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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
第一章 花時雨
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旅立ちの虹


「それじゃあ、行ってくるね!」


 ウィンフィールド王国へ向かう馬車の準備が整い、ロアは父親のジャンメール男爵を振り返った。男爵は心配九割寂しさ一割という顔で頷いた。他の使用人達も一様に同じ表情だ。


「何度も言っているが、お前はベルンシュタイン帝国の代表として行くのだからな。粗相のないよう、くれぐれも気をつけるんだぞ」


「分かってるって!」


 ロアは微笑んで両手を広げ、ぎゅっと父に抱きついた。男爵はふうっとため息をつき、静かに娘の背中に腕を回した。


「無事に帰ってきてくれることを祈ってるよ。フローラもきっと見守ってくれているはずだ」


「うん」


 母の名を出されて、ロアは父の腕の中で目を閉じた。


「……そろそろ参りましょうか」


 十秒か一分か、どのくらいの時間が流れただろうか。二人の別れの抱擁を見守っていた宮女が、冷たく声を掛けてきた。ベルンシュタイン皇帝が、旅の介添人としてロアに同行させる使用人のうちの一人だ。


「そうだね」


 ロアは父から離れて、照れくさそうに笑った。鼻の頭が少し赤くなっている。


 男爵は目を伏せている宮女をちらりと見た。ヨゼフィーネという名のその宮女は、服装こそ宮女らしく質素だが容姿は恐ろしいほどに整っていた。冴え冴えとしてはいるが、陰鬱で人を寄せ付けない雰囲気を纏っている。男爵やマヌエラ達ジャンメール家の侍女は、彼女は皇帝の愛人ではないかと疑っていた。


「……あの宮女はただ者ではなさそうだ。気を許さない方がいい」


 男爵は娘の耳元で囁いた。


 もしもヨゼフィーネが皇帝の愛人であれば、どういう理由でこの旅に同行するのか。単に異国の大舞踏会を見てみたいという愛人の我儘を、皇帝が許したのだろうかと男爵は訝しむ。だがそれほど皇帝が甘い人物だとは思えなかったし、観光旅行にしては宮女の表情も暗すぎた。


「大丈夫だよ。それじゃあ父様もみんなも、元気でね。フランツ、シリュッセルのお世話をよろしくね」


 馬丁のフランツが頷く。


「私やマヌエラがいないからって、夜遅くまで本読んでちゃ駄目だからね?」


 ロアは微笑んで父の健康に忠告し、馬車に乗り込んだ。


「行ってきます!」


 晴れ晴れとした笑顔で、ロアが馬車の窓から身を乗り出して手を振る。ジャンメール男爵は時折手を振り返しながら、馬車が見えなくなるまで娘を見送った。どうにも胸騒ぎがして仕方なかった。


 灰色の雲が上空の強い風でゆっくりと形を変えていく。ロアはそれを馬車の中からぼんやりと眺めている。その向かいで、ヨゼフィーネは優雅に本を読んでいた。


「ゼフィール」


「……」


 宮女は本から顔を上げない。


「ねえ、ゼフィールってば」


 ロアは焦れたように座り直して、膝を宮女へ近づけた。


「…………私をお呼びなのでしょうか。そうであれば、私の名前はヨゼフィーネですわ」


 ヨゼフィーネはうんざりした表情で読んでいた本から顔を上げた。手入れし尽くされて柔らかな輝きを放つ長い銀の髪が揺れる。短く切り落とされ、見る人が見れば丁寧な手入れをしていないことが丸分りのロアの髪とは対照的だ。


「あ、ごめん。ヨゼフィーネ、ウィンフィールドまであとどれくらい?」


「……まだ馬車が動き出して、三分と経っておりませんが」


 呆れた声でヨゼフィーネが答える。


「ベルンシュタインの中での移動に、何日も掛かるんだよね」


「帝国は広いですから」


「途中でお城に何泊かするんでしょ?」


「ええ。道中の領主達には、陛下が前もってお話をしてあります」


 座席の背もたれにとんと体を預け、ロアははしゃいだ声を上げる。


「わくわくするね! 私、伯母さんのお城とホテル以外の場所に泊まるの初めて」


「そうですか」


 ロアとの会話に興味を失ったのか、ヨゼフィーネは本に視線を戻した。


「ヨゼフィーネは? わくわくしない?」


「ロア様ほどには」


 人を小馬鹿にしたような返答だったが、ロアは全く気にせず質問を続ける。


「そうなんだ。人のお城に泊まったことあるの?」


「……親類以外の城という意味でしたら、ありませんわね」


 重ねられる問いに、次第にヨゼフィーネの表情が曇っていく。人と接するのは嫌いだった。こうなると一人くらいジャンメール家の使用人をこの馬車に乗せて、ロアの世話をしてもらえば良かったと後悔する。ヨゼフィーネは少しでも同じ空間にいる人数を減らそうとして、後宮からの目付役達とジャンメール家の使用人達を後続の馬車に乗せてしまったのだった。


