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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
第四章 風走る
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急追


 ロアの部屋からウィンフィールド国王の私室にまだ明かりが灯っているのを確認していたユリシーズは、一度自室に戻ってから国王の部屋の扉をノックした。


 嗄れた声の返事が響いて、ユリシーズは金細工の天馬のレリーフの刻まれた重い扉を開ける。


「失礼します」


 部屋の中にはウィンフィールド国王と、王弟の息子マーヴィンがいた。好都合だと、ユリシーズは思わず口端を吊り上げる。


「これはこれは、夜分遅くにお揃いで。お二人で大舞踏会の終幕を祝っておられたのですか?」


 ベッドで上半身だけを起こして寝酒をあおっていた国王は、ナイトテーブルに手にしていたグラスを置いた。


「随分と騒がせてくれたな、ユリシーズ」


「ありがとうございます。見応えのあるレースだったでしょう?」


 父の苦言を意に介さずむしろ礼で返して、ユリシーズは一人賭けのソファにやや乱雑に腰掛けた。


「それで、何の用だ」


 ユリシーズを大の苦手としているマーヴィンが、呻くように言った。ユリシーズは足を組んで手を広げた。


「レースの終幕をスリリングなショーにして下さったお礼をしなければと思いましてね」


「何が言いたい」


 国王が息子を見る。ユリシーズはその皺の下の表情筋の動きを読み取ろうと注視しながら、頷いて口を開いた。


「最後のサムの彼女への接触は、どう見ても不自然だ。そう本人に聞いた時の反応もおかしかった。あれは故意でしょう」


「何故言い切れる」


「誰でも気づきますよ。周回遅れなのに、ゴール前であれだけ浮上するなんて異常だ。どう考えても体当たりして彼女を落とそうとしていた。良心が残っていたのか、当たりが弱すぎて逆に自分が落ちかけてましたけどね」


「ほう。それが余の指示だったと言うのだな」


 ユリシーズはその問いには答えず、視線をマーヴィンに移した。


「それに、絶対に切れてはいけないはずの命綱が切れてしまった。レースであり得ないようなことが二つも起きたんです」


「馬具や命綱の装着は本人がしたと聞いたぞ。装着ミスで落ちたのならば、自業自得だろう」


 マーヴィンが嘲笑う。


「ベルンシュタイン人に、天馬の道具をまともに扱えるはずがないんだ。奴らの馬は地上を走り回るだけなんだからな」


「彼女にはいい師がいる。装着方法には問題はありませんでした」


 ぴくりと国王が白い眉を上げる。


「命綱そのものに不備があったと申すか」


「そうでなければ命綱が切れるはずはありません」


 親子の視線がかち合う。国王は不愉快そうに薄い唇の口角を下げた。


「我がウィンフィールドの大舞踏会の天馬レースで、各国要人の面前にも関わらず死人を出そうとした者がいると?」


「たまたま古い命綱だったのでしょう。不運な事故だったが命は助かったんだ、宮廷医師が手厚く治療して国へ帰してやるのだから、それで十分ではないのか」


 マーヴィンが雄弁に語り、小さな目でユリシーズを睨み付ける。


「ウィンフィールドは大舞踏会の締めくくりを汚され、彼女は深手を負って勝利を失った。その原因が誰かが命綱に細工したせいだったとしたら、我が国と彼女はどうしたらいいのでしょうね」


 しんと場が静まる。マーヴィンはまだ半分以上酒の入っている小さなグラスに、手酌で酒を注いだ。


「細工だと?」


「そうです。彼女の命綱には、体重が掛かった時に壊れてしまうような細工がされていました」


「ふむ」


 国王は顔をしかめた。


「もっと言うと、少し前に彼女の馬具に待ち針草のオイルを掛けた者がいます。彼女は天馬が待ち針草をの匂いを嫌うことを知らなかった。あのままであれば、今日のレースに出場することさえ敵わなかったでしょう」


「ほう、それは面白い話だ。天馬騎手というのは悪ふざけが好きだからな。異国の女騎手とじゃれたかったのだろう」


 ひらりと片手を払うように動かして、マーヴィンが茶化す。


「騎手達に確認してみましたが、サムや父上子飼いのシンも含めて全員が気づかなかったと答えました。これは明らかな嘘です。待ち針草のオイルのせいで、天馬は彼女を背に乗せないほどに嫌がっていたのですから。つまり、騎手の悪ふざけなんかではない。天馬騎手や馬丁達全員に嘘をつかせられるだけの人物が、犯人ということになる」


「ふむ」


「だが何が目的だ? 雨の国の女騎手を負かして、何が面白い」


 マーヴィンは小馬鹿にしたように笑った。


「天馬に乗ったこともない彼女に僕が負ければ、ウィンフィールドは天馬の国としての誉れを失います。それに、彼女は賭けをしていました。今夜のレースで彼女が負ければ、コンラッドはこの国を出てベルンシュタインに渡るという賭けです」


