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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
最終章 はやる心の花曇り
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異彩と無能


「知名度を上げる方法、ですか……」


 新しくできる、羽落ち牧場を大勢の人々にアピールするための方法。まず思い浮かんだのはウィンフィールドの大舞踏会だった。


 父に一度出れば少しは落ち着くからと言われて、ベルンシュタインに帰国してから一度だけ夜会に参加したロアは予想外のひどい質問攻めにあっていた。ウィンフィールドの王子達はどんな顔をしていた、花嫁は決まったのか、ウィンフィールド王城の天井は本当にガラス張りなのか、ソイニンヴァーラからは誰が来ていたのか、どんな料理が出たのか──ロアが忘れているような事柄にも次々に質問が飛んだ。ニコラの勤める孤児院の子どもたちまで話を聞きたいとねだっているという。

 あの大舞踏会は上流階級だけではなく、平民にとっても心浮き立つ大イベントだったのだ。


 羽落ち牧場のことも、あんな風に皆に広められたらとロアは願った。だが牧場にいるのは煌びやかな世界とは無縁の、人間が課した役目を終えた馬たちだ。ただ飼うだけで果たして客は来てくれるだろうか。牧場はウィンフィールドとベルンシュタインの国境付近に作る予定だ。ベルンシュタインからは天馬見たさに人が来るかもしれないが、ウィンフィールドからはどうだろうか。翼を痛めた天馬や老いた馬車馬をわざわざ見に来る人間は少ないかもしれないと、馬狂いのロアでさえ思った。


「どう?」


 ティニヤ王女に責めるように問われて、俯いて必死に考え込む。


「ええと……」


「何かないの?」


 自分でも散々知恵を絞った後らしく、苛立ちを隠さずティニヤ王女は言った。


「れ、レースをすれば人が集まると思います」


 牧場に人が集まるというと、レースの日くらいしかない。だが羽落ち牧場は走れない馬や飛べない馬のための牧場だ。レースなどできる訳がない。それでもロアにはもうそれしか思いつかなかった。


「レース?」


 レースという発想がなかったらしく、ティニヤ王女は眉を寄せて冷たく言った。


「何言ってるのよ。そもそもレースで走れなくなった馬や、飛べなくなった馬を集めた牧場でしょう」


「歩くだけのレースならできませんか?」


「あんたねえ……馬が歩くだけのレースをどこの誰が見たがるのよ」


 王女は半眼になり、ゆらゆらと計算尺をロアに向けて揺らした。


「た、確かにそうですね。ごめんなさい」


 ロアは眉を八の字にして王女に頭を下げた。王女はぱしんと手のひらに計算尺を打ち付けた。


「別に謝らなくたっていいわよ、あなたは案を出せって言われて案を出しただけなんだから。他にはない?」


「ええと…………」


 しばらく天井を見上げて考え込んだが、いいアイデアは一つも浮かばなかった。王女はため息をつき、計算尺をナイトテーブルに戻した。


「現場の人間なら、私とは違う角度からアイデアを出せるかと思ったんだけど。残念ながら期待外れだったみたいね」


 ティニヤ王女は肩を竦めて皇帝を見た。


「用はこれで終わりだ。帰るがいい」


 話が終わったと判断した皇帝は冷たく言い放った。ティニヤ王女に露骨に失望され、自分でも自分に失望してロアは泣きたい気持ちになった。


「すみません……」


 ロアは椅子から立ち上がり、もう一度深く頭を下げてから皇帝の部屋を出た。乗馬という取り柄を失い、何の役にも立たない今の自分が羽落ち牧場の馬たちと重なって視界がぼやけた。







 ティニヤ王女とベルンシュタイン皇帝との話を終えたロアは、時間が遅かったため今夜は皇城に一泊してからグラットコールに帰ることになった。天井まで石造りの廊下は暗く、先導する使用人のランプが彼の影を長く落としている。その影の中のロアの足取りは重かった。


「こちらになります」


 使用人が角部屋の扉を開ける。中はウィンフィールド王城で用意された部屋よりも広かった。あらかじめ部屋の蝋燭に火が灯されている。


「何か御用があればこちらのベルを鳴らして下さいませ」


 呼び鈴を手のひらで指し示して、一礼してから使用人は部屋を出て行った。コツコツという靴音が遠ざかるのを待たずに、ロアはぼすんとベッドに倒れ伏した。羽落ち牧場のことで何のアイデアも出せず、馬に乗らない自分が何の役にも立てない人間に思えてひどく気持ちが沈んでいる。馬たちのために何かしてあげたいと本気で思っているのに、何もしてあげられることがないことがもどかしく悔しかった。思わず涙が滲む。


 その時、控えめなノックの音がした。


「はい」


「クレメンテ・パッツィーニと申します。ロア様に少しお話したいことがございまして」


 聞き覚えのあるようなないような名が告げられ、ロアは仕方なく半身を起こして目元を拭った。


「……どうぞ」


 扉が開いた。立っていたのは三十代くらいの隻腕の男と、彼の半分にも満たない背丈の道化のオッツォだ。道化のオッツォには先ほど皇帝の私室で会ったばかりだったが、隻腕の男の顔にも見覚えがあった。大舞踏会のためにウィンフィールド王国に旅立つ前の謁見の際に、ベルンシュタイン皇帝の隣にいた人物だ。


「入れてくれてありがとう。ただきみ、ちょっと無警戒すぎやしないかい?」


 クレメンテはベッドの上に座っているロアを見て、少し驚いた様子で目を両手の手のひらを上に向けた。皮肉なのか冗談なのか判別しがたい言葉とその表情が、ロアの中で別の誰かと重なった。


