゃ! 何の芝居だ!?」
オッツォが笑うのを窘めるようにちらりと彼を見た後で、クレメンテはゆっくりと花が開くように笑った。
「ありがとう、ロアちゃん。ずいぶんと情熱的なんだね、びっくりしたよ」
ゆっくりと身を起こし、クレメンテは軽妙な口調で言ってロアを見つめた。ロアは真面目な顔のまま確認する。
「私の言いたいこと、伝わりましたか?」
「ああ。半分はね」
半分では足りず、不満げに口をへの字にする。
「本当にあなたが悪いんじゃないのに」
自分を責めるなと責められているような今の状況が滑稽で、クレメンテはくすくすと笑いながらロアの手の甲を器用に指先で撫でた。くすぐったくて反射的に手を引くと、クレメンテはますます楽しそうにロアを見た。
「真面目なんだなあ」
「ジャンメール、おまえ女優になったらどうだ?」
オッツォがまだ口元に笑みを残しながら呆れ半分にからかう。
「もう、私は真面目に話してるのに!」
至極真面目に話しているつもりのロアは、ムッとして二人を咎める。クレメンテが抑えきれないニヤつきを隠すように口元を覆った。
「ごめんごめん。きみがあんまりいい子だから、ついね」
「別にいい子じゃないですよ。私じゃなくたって同じこと言います」
膨れっ面でロアが答えると、オッツォも笑みを消して手に持っていたハンカチを仕舞いながら頷いた。
「まあそうだな。ガキのしたことだ、何年もクヨクヨクヨクヨするような過去じゃねえ」
「そうでしょう? だって子どもが悪い大人にそそのかされて、……その、そういうことになってしまって。国を出て、腕を切り落とされて、たった一人の父様も死んじゃって──運命がそれだけクレメンテさんを責めてくれてるんだから、自分自身までこれ以上責めなくったっていいはずです」
オッツォの同意を得られて勢いづき、ロアはふてくされたような低い声で答えた。最後のロアの言葉がどこか滑稽でクレメンテは笑った。
「面白い理屈だね。優しいお言葉を頂けて感謝するよ」
「いえ。本当のことですから」
クレメンテはロアの緑の瞳をしげしげと覗き込んだ。
「何かお礼をしないとね」
何か企んでいるかのような目つきで見られて落ち着かず、首を横に振る。
「そんな。結構です」
「ロアちゃんは何が好きなのかな。帝都のおいしいお菓子屋さんのお菓子でも食べる?」
愛嬌のある口調で、クレメンテは歌うように言う。ロアは少し困ったように微笑んだ。
「いえ、お礼をされるほどのことじゃ──」
断りかけたロアの脳裏に、先ほどのティニヤ王女の言葉が蘇る。王女とも騎手の自分とも異なるこの二人の視点からなら、何かいいアイデアが出るかもしれない。
「あの、お菓子の代わりに、知恵を貸してくれませんか?」
お読み頂きどうもありがとうございます!
今更ですが、別に後書きは書かなくてもいいものだと気づいて衝撃を受けています笑
今後は後書きを基本的に無くして、更新時間はいったん土日祝の午後8時で固定してみようと思います。
次回『雲の上はいつも蒼天』、場面は今回の続きになります。
ラストへ続く流れが始まる感じですー。





