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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
第一章 花時雨
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王子の羽繕い



「何せ二十九人ですよ、二十九人」


 口調は強く、まるで責めるような色味を帯びている。白髪混じりの髪を一つに結い上げた年嵩の侍女頭が、ウィンフィールド王国の第一王子ユリシーズの赤茶色の髪を梳かして撫でつけていく。


 王族にしては半端な長さのユリシーズの髪はすっきりとまとめにくく、今朝も既にいい加減に切ってはいかがですかと進言されている。


「ほとんどは賑やかしだよ、グレンダ。公式な花嫁候補はせいぜいその半分だろう」


「皆様十日ほどお城に滞在なさるのです。それだけたぁっぷりと時間があって、どなたも選ばないという訳にはいきませんからね」


 侍女頭のグレンダは、ユリシーズの返答には取り合わずに話を続けた。今は侍女頭だが元々はユリシーズの乳母だったので、王子相手でも口に遠慮がない。


 グレンダは傍らの年若い侍女からシルク製のジャボを三枚受け取ると、それぞれ一枚ずつ王子の胸元にあてがって鏡を食い入るように見つめる。ユリシーズの目にはどれも同じような色に見えるが、グレンダにとってはそうではないのだ。グレンダはジャボを替えては何度も同じことを繰り返した後で、ふと渋い顔をした。


「あちらこちらの奥方様との気楽な関係には、もちろん始末をお付けになったのですよね?」


 耳に刺さるようなきつい語調に、ユリシーズはため息をつく。ウィンフィールドの第一王子は年増好きで未亡人か人妻でないと燃えない性分だというのは、社交界では有名な話だった。


 ユリシーズとしては自分に本気にならず、落ち着いた大人の会話を楽しめて、しかも夫君から手袋を投げつけられて決闘を申し込まれる可能性のない女性、という基準で相手を選んでいるだけだ。未亡人や心の広い夫君を持つ人妻でないと駄目な訳ではないのだが、噂を細かく否定して歩くのも面倒なのでいちいち訂正はしていない。

 そのため、本人公認の事実のようになってしまっているのが現状だった。


「次に会う約束も別れの言葉も要らないところが、大人の女性のいいところでね」


 グレンダは軽蔑の視線を隠さない。ユリシーズは肩をすくめた。


「それにいつも言っている通り、僕は弟が妻を娶るまでは結婚する気はないよ」


「ええ、ええ、その訳の分からない信念を貫かれるのはどうぞご自由に。けれどコンラッド様もまとめて年貢の納め時でございますよ。今回ばかりは陛下は本気でいらっしゃいます」


「父上が本気だっていうのは、僕だって知ってるさ。何せ数十年ぶりの宮廷大舞踏会だ」


 父であるウィンフィールド国王に弟ともども呼びつけられ、今回の大規模な舞踏会について話をされた日のことをユリシーズは苦々しく思い出した。弟と二人掛かりでどれだけ止めて欲しいと頼んでも無駄だったのだ。自分達のために花嫁候補を募ることが、ウィンフィールドにとってどれだけ各国への借りになることか。


「ご兄弟ですもの、結婚式はお二人同じ日に挙げれば良いじゃありませんか。きっと国民は大喜びするでしょう」


 雑すぎるグレンダの言葉に、ユリシーズは眉を下げる。これだから城の中しか知らない人間は困るんだ、と内心ため息をつく。


 舞踏会の費用は莫大だ。民主化を望む人々を、父が粛正という形で押さえつけてからまだ数年しか経っていない。税の引き下げや恩赦など国民の機嫌取りの政策のおかげで幸い大半の国民は大舞踏会についても祝賀ムードだが、それを忌々しく思う国民もいることをユリシーズは知っていた。


 だがここでグレンダにそれを告げても仕方ない。ユリシーズは憂鬱な顔で静かにため息をついた。


「酷いなあ、僕らの結婚を見世物にする気かい?」


「酷いのはどちらです? 陛下が何年お待ちになったとお思いですか。心細く不安にお思いになるあまり、年々お酒の量も増えてしまって……」


「勝手に期待する方が悪いんだ。僕はまだ二十五にもなってないんだよ、別に独り身だっておかしくない年だろ」


 侍女に指示を出し、グレンダは新たに四枚目と五枚目のジャボを受け取った。まだ決まらないのかとユリシーズは遠い目になる。


「ユリシーズ様と同い年のキリヤコフのロスチスラフ様など、今年六人目のお子様がお生まれになったそうですよ」


 ユリシーズは半眼になり顎を上げた。いよいよグレンダとの会話が面倒になって、不器用な手つきで右の袖のカフスを自分で留めようとする。侍女が慌ててそれを遮り、二秒と掛からずに素早く留めた。


