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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
第四章 風走る
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シューティングスター


 天馬達は火球の光に尾を引かせながら夜空を駆けていく。

 レース開始直後、ロアの乗る九番の天馬は予定通り集団後方の少し下方にいた。自分自身は先行逃げ切り型だが、乗っている天馬が追い込み馬だからだ。それさえも直接は教えてもらえず、たまたま耳にした天馬騎手の会話から推測したに過ぎない。


「一番のユリシーズ王子は現在三番手、いい位置に付けています」


 実況の声が聞こえる。天馬騎手に混じっても何の違和感もない見事な乗馬技術で、ユリシーズは先頭集団にいる。


 天馬に乗る練習は多少はできたが、レースの練習は当然したことがない。空のレースでは位置取りに前後左右だけでなく上下の概念が加わる。何もかも初めてなのにユリシーズに勝たなければならないのだから、ロアは思考回路を全開にして必死に勝利のための道筋を探るしかない。


「……」

 

 コースは徐々に高度を上げての三周。地上の馬のレースと比べると距離は短いため、気を抜けばあっという間に勝敗が決してしまう。


 一頭を追い抜き、もう一頭を追い抜きに掛かった時、二番手の馬が急に速度を落として三番手の馬と並んだ。予期せぬ先行馬のブレーキに慌ててそれを横に躱すと、体重移動で思ったよりも馬体が傾いた。ロアの少し後方にいた五番手の騎手が短く笑う声が微かに聞こえた。


「おっと、二番手に付けていたシン騎手が遅れました。アクシデントでしょうか、三番手のユリシーズ王子が二番手に上がります!」


 二番手だったシンは間違いなくわざと速度を落とした。天馬騎手達はユリシーズを勝たせようとしているのだ。懸命に体勢を立て直したがロスが出てしまい、ロアは歯を食いしばった。


「卑怯者!」


 また一頭抜いて三番手まで上がると、前方の天馬騎手がこちらをちらりと振り返って驚きの色を浮かべた。クローディアは胸元で重ねた自分の手をぎゅっと掴んだ。足が震える。


「ここで九番のロア・ジャンメール選手が上がってきました。さすがはベルンシュタイン一の騎手と名高いだけはあります。しかし天馬と平地の馬では扱いがまるで異なります、果たしてゴールまで速度を保てるでしょうか?」


 二周目の中程でユリシーズは一番手になった。観客が大きな声で騒ぎ立てる。ティーアとティーナは口元を扇で隠したまま視線を交し合った。


「ここでユリシーズ王子が先頭、ついにユリシーズ王子が先頭に躍り出ました!」


 実況が興奮気味に繰り返す。三周目に入る頃にはロアはどうにか二番手まで上がれた。だが予定よりも一番手と距離が空いている。逆転の可能性に賭けて、溜めていた脚を使って高度と速度を上げた。じりじりと距離を詰める。


「ここで九番が追い込みを掛けます、速い速い、ユリシーズ王子は逃げ切れるか!?」


 観客がわあわあと声を上げる。ユリシーズは一度だけ僅かに後ろを振り向いた。ほんの一瞬、視線が交わる。二頭の天馬がほとんど並んであと僅かでゴールという時に、周回遅れの天馬騎手が急に高度を上げた。


「え!?」


 斜め下から体当たりされるような形になり、速度を上げることに集中していたロアは視界の外からの接触でバランスを崩した。


「おおっと、ここで接触がありました! 五番のトム・ブライアン騎手がバランスを崩している!」


 実況が叫ぶ。慌てて下に目線を送ると、高度を上げてぶつかってきた五番の騎手が天馬から落馬しそうになっていた。


「──!」


 それを見たロアは深く考えることはなく、反射的に手綱を引く。天馬の首が上がり、高度が一気に下がる。そのまま斜め上から五番の天馬騎手の体に自分の体をぶつけた。騎手の体が元の位置に戻ったのを見てほっとしたのは一瞬だけで、体当たりの反作用で押し返されて自分が大きくバランスを崩してしまう。

 自分が咄嗟にしたことの意味を、ロアはこの時やっと理解した。



「あっ!」


 ぐらりと体勢を崩して軌道を逸れていくロアに、ダンヒル子爵夫人が思わず口元を手で覆った。


「ロア様!」


 マヌエラが窓枠から身を乗り出す。


 天馬はそのままコースを外れ、ロアは王城の壁に頭からぶつかった。観客が悲痛な叫び声を上げた。


「いやあっ!」


 クローディアが目を見開き、唇を震わせた。ロアのゴーグルの金具が外れて、マーヴィンの足元に飛び込んで跳ねた。


「ひいっ」


 騎手が先に壁に衝突したおかげで、その反動を受けた天馬は乗り手ほど派手には壁にぶつからずに済んだ。


「九番のロア・ジャンメール騎手、コースアウトで壁にぶつかってしまいました!」


 無事ゴールテープ代わりの白いロープを暗闇に落としたユリシーズは、実況の言葉を聞いて慌てて旋回した。ヘルメットの上から頭を強く打ったロアは気を失い、鞍から落ちて宙づりになっている。あまりに危険な光景にユリシーズは息を飲んだ。バルコニーで観戦していた繊細な貴婦人が気を失う。