「……ハッ。何だそれは。コンラッドは何故そんな賭けを」


 マーヴィンが言い終えるより早く、ユリシーズは次の言葉を発した。


「賭けに至った理由は今は問題ではないのです。ここは王城、国王陛下の腹の中。お二人とも賭けについてはご存知でしたね?」


「下らぬ。お前はそんな馬鹿げた話をしにわざわざここへ来たのか」


 国王は賭けの話を切り捨てた。


「父上にとっては下らないことでも、誰かにとってはそうじゃないことも山ほどあるんですよ。父上であれば、命綱に細工をさせた人間に心当たりがあるかと思ったのですが──」


 子どもに道理を教えるような柔らかい口調とは裏腹に、鷹のような金色の目が国王を見た。それからマーヴィンと、順に二人を見据えていく。過去にこの目をしたユリシーズに鋏で髭を切られ脅されたことのあるマーヴィンは、表情を強ばらせてごくりと息を飲んだ。


「わ、私は知らんぞ。西部領主に過ぎない私が、王城の中で謀などとんでもない」


 ユリシーズは国王を見た。部屋に入ってきた時から、あまり様子は変わっていないように見える。その平坦な表情から何かを見い出そうとしつつも、一度視線を切ってユリシーズは余っていた空のグラスに酒を注いだ。


「それに、結果として女騎手は助かっている。騒ぎ立てるようなことではなかろう」


 マーヴィンが疲れたかのように国王はふうっと息を吐き、ナイトテーブルに置いたグラスを取って一口飲んだ。


「事故だったという説明で納得するほど、ベルンシュタイン皇帝が甘い人間とは思えません。命綱というのは、本来万が一にも切れてはいけないものなのですからね」


 皇帝にはティニヤ王女という最強のカードを切って既に対処していることは触れずに、いかにも国の一大事だという声のトーンでユリシーズは告げた。


「彼女はたった一人のベルンシュタイン代表なんですよ。それをお忘れではありませんか」


「あの黴くさい小僧には既に書簡を飛ばしておる。たかが騎手一人のことで騒がせはせぬ、ぬかりはないわ」


 国王は国王で、代表者の負傷について皇帝に何らかの対処をしていたらしい。自分とは別に父とも交渉を進めるとなると、皇帝がかなり得をする結果になりそうだとユリシーズは思った。


「流石は伯父上、思慮深くいらっしゃる。どうだ、お前の心配など無用であろう」


 国王の素早い対応のおかげか、覇気を取り戻したマーヴィンが歪んだ笑みを見せる。


「しかし、命綱の細工のことが皇帝に知れれば面倒なことになります。彼女は命綱が切れたことを不審に思っていますから」


 顔色一つ変えずにユリシーズは嘘をつく。だがそれはこの場ではお互い様だった。


「だが本当に、細工などしてあったのか」


「はい。この目で確認しましたから」


「確認? あの暗闇の中で、わざわざ壊れた金具を拾い集めて確認したと言うのか」


 マーヴィンが鼻息荒く尋ねる。食いついてきたな、とユリシーズは内心呟く。


 恐らくマーヴィンは自分の使用人から、無事に証拠品の回収が終わったとの報告を受けているに違いない。特に、証拠となる細工した部分の全てかほとんどが自分の手の内にあると思っているので、こうまで強気になれるのだろう。