「ロスチスラフのところは、奥方が多いからね。嘆いてたよ、第一夫人が第三夫人を苛めるって。僕は何人も妻を持とうとは思わないなあ」


「そんな台詞は一人でも持ってからおっしゃって下さい」


「それにソイニンヴァーラのティーアとティーナは、僕より年上だけどまだ独身だよ」


 グレンダの反論は聞こえない振りをして、ユリシーズは続けた。


「お二人には、甥御様姪御様が籠いっぱいになるほどいらっしゃるじゃありませんか。ソイニンヴァーラ王国は安泰です。王女も即位できるソイニンヴァーラと違って、ウィンフィールドの王位継承権は王子にしかないのですよ?」


 ようやく決まったジャボのボタンを首の後ろで留めると、立てていた襟をてきぱきと下ろしグレンダは鼻で笑った。


「そうそう、ソイニンヴァーラと言えば奥方がお一人きりのヘリオット様だって、お子様はもう四人もいらっしゃいます」


「おいおい、ヘリオットは僕よりずっと年上だよ」


「ヘリオット様が春生まれでユリシーズ様が秋生まれですから、五歳と違いませんよ」


 ユリシーズは苦い顔で後頭部をがしがしと掻いてしまい、掻いたことを後悔した。乱れた髪を直す分の時間だけ長く、この部屋にいなくてはならなくなったからだ。


「うーん、あそこはほら、ソイニンヴァーラらしく双子がいたんじゃないかな。だから、出産の数で行けば三回だ」


 ソイニンヴァーラ王国には昔から多胎児が多い。出産が四回ではなく三回だったら何がどうなのだと自分でも滑稽に思いつつ、ユリシーズはグレンダの反応を伺う。


 グレンダは肩に落ちた僅かな糸くずを羽箒でササッと払うと、それを侍女に渡して磨き上げられた鏡の中のユリシーズの目をキッと見た。


「ユリシーズ様、どうか陛下のお気持ちもお考え下さい。高齢で近年は病がち、たった二人しかいない可愛い息子はどちらも未婚で当然お子様もいらっしゃらない……」


 そう言ってグレンダはふと疑わしげな目つきになった。


「──いらっしゃいませんよね?」


「当たり前だろう!」


 とんだ濡れ衣だとユリシーズは両手を広げる。グレンダは動じず許しを与えるかのように軽く頷いた。


「それは何よりです。とにかく、陛下は最近では、口を開けばウィンフィールドの行く末を嘆くばかりだと聞いておりますよ」


「僕も散々直接本人から聞いてるよ。でも王子がたった二人しかいないのは僕らのせいじゃない。王女ばかりせっせと量産なさったご自分を恨んで頂きたいね」


 姉や妹達が聞いたなら眦を吊り上げそうなことをやけくそ気味に言い捨てて、ユリシーズは靴の踵をとんと床に突いた。


「まだ見ぬ初孫の名付けのために、陛下は今から幾つも候補を絞っているそうですよ。ねえセーラ?」


 セーラと呼ばれた年若い侍女は困ったように微笑み、ユリシーズの方を見ないようにしながらはいとだけ答えた。グレンダはそれを聞いて満足そうに頷き、ユリシーズを見上げる。


「しきたり通り、代々の国王陛下のお名前から選ぶそうです。それを使う日がいつか来るのかとぼやいておられるとか。胸が痛みませんか?」


「グレンダ。お前も例外じゃないようだけど、どんな人でも年を取ると多かれ少なかれ未来に対して悲観的になるものさ」


 ユリシーズの髪を直していたグレンダの手がぴたりと止まり、引き結ばれた唇の端がぎゅっと下がる。それを見て地雷を踏んだらしいと察したユリシーズは、身を翻して素早くジャケットを羽織った。


「おっと、それ以上のご高説はコンラッドに聞かせてやってくれ。あいつも王子なんだから、半分聞く権利はあるはずだ」


「またそうやってコンラッド様に責任転嫁を!」


「責任転嫁なんかじゃないさ。あいつが早くに結婚していれば僕だってとっくに結婚して、今頃お前や父上のお望み通り籠いっぱいの子ども達と楽しく高乗りにでも行ってるはずなんだからね。さてセーラ、屋上にシェーガーと天馬馬車を用意しておいてくれ」


 そう言い残して、ユリシーズは部屋の扉を開けた。畏まりましたと答えたセーラの声は、グレンダの鋭い声で掻き消された。


「ユリシーズ様! お待ちなさい!」



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