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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
第三章 欠けてゆく月
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 翌朝、起き抜けでウィットバーン城へ出掛けようとしたロアは、侍女達に総掛かりで引き留められた。時間短縮のために天馬馬車の中で食べると言ったのだがそれは聞き入れられず、どうにかパンとチーズを胃に押し込んで身支度をして、やっとウィットバーン城に出掛けることができた。

 王城の天馬馬車を借りたので、ユリシーズ達にはロアが出掛けた事実はすぐに伝わるだろうと侍女達は予想していた。


 ひどく気が急いているせいか、天馬馬車は随分ゆっくりと飛んでいるようにロアには感じられた。少しでも速度を上げるために天馬達に掛かる体重を減らそうと、ロアは背伸びをしたり、座ったまま身動きを止めたりと全くの無駄な努力をして時間を潰した。


 やがて青空の下にウィットバーン城が見えると、ロアは自ら馬具を抱えて馬車が地上に降りるのを待った。立派な馬車が日を置かず城を訪れたので、パドルで誘導している馬丁のジョーは少し戸惑っているように見えた。


「ロアさん!?」


 まだ車輪が地上に着く前に馬車から飛び出したロアを見て、ジョーが大声を出した。


「おはようジョー。モーリスはいる?」


「い、いますけど……じいちゃん、じいちゃーん!」


 ジョーはパドルを片手に束ねると、慌てて畑の方へ賭け出した。ロアも馬具を抱え直してその後を追う。出入りの蹄鉄職人と話をしていたらしいモーリスは、乗馬服姿で馬具を手にしたロアの姿に驚いてぽかんと口を開けた。


「こりゃまた。二日ぶりかね、嬢ちゃんよ」


「モーリス、お願い、天馬の乗り方を教えて!」


 モーリスにぶつかるようにして近づき、ロアは切羽詰まって叫んだ。祖父と孫は目を白黒させる。


「何だって?」


「だから、天馬の乗り方を教えてほしいの!」


「王城の馬丁にでも聞きゃあいいだろう」


 モリースがまだ話している途中から、ロアは困り顔でぶるぶると首を横に振った。切り髪がさらさらと揺れる。


「だめだよ、みんな私がレースで負ければいいって思ってる人たちだもの。急に天馬に嫌われちゃって困ってるんだ、助けて!」


「何ですって?」


 事情を飲み込めないジョーが目を丸くする。だがモーリスは事情を聞くより早く何かに気づいて、すんと一度鼻を鳴らした。そしてロアの抱えている馬具へ軽蔑の視線を送る。


「臭ぇ」


「へ? 私、汗くさい?」


 ロアは慌てて腕を上げて、乗馬服へ鼻を押し当てる。貴族令嬢にあるまじき仕草に、ジョーは笑っていいのか分からず微妙な表情になる。モーリスは呆れ顔でロアを見た。


「そんだけ待ち針草の匂いをプンプンさせてりゃ、天馬に嫌われるのは当然だ」


「マチバリ草?」


 初めて聞く植物の名に、ロアはぱちぱちと瞬きをした。


「ああ。天馬は待ち針草を嫌う。ウィンフィールドじゃ、天馬を繋いでほしくない場所に待ち針草を植えてる店もあるくらいだ」


「でもこれ、王城の人が用意してくれた馬具だよ?」


 困惑したロアは馬具を見下ろした。


「嬢ちゃんあんた、さっき自分で言ってたろう」


「え?」


「皆あんたを勝たせたくないんだろうさ」


「あ……!」


 ようやく意図を理解して、ロアはみるみる怒りで真っ赤になった。


「そ、そんな、ひどいよ! 小細工するなんて!」


 待ち針草のオイルを馬具に掛けられた理由が分かって、ロアは眉間に皺を寄せた。勝利のためにそこまでするなんてと憤ったところで、怒りの対象はここにはいない。ジョーは肩をすくめた。


「ったく、何をやらかしたらたった何日かでそこまで敵を作れるんだか」


 しゃりしゃりと伸びかけた顎髭を擦りながら、モーリスは愉快そうに嘲笑う。


「敵を作っちゃった理由を聞いても、私に乗馬を教えてくれる?」


 ロアは悩んで上目遣いでモーリスを見る。


「アダム様かテリー様が教えるなと言わねえ限りはな」


 そう答えてモーリスは浅く頷いた。普段は馬以外に興味はないような態度のモーリスだが、天馬に負担を掛けるようなレベルの嫌がらせをされた理由は知りたいらしい。ロアはほっとして口を開いた。


「そう。じゃあ話すけど……あのね、私、ユリシーズと賭けをしたの」


「ユリシーズ様と?」


 ジョーが上擦った声で言った。


「うん、色々事情があってそういうことになったんだ。舞踏会最終日の天馬レースで私が勝ったら、ユリシーズは私の味方をする。私が負けたら、私は一生馬に乗るのを止める」


 場がしんと静まり返った。ジョーはごくりと喉を鳴らした。


「ろ、ロアさんに勝ち目はないと思いますけど」


「そんなことないよ!」


 むっとしてロアは叫ぶ。だが幼い頃からユリシーズの手綱捌きを見てきたジョーは、簡単には引き下がらなかった。


「ユリシーズ様は天馬騎手ほどではないにしろ、貴族の嗜み程度の腕前じゃあありませんよ。一緒に天馬に乗ったんですから、ロアさんにも分かるでしょう」


「それでも私は勝つの。勝たなきゃいけないんだよ、人生が懸かってるんだから!」


 分が悪いことは分かっているという表情でロアが食い下がると、唐突にモーリスの笑い声が響いた。ロアとジョーは毒気を抜かれてモーリスを見る。


「ハハハ、ほんとに素っ頓狂な嬢ちゃんだな。一体全体何を考えて生きてるのやら、育てた親御さんの顔が見てみてぇもんだ」


 モーリスはまだ笑っている。嫌味にもロアは動じず、真面目くさった顔でモーリスを見上げた。


「ねえ、お願い。今日から毎日、私に天馬の乗り方を教えて。お礼に何でもするよ、父様の顔が見たいならここへ連れてくるから」


 軽口をまともに受け取って真剣に答えると、モーリスはようやく笑みを消してロアを見た。


「……フン。おいジョー、レースが終わるまでに嬢ちゃんに何をもらうか考えとけ」


「えっ、おれが?」


 ジョーは自分を指差して慌てる。


「モーリスはお礼は要らないの?」


「チャラチャラ浮ついた天馬騎手どもの鼻を明かせるなら、それで十分だ」


 モーリスはにやりと人の悪い笑みを浮かべ、ジョーはまた始まったという顔で祖父を見た。元天馬騎士のモーリスとしては、夜会でレースをするような華々しい天馬騎手には思うところがあるらしい。

 くるりと背を向けると、モーリスはまた少し笑いを含んだ声でロアに言った。


「馬具の付け方から教えてやる。途中で根を上げるなよ」


「うん!」


 ロアは声を弾ませた。だが祖父の指導の厳しさを知っているジョーは、これから何が起こるかを想像してロアに同情した。



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