 ロアの天馬は必死に羽ばたいたが片方の翼の動きが悪く、みるみる高度が落ちていく。ユリシーズはシェーガーの手綱を引いて素早くロアの元へ降りた。


「ユリシーズ王子!?」


 騎手達も観客も実況も、誰もが驚いた。だがあと少し及ばず、先にロアの命綱のベルトが弾けてしまった。あり得ない出来事にユリシーズは目を見開く。命綱から見放された天馬乗りの体が、闇の中へと落下する。


「ロア!!」


 観客が絶叫する。とても見ていられず、顔を覆ったり目を逸らした者もいた。


「くっ……!」


 急降下したユリシーズは、何とかロアの腕を掴むことに成功した。


 降下を止めるためにシェーガーは死にもの狂いではばたいたが、急に片側の重みが増して馬体が傾いており恐怖でいなないている。ユリシーズも身を屈めているので、ほとんど二人分の体重が片側に掛かっているのだ。


「何ということでしょう、ユリシーズ王子がジャンメール騎手を助けました! 誰か救助を、マットを早く!」


 実況は王子を褒め称えつつも絶望的な声を上げる。近衛兵士達が大急ぎでマットを運んでいるが、それを待っていてはシェーガーの翼は限界を迎えてしまう。全員まとめて落下すれば、馬体の下敷きになって大怪我をするのは間違いない。


「まずいな」


 幸い速度はかなり緩められている。地上までの距離もあと僅かだし、今なら落ちるのは植え込みの上だ。状況を瞬時に判断し、ユリシーズは覚悟を決める。ロアを抱え直して、自分の命綱のベルトを外した。


 ロアごとシェーガーから飛び降りると、一斉に観客が悲鳴を上げた。上着が翻り、シャツの白色が松明の光に浮かび上がる。


「ああっ!!」


 王子の墜落というあまりの惨事に、思わず実況が叫ぶ。植え込みの枝がバキバキと体に刺さるようにして折れ、ユリシーズはあまりの衝撃に目眩がした。体の動きが治まるとすぐに胸の上のロアを見る。


 強打した頭からの出血と頬に付いた傷からの血で汚れていたが、まるで眠っているような穏やかな顔だ。意識がないので、無事なのかどうかも尋ねることができない。


 ユリシーズはそっとロアの顔に手を伸ばした。震える指先で目元の血を拭うと、瞼がほんの僅かだがぴくりと動いた。生きている。ユリシーズは胸を撫で下ろした。


「……はあ」


 空を見上げるとシェーガーは、命綱をだらりとぶら下げてまだゆるゆると降りている途中だった。あの様子なら大丈夫だろう。ゆっくりとロアごと体を起こそうとしたが、体の右側に鋭い痛みが走って顔をしかめた。そっとまた体を戻し、息を吐く。


 生まれて初めて仰向けで眺めた空は、星々が目に飛び込んでくるように鮮烈だった。全く、何という夜だろうとユリシーズは思った。


「ユリシーズ王子!」


 兵士達がガチャガチャと鎧を鳴らして駆けてくる。


「大丈夫。幸か不幸か命はあるよ」


 顔面蒼白の近衛隊長は、それを聞いて胸を撫で下ろした。近衛隊長はユリシーズの剣の師匠でもある。その後ろで衛兵達が担架を降ろした。


「先に彼女を。頭を打ってる」


「はっ」


「それと、耳を貸せ」


「は」


「彼女の命綱を回収してくれ。ベルトもロープも金具も全てだ。なるべく人目につかないようにな」


 屈んだ近衛隊長の耳元に、頼み事をユリシーズは囁いた。命綱が切れるなどあり得ない。待ち針のオイルといい、何者かが彼女の邪魔をしているに違いない。もし推測通りに命綱のどこかに細工をされていたとすれば、下手人は発覚を恐れて証拠を拾いに来るだろう。


「命綱をですか? 分かりました」


 回収する理由は分からなかったが、近衛隊長は素直に頷いた。


「回収が済んだら、細工がないか確認してくれ。もし細工があれば──そうだな、同じ型の命綱に同じ細工を施して、中庭にばらまいてもらおう」


 ユリシーズは声を落とし、他の誰にも聞かれないようにひそひそと命じた。意図を理解できず怪訝な顔をした隊長に、ユリシーズは笑いかける。


「時間との勝負だ。急いでくれ」


「はっ!」


 隊長は早速数人の部下を集めて指示を出した。衛兵は二人掛かりでロアの肩と足を抱え、そっとユリシーズの体の上から持ち上げた。涼しい夜風が体に残るロアの温もりを奪っていく。