「ふうん。ヨゼフィーネは皇城の後宮に住んでるんだよね」


「はい」


 本から目を上げずに答える。少なくとも今のヨゼフィーネには誰かとの交流、ましてやロアのような脳天気な人間との交流を楽しむ気はまるでなかった。


 この性格のせいでヨゼフィーネはベルンシュタイン後宮でも孤立していたが、彼女としてはその方が好都合だった。生き馬の目を抜く後宮では、立場が同じ宮女といえども真の仲間にはなり得ない。少なくともヨゼフィーネはそう思っていた。


「私も皇城には行ったことあるけど、ちょっと怖いところだよねえ」


 失礼な物言いに、ヨゼフィーネはぴくりと口元を震わせて顔を上げた。


「どういうところが怖いとお思いになられたのです?」


「え。それはやっぱり皇帝陛下かな」


 率直すぎる返事にヨゼフィーネは言葉を失う。


「あとお城の中も、悪魔の彫刻とか、戦ってる場面の彫刻とかが多いし。それに、どこも薄暗いでしょ」


「……確かにおっしゃる通りですわね」


「やっぱりヨゼフィーネもそう思う?」


 同意が得られたと思ったロアは、少し嬉しそうに言った。


「ええ。今のお話で、ロア様のお人柄がよく伝わってきましたわ」


 ヨゼフィーネはにっこりと微笑んだ。


「そう? 良かった。せっかく何日も一緒に旅をするんだから、ヨゼフィーネと仲良くしたかったんだよね」


 無神経さがよく分かったという意味の嫌味だとは気づかず、ロアは明るく笑った。






 出発から数日後。

 今日も眩しいほどに白い雲が、上空の強い風でゆっくりと形を変えていく。ロアはそれを馬車の中から見上げ、その向かい側で今日もヨゼフィーネは本を読んでいた。


「ヨゼフィーネ、国境まであとどのくらい?」


 ヨゼフィーネはうんざりした顔で読んでいた本から顔を上げる。


「ロア様が、国境までどのくらいかとまた気にしておられるわよ」


 また、の部分をことさら強調してヨゼフィーネは面倒臭そうに外の御者に声を掛ける。もう何度となくした質問だった。


「間もなくです。関所が見えてきました」


「ほんと!?」


 御者からの返事を聞いたロアが急に壁際へ移動して窓の外に身を乗り出すと、馬車が揺れた。ぎょっとしたヨゼフィーネの膝から本が滑り落ち、馬車の急な揺れが苦手なヨゼフィーネは咄嗟に壁の肘掛けにしがみついて嫌な顔をした。


「ほんとだ! 大きーい!!」


「ロア様、危ないですよ」


「ヨゼフィーネ、すごく大きい門だよ! 見てみて!」


 御者の制止も気にせずロアは叫び声を上げ、そのまま興奮した口調で話しかける。落ちた本を渋々自分で拾い上げたヨゼフィーネの表情はますます曇る。


 片田舎の男爵家とはいえ貴族令嬢であることには違いなく、それなのにロアの礼儀作法はまるでなっていない。その辺の町娘にだってもっとましな娘はいるだろうとヨゼフィーネは思う。これなら万が一にもウィンフィールドの二王子のお眼鏡には適うまい。そう思うと心からほっとした。


「失礼ですが、声が大き過ぎます。それに馬車の中でいきなり端まで移動しないで下さい、傾きます」


「あっ!! 天馬だ!!」


 ロアは青空に白い点のような動くものを見つけて叫んだ。皇帝以外にこうまで人の話を聞かない人間に出会ったことがなかったヨゼフィーネは、怒り以前にただただ驚き愕然とした。空飛ぶ天馬は数を増やしたようで、ロアは幼子のようにぴょんと飛び跳ねさえした。また馬車が軋む。


「うわっ、もう一頭きた、今度は二枚羽!! わわわ、どんどん来る、三頭、四頭、五頭……」


 絵画や絵本の挿絵でしか見たことのない本物の天馬が、青すぎる空を舞っている。太陽の光を受けて、白い天馬は目に沁みるほど輝いていた。ロアの胸は高鳴り、熱くなる。


「ロア様、もう少々お静かにお願いいたします」


 瞼に力を入れ、ヨゼフィーネは己の視界を狭める。


「マヌエラ!! マヌエラ!! 天馬だよ!!」


 だがロアは後続の馬車に乗るジャンメール家の侍女に叫ぶと、勢いよく振り返ってキラキラと輝く目でヨゼフィーネにも叫んだ。


「ヨゼフィーネ、天馬が飛んでるよ!!」


 ロアの大声に、ヨゼフィーネは反射的に耳を塞いだ。ウィンフィールドで生まれ育ったヨゼフィーネにとって、天馬は懐かしいとは思いこそすれ特別騒ぎ立てるほどの物珍しい存在ではない。


「その声量では、天馬にも聞こえてしまいそうですわね」


「あ、そうだね!」


 ロアははっとしてまた窓から身を乗り出し、空へ向かってブンブンと大きく手を振った。ヨゼフィーネにとっては予想外すぎる反応だった。


「おーい!! ベルンシュタイン一の騎手、ロア・ジャンメールが来たよ!! 背中空けて待っててね!!」


 ヨゼフィーネはロアの叫びの意味をややあってから理解した。自分の言葉を真に受けて、本当に天馬に話し掛けているのだ。嫌味もこうまで通じないと空しくなる、とここ数日の疲れをどっと感じてヨゼフィーネはうなだれた。


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