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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
第四章 風走る
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身を裂く木の芽時


「だったらどうなんだ。知りたいことを全て暴いて満足か?」


 王子らしからぬ口調で、ユリシーズは罵る。ロアは身を縮めたが、臆している場合ではないとすぐに姿勢を戻した。


「お前は何なんだ、ロア・ジャンメール。だだっぴろいだけの辺境の国の騎手が、何故こうも俺達を引っ掻き回す?」


 鷹のような目でユリシーズはロアをぎろりと見据えた。だがそこには憎しみだけでなく、悲しみもあるように見えた。


「どいつもこいつも好き勝手ばかりだ」


「ごめんね」


 ほとんど反射的に、ロアは素直な言葉をぽつりと口にした。自分のしたことに後悔はなかったが、傷つけたのなら謝りたかった。


 ユリシーズは表情を変えずに、黙ってロアを観察した。異国の女性騎手という派手なラベルは、全くもってロアの本質を表すものではなかった。お節介と好奇心で無遠慮に他人の内情へずかずかと踏み入れて、それまでどうにか均衡を保っていたものを滅茶苦茶にしてしまう無自覚な愉快犯。


 もしも二人のウィンフィールド王子の心を掻き乱すことがベルンシュタイン皇帝の狙いだったとしたら、それは成功したと言わざるを得ないだろう。


「……謝るということは、自分に非があると認めるんだな」


 ロアは頷くことも首を横に振ることもできなかった。


「俺は父とは違う。裁きを求めている者は裁く」


 その言葉で、ロアはユリシーズがウィンフィールド国王にも恨みがあることを知った。そして自分に向けられた怒りだけでなく、出生にまつわるユリシーズの行き場のない積年の恨み、そしてユリシーズの中では国王になるはずだったコンラッドの心変わり、それらを全てまとめて自分が引き受けているらしいとロアは気づいた。


 先日のヨゼフィーネの姿と、今のユリシーズの姿が重なる。こうも短期間で二度も他人から激しい憎悪を向けられては自分が悪かったのだと思うしかなく、流石のロアも少々覇気を失った。


「で、でもね。ダンヒル子爵もつらかったみたいだよ」


 ロアは僅かに声を震わせた。


「ユリシーズにはずっと秘密にしておくつもりだったのに、自分の描かせた肖像画のせいで、って……」


 無神経にもダンヒル子爵の感情を持ち出されて、子爵に同情しろと言われているようでますます腹が立つ一方で、ユリシーズは表面的には冷静さを幾らか取り戻した。子爵に対しては恨みはあるが、入ることを禁じられていたあの部屋に勝手に立ち入ったことだけは申し訳なく思っていたからだ。あの部屋に入りさえしなければ、子爵もユリシーズ自身も少なくとも今のようには苦しむことはなかった。


 ユリシーズはまた大きく髪をぐしゃぐしゃに乱して、ふうっと大きなため息をついた。


「……子爵といつか話をしなければいけないことは分かっていたよ。だけどせめて、僕のタイミングでそれをさせてくれるくらいの配慮は欲しかったね」


 とうとう秘密が漏れたことに、ユリシーズは内心怯えていた。

 だがロアが

自分の出生について暴露したとしても、こんな奇矯な小娘の言うことなど誰も本気には受け取らないだろう。それにロアはあと数日で、祖国のベルンシュタイン帝国に帰る身だ。何も起きるはずがないと自分を宥めて、破滅的な衝動を必死に押さえ込んだ。


「ごめん」


 ロアはまた謝罪の言葉を口にした。


「謝罪の言葉が軽い」


 ユリシーズは顔を歪めて言い捨てた。


「私に何か、できることはある?」


 おずおずとそう言ったロアを、ユリシーズは顔をしかめて気味の悪いものを見るような目で見た。


「たった今自分の手でズタズタに引き裂いた相手を、今度は慰めて救うつもりかい? ぼくを玩具にして天井知らずの騎士道精神を満足させるのは止めてくれ」


「……」


「ロア・ジャンメール、きみのしていることは狂気じみてる」


 嘲笑うと流石のロアも傷ついた顔をしたので、僅かにユリシーズの気が晴れた。


「きみは愛すべき結婚相手を探している僕らに、心臓が止まるような冷や水を浴びせかけてくれる素晴らしい花嫁候補だったよ。国に帰ったら同じ狂人の皇帝陛下にたっぷり褒めてもらうといい」