 兵士達が行き来する中を、一人の女性が人混みを掻き分けて走ってきた。クローディアだ。クローディアが担架のロアに何か叫んでいる。彼女もまたロアに運命を引っ掻き回された一人だ。感情を出せるようになって良かったじゃないか、とユリシーズは皮肉気に心の中で呟く。


 王城を見上げると、バルコニーの観客達はまだ不安そうにざわざわとどよめいていた。そうであれば自分のするべきことは一つだ。心の赴くままに、気を失った友の傍にいられるクローディアが少し羨ましかった。


 ユリシーズは為すべきことを為すために植え込みに手をつき、痛みに耐えて今度こそ体を起こした。ロアを乗せた担架が城へと運ばれていく。


 二つ目の担架が運ばれてきたが、ユリシーズはそれを手で制して立ち上がった。衛兵の手を借りて植え込みから降りると、ずきりと右の肋骨が痛んだ。すうっと大きく息を吸い込むと更なる痛みに襲われたが、ユリシーズは眉一つ動かさなかった。


「皆さん、どうか落ち着いて下さい」


 何をどう言えばいいのか分からずに黙ってしまった実況の代わりに、ユリシーズは大きな声で呼びかけた。近衛隊長が兵士達に素早く指示を出して、王子が目立つよう一旦周囲から引かせた。


 ざわめいていた観客も、それに気づいて口をつぐむ。ユリシーズは松明を持っていた近衛兵を数人手招きして傍へ立たせた。少しでも自分の表情が観客に伝わるようにしたかったからだ。もっと松明の持ち手を増やすように小声で隊長に指示をする。松明の明かりを頼りに壊れた命綱を探している兵士達を、なるべく目立たせたくなかった。


 十分に観客達が静まるのを待ってユリシーズは顔を上げ、両手を広げて大袈裟に嘆いてみせた。


「まずは、私も出場するレースで皆さんを驚かせてしまって申し訳ありません。ああ、まったく、何ということでしょう! 最後の最後にこれほどまでに不運な事故が起きると、一体誰が予想したでしょうか?」


 この状況で大仰な演説を始めた第一王子に、王族達も目を見張る。


「この事故は大舞踏会の夢のような思い出とともに、各国に長く語り継がれることになるに違いありません。何という悲劇でしょう、我が国にとっては悪夢です」


 豪華絢爛な大舞踏会のあまりにも不吉な締めくくりに言及され、観客は水を打ったように静まり返った。


 不安気に次の言葉を待つ観客達を見ながら、たっぷりと間を置く。今はとにかく時間を稼ぐ必要がある。観客が焦れるほどの間の後で、ユリシーズはふと笑った。


「いやはや、とんだレースになってしまいました。今日のために様々な準備に時間を費やしてきた私としては、悲しい限りです。できることならこのまま朝まで嘆きたいくらいです。ですが、明日には帰国の途に就かれる皆さんの睡眠時間を削る訳にはいかない。そろそろショーの幕引きをすべきです」


 また間を置き、見える範囲の見物客をゆっくりと見回した。


「ここは、素直に曇天の国の女性の頑強さを讃えましょう。ロア・ジャンメール嬢は生きています。彼女の馬も、そしてもちろん、晴天の国のか弱いこの私も」


 予想外の戯けた台詞に、ふいを突かれた観客の一部が笑い声を上げた。失笑に近いものではあったが、それでも笑ったことが重要だ。人間、声を出して笑えば気分はがらりと変わるものだ。


 ユリシーズは少しだけ安心し、大袈裟な失望の表情を作りながら言葉を続ける。


「ところで皆さん。今夜の宙吊りショーのせいで、一番大事なことを忘れてしまってはいませんか?」


 ユリシーズは言葉を切って順に観客を見渡した。しんと観客が押し黙る。


「──今夜の天馬レースの一着は、この私。ユリシーズ・アーサー・ウォルト・ランドルフ・ウィンフィールドです」


 軽く胸を張って見せると、今度は先ほどよりも大きな笑いが起きた。ユリシ-ズは内心ほっとしつつ、胸に手を当てて恭しく観客に頭を下げる。


「ありがとうございます。帰国してもどうぞそのことはお忘れなく」


 ちらりと最上段のバルコニーを盗み見る。後は父であるウィンフィールド国王か、父に任されたマーヴィンがこの場を治めてくれるだろう。


 怪我の痛みなど微塵も感じさせずに、ユリシーズは観客に手を振り笑顔を見せさえしている。事故に一時は言葉を失っていた観客も、改めて歓喜の声を上げていた。バルコニーのコンラッドは、そんな兄の姿をほとんど畏怖の目で見つめる。


「……道化め」


 マーヴィンが憎々しげに誰にも聞こえない小声で呟いた。



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