「あ!」


 ロアは叫び、口元を片手で覆った。


「ん? 何?」


 クレメンテは許可も得ずにロアの隣に腰を下ろした。流れるような自然な所作だ。道化のオッツォはテーブルの前の椅子に飛び乗ってちょこんと座り、テーブルの上に奇妙な形の帽子を置いた。蒸れた禿頭が露わになる。


「ぱ、パッツィーニ──画家の、息子の。あなたがそうなの?」


 要領を得ない問い掛けになってしまったが、クレメンテは意味を察してあっさり頷いた。


「話が早いね。そう、僕があの子の父親だよ」


「……!」


 ロアは目を見開いたままクレメンテを凝視した。彼がユリシーズの実父なのだ。

 ダンヒル子爵の居城で見た肖像画はそっくりだったが、今のクレメンテはもうそれほどユリシーズには似ていない。苦労したせいか年を取ったせいか、あの頃よりも眉や目尻が下がっていたし濃かった眦や眉はかなり薄くなっていた。


「ダンヒル子爵には色々手紙で知らせてもらってるけど、せっかくきみと話せるなら直接あの子の話を聞きたいと思ってね。あの子と仲がいいんだろ?」


 クレメンテはロアの乱れた肩口のドレスを、そっと遠慮がちに引いて元の位置に戻した。どう答えたものか迷いながら、ロアは二度頷いた。


「はい。悪かった時期もありますけど、今は」


 ロアは戸惑った顔で道化のオッツォを見た。クレメンテはオッツォを見て微笑んだ。


「大丈夫、オッツォはぼくの親友だ。全部知ってるよ。それで、きみから見たあの子は、どんな子だい?」


「ええと……立派な王子様ですよ。大舞踏会でも堂々と挨拶していました」


「今でもぼくに似ている?」


 クレメンテは寂しげな顔で聞いた。


「……いえ、今はあまり」


「ハッ、そりゃあよかった」


 オッツォが禿頭をハンカチで拭いながら皮肉気に笑った。表情の動かし方にいつものわざとらしさがない。背丈以外はごく普通の中年男性のようだ。皇帝の前とはまるで態度が違うことに、ロアは驚いて少しだけ目を丸くした。それを見たオッツォはロアを睨む。


「何だよ、髪のない頭がそんなに珍しいか」


「い、いえ。普通に話せたんだなと思って」


 呆れたように両手を広げて、オッツォは鼻で笑った。


「あれは商売用の口調さ。商売人だって家に帰りゃ、揉み手でご機嫌うかがいなんてしやしないだろ」


 ロアが何か言うより早く、クレメンテが焦れたように口を挟む。


「ねえ、そんなことよりもっとあの子の話を聞かせてくれないか。性格はどう、いい子かい?」


「せ、性格ですか。うーん……初めて会った時は、馬好きのいい人だと思いました。あの人最初は、王子様じゃなく御者だって言ってたんです。まんまと騙されました」


 思い出して少し怒った顔になったロアに、クレメンテは笑った。


「そりゃいいな。遊び心はあるようだね」


「おめぇの息子だからな」


 オッツォは汗を拭いてさっぱりした頭の後ろで手を組み、ニヤニヤしながらクレメンテを見た。ロアは唇を尖らせる。


「そんなのなくていいのに。騙されてばっかりです」


「そうなのかい?」


「だから正直言って、私とは対立してた時もあったんです。だけど命も助けてもらったし、クロ──友達のことでも、羽落ち牧場のことでも手を貸してもらって」


 大きく頷いたロアの説明を聞いて、クレメンテが眉を上げた。


「羽落ち牧場? ああ、皇帝陛下とティニヤ王女が話してるあれかい?」


「ええ。それも手伝ってくれてるんです。だからまあ、いい人です。すごくいい人」


「それは良かった。ところで、花嫁は決まった?」


「さあ、私は知りません」


 ロアは首を横に振った。そう言えば花嫁探しはどうなったのだろうと今更思う。幾つもの国から女性達が来ていた。美しい女性、可愛らしい女性、ウィットに富んだ会話のできる女性、ダンスの上手な女性、物静かな女性、聡明な女性。だがユリシーズの相手としてロアが覚えているのは、ティーア王女とティーナ王女くらいだった。


「結婚する気はないのかな」


「はい、そう言ってました。ただ、キール公子の結婚のことは何度も話題にしてたような……それに、やけに公子と自分を比べてましたね。だから本当は、したいのかも」


 最後の夜に忍び込んできた時のユリシーズを思い出す。今思うと何かいつもと雰囲気が少し違ったような気がする。あれ以来顔を合わせていないが、あの時何か相談したいことでもあったのだろうか。そうであればもっと話を聞くべきだったとロアは反省したが、事故で怪我をして寝ている相手に相談しに来る人間などまずいないだろう。


「そのキール公子ってのは何モンだ」


 オッツォが尋ねる。


「キリヤコフ公国の公子です。キール様の結婚には私も協力してるんですよ」


 ロアは明るく笑った。


「花嫁候補に騎手に、それにキューピッド役を勤めてきたんだね。ずいぶん忙しかっただろう」


 クレメンテは微笑んで、それからためらいがちに言葉を続けた。


「……単刀直入に聞くよ。あの子はぼくのことを──いい思いだけして異国に逃げた父親のことを、どう思ってるのかな」


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