 ユリシーズはロアを泣かせたいと思った。その顔がぐちゃぐちゃに歪んで頬に涙が滑るのを見れば、少しは胸がすくだろう。


「ごめんなさい、ユリシーズ」


 度重なる謝罪にユリシーズはむしろ苛立ちを抑えきれなくなり、険しい顔でロアに近づいた。ロアは驚いて身を引いたが、背中が薔薇のアーチに触れてそれ以上後ろには下がれなかった。


「何度謝ったって、きみのしたことは取り消せない。やっとクローディアを諦めようとしていた弟はきみのせいでまた彼女に執着しているし、僕はダンヒル子爵に裏切られたようなひどい気分だよ。一体どうしてくれるんだい?」


 頬を打たれたような顔をしたロアの首筋に、ユリシーズは静かに手を伸ばした。肩をびくりと揺らしてロアは身を竦め、更に後ろに下がろうとして薔薇の群れに浅く埋もれた。露出している首の後ろに薔薇の葉や棘が当たって痛かったが、どうしようもなかった。


 ユリシーズはその首に片手で掴むように触れて少しだけ顎を上げさせた。指先にロアのドクドクという鼓動を感じ、口元を歪めて悪意に満ちた笑みを浮かべた。


「正直なところ天馬レースなんてもうどうでもいい。僕の負けでいいから、とっとときみにこの国から出て行って欲しいよ。きみの顔をこれ以上見ていると、今度は本当に窓から突き落としたくなるからね」


 ロアは悲しげに眉を下げ、緑の瞳を涙が覆った。ユリシーズはほんの少し満足して微笑んだ。


「ロア・ジャンメール。きみはぼくたちにとってもこの国にとっても、大いなる災厄だ」


 とどめのような一言に顔を伏せ、ロアはユリシーズの胸を両手で押しのけてトンネルの中から走り出た。薔薇の花びらや葉が散って舞う。自分の言葉に傷ついて逃げ出すロアの後ろ姿を見て、不思議なことにユリシーズは安堵に近いものを感じた。

 だがロアは振り返り、ズボンの太腿のあたりをぎゅっと両手で掴むとぽろぽろと涙をこぼしながら口を開いた。


「ごめん。ユリシーズ、ごめんね。もし、気が変わったら。私にできることがあったら、いつでも何でも、力になるから!」


 悲壮な顔つきでそう叫ぶと、ロアは踵を返して走り出し今度こそユリシーズの前から姿を消した。

 ユリシーズはロアの言ったことをすぐには理解できなかった。それほどまでにロアは、これまでユリシーズが出会った人々とはかけ離れた思考回路を持っていた。ややあって言葉の意味とロアの意志を理解すると、ユリシーズは信じられないという表情で眉根を寄せて目を見開いた。


 何故そこまでするのかという疑問を除けば、ロアの思考は至って単純だ。

 不幸な境遇のクローディアに同情して助けようとし、そのためにユリシーズと対立し、対立したユリシーズが王位継承を拒む事情を知ろうとし、そして事情を知った今は敵対していたはずのユリシーズをも助けようとしている。


 ロアには自分の感情を制御する理性はなく、先を見通し計画を立てるだけの頭脳もなく、恥をかくまいとするプライドもない。あるのは浅いのか深いのかよく分からない情と、無益どころか有害なほど強い使命感だけだ。理解不能のロアの言動に毒気を抜かれ、ユリシーズはしばらく呆然とした。その後で、前髪を掻き上げて少し笑って呟く。


「……ハッ。正気じゃないね」


 ふと、ユリシーズはとある小説を思い出した。騎士道物語を読みすぎて空想の世界に入り込み、自分を騎士だと思い込んで間抜けな旅をする狂った男の物語だ。

 無神経で正義感に満ち、出会った人々を救おうと突飛な行動をするロアは、まさにあの頓狂な主人公そのものだった。偶然にも、馬に跨がっているところまで同じだ。風車や水車を敵に見立てて突撃し、ずたぼろになってはまた駄馬に跨がり、旅を続ける滑稽で哀れな男。


「大陸一の大馬鹿者だ」


 力のない声で言うと唇が震えて、ユリシーズはそれを隠すように口を引き結んで足元を見下ろした。逃げた時にロアが落とした薔薇の花びらと葉が、よく磨かれて光る靴の上に散らばっていた。

 奥歯を噛み締めて、ユリシーズは自分のかつてない不安定な感情をねじ伏せようとした。


「関わるべきじゃない。絶対に……」


 目元を手で覆い、大きく息を吸って止める。それから長い息をゆっくりと吐きながら、ユリシーズは断固たる口調で言った。



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