「残念ながら一部しか見つかりませんでした。それでも、細工されていたことは分かります」


「フン、ほんの一部から何が分かる。お前の思い込みだろう」


「そうでしょうか。もし細工がないのであれば、彼女の負けは正当な負けになる。コンラッドが国を出るのは止められなくなりますよ」


「恐れ多くも国王陛下にあれだけの啖呵を切ったのだ、やむを得んだろう」


 やはり知っていたかと思いながら、ユリシーズは満足そうにしているマーヴィンを見た。


「ですが知っての通り、僕には王位を継ぐ意志はありません」


「まだそんなことを言っとるのか。コンラッドが国を出れば次の国王はお前だぞ」


 国王との間で自分が王位を継承するという話は進んでいるだろうに、白々しいマーヴィンの演技にユリシーズは内心笑いそうになる。


「私は王にはなれません。となると、あなたにお願いすることになる」


 王位継承権一位のユリシーズからそう言われて、浮かぶ笑みを抑えきれずにマーヴィンの口元がひくつく。


「それは……」


「ですがその前に、見て頂きたいものがあるのです」


 ユリシーズはポケットから水色のハンカチを取り出し、手のひらに乗せた。急に変えられた話題に、マーヴィンはぽかんとしてその所作を眺める。


「これは彼女の命綱の一部です。私が細工の証だと思うものがお二方にも読み取れるかどうか、どうぞご覧下さい」


 マーヴィンの顔色が少しだけ曇る。ユリシーズはソファから立ち上がると、ベッドの上の国王陛下の元へ近づいてハンカチを開いていく。


「いかがですか、父上」


 国王は眉間に皺を寄せてハンカチの上の部品を見たが、明らかに興味は薄いようだった。


「余には分からぬ」


「ここですよ、明らかに人の手が加わっている」


 グラスが空になり、マーヴィンは雑な手つきでまた酒を注いだ。薄茶色の雫がテーブルに散る。


「分からぬと申しておる」


「そうおっしゃらず、どうかよくご覧下さい」


「しつこいぞ、ユリシーズ。無理強いするでない。そんな小さな欠片で何が分かるものか」


 ぶつぶつと呟いて、マーヴィンは背もたれに深く体を預けた。


「どうかよくご覧下さい。ほら、こちらが通常のものです」


「……」


 マーヴィンはぐいっと一気にグラスをあおった。手の甲で濡れた口元と顎髭を拭い、横目でユリシーズと国王を険しい目で見る。


「明らかに違うでしょう?」


 比較のために持ってきた通常のものと並べて指差し、ユリシーズは微笑んだ。それを見てマーヴィンが唸るように言う。


「……僭越ながら、金物職人を呼ぶべきかと。我々では細工の跡を見出すのは難しいと思います」


「そんなことをしても何の役にも立ちませんよ」


 ユリシーズはマーヴィンを見て呆れたように笑った。


「何だと? そんなほんの欠片から、素人に何が分かる!」


 圧に耐えられなくなったのか、マーヴィンが吐き捨てるように言う。


「分かりますとも」


「長く使い込んでいれば金具も多少は削れるだろう。経年劣化と言う奴だ」


 マーヴィンは苛立ちに任せてどぼどぼと酒をグラスに注いだが、今度はひどく零れてグラスの周りはびしゃびしゃになってしまった。


「え?」


 ユリシーズが短く声を上げた。マーヴィンがグラスからベッドへ目を向けると、ユリシーズと国王が不思議そうにマーヴィンを見ていた。


「……何だ」


「今、何とおっしゃいました?」


「だから、金具だって経年劣化で──」


「金具」


 ユリシーズは全く予想外だという口振りで呟き、国王を見た。国王は黙ってマーヴィンを見ている。


「ええい、まどろっこしい! 何だと言うのだ!」


 マーヴィンが顔を赤くして怒鳴ると、ユリシーズは親指と人差し指でそっとハンカチの上のものを摘まみ上げた。それは金具ではなく、命綱のロープの一部分だった。


「ッ!」


「私は何者かが命綱のロープに切れ込みを入れていて、そのせいで命綱が切れたのだと思っていたのですが。あなたはそうではなかったようですね?」


「……! な、何だ、ロープか。今のは、ただの勘違いだ」


 赤かったマーヴィンの顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。


「先ほどから頻りに、金具金具とおっしゃっていましたよ。どうして証拠が命綱の金具だと思い込んでいたのですか?」


 理解できないという演技で、わざとらしくユリシーズは小首を傾げる。


「お、伯父上! これは単に、ちょっとした私の思い違いでありまして、」


「いいえ。あなたは正しい」


 また予想外の言葉で遮られて、マーヴィンがぐっと息を飲む。ユリシーズは、先ほどとは別のポケットからもう一枚のハンカチを取り出した。広げたその中には、薄く削られて壊れた本物の命綱の金具があった。


「どうやらロープではなくこちらが、本物の細工の証拠だったようですね」


 金具がマーヴィンにも見えるよう、手のひらを傾ける。


「何ぃッ!?」


 マーヴィンは立ち上がって絶叫した。ユリシーズは微笑んだ。現段階ではこちらは切り札として暖めておくつもりが、運良くマーヴィンが金具という核心を口にしたのでこの場で出すことができたのだ。


「なるほど、あなたのおっしゃる通りだ。これとこれがこう、繋がっていて……ここの裏を見れば、削った跡がよくわかります。ご覧下さい父上、こちらの通常の金具と厚みがまるで違います」


 国王は渋い顔で二つを見比べた。


「そんなはずはない!! それは偽物だ!!」


 普段の太い声とは比較にならないほど甲高い裏返った声で、マーヴィンは必死に叫んだ。


「何故そう言い切れるのですか」


「そ、それは……」


「あなたが証拠を回収させたから、ですね? あなたが回収した命綱は、偽物ですよ」


「何だと!?」


「証拠は僕が先に回収しました。そして同じ型のベルトに同じ細工をして壊し、それを中庭に撒いておいたのです。まったく、人目を引いたり時間を稼ぐのに苦労しましたよ」


 ユリシーズは小さくため息をついて、それからにっこりと笑った。


「なっ──そ、そうか、お前のあの役者のような演説は、そのためだったのか!!」


「あなたにシンくらい有能な配下がいれば、ベルト裏のナンバーまで確認して拾ったものが偽物だと気づけたのでしょうが……残念です」


 マーヴィンはとうとう何も言えなくなり、真っ青な顔で立ち尽くした。国王はそんな甥の姿を、ただ静かに見つめていた。



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