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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
第三章 欠けてゆく月
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三人


 やがて曲が終わり、コンラッドは次の相手の元に去って行った。ダンヒル子爵夫人は客と会話していたので、コンラッドとのことを根掘り葉掘り聞かれずに済んだ。だが同時に、ロアが夫人にユリシーズの話を聞くこともできなかった。


 少し迷って壁際へ移動し、ロアはふうっとため息をついた。コンラッドはキリヤコフ公国のキール公子と何か話している。ユリシーズは黒髪の女性客と踊っているところだった。


 ダンスの上手い女性と華麗に踊るユリシーズを見て、確かにああしていると王子らしいなとロアはしみじみ思った。


「踊り疲れたのかしらー?」


 ロアが顔を上げると、そこには満ち足りた柔らかな笑顔の二人のソイニンヴァーラ王女がいた。


「……ティーア王女、ティーナ王女」


「また誰かの足でも踏んでしまったのー?」


 初日のダンスの失敗を、くすくすと二人が笑う。ロアは伏し目がちに苦く笑った。


「今日はまだ、踏んでません」


「あら、それは良かったわー」


 ティーア王女とティーナ王女はロアに近づくと、扇で口元を隠して少しだけ身を屈めた。


「何だか顔色が悪いわよー?」


「そうですか? 大丈夫です、ちょっと睡眠不足なだけなので」


 この二人に隠し事ができる気がせず、何とか昨夜のことを気取られまいとロアは口端を上げて声に力を込める。だがティーア王女は小首を傾げた。


「そうー?」


「可愛いお猿さんに元気がないと、わたくし達も悲しくなるわー」


 二人は未だに騎手のことを猿と呼んでいる。その言葉でレースで負けたら二度と馬には乗らないという約束を思い出し、腹の底に重い石をずしんと沈められたような気分になる。ロアは視線を磨き上げられた床に落とした。


「……お猿さんでいられるよう、頑張ります」


「えー?」


 二人の王女は顔を見合わせた。


「どういうことかしらー。頑張らないと、騎手を続けられないってことなのー?」


「あ」


 失言だったと気づいて、ロアは片手で口元を覆って青ざめる。その仕草でロアの隠していることの重要性を悟って、ティーナ王女はロアの手を取った。


「詳しく聞かせてもらいましょうかー?」


 笑顔のティーア王女が、丸みのある明るい声で周囲に呼びかける。


「失礼ー。ロアが足を痛めたようなので、休ませてもらうわねー」


「え、ちょっ──」


「すぐに戻るわー」


 ティーナ王女に手を引かれて、ロアは大広間を出る。更にその後にティーア王女が続く。ユリシーズはその光景を、豪奢なヘッドドレスで飾られた女性の結い髪越しに見送った。






 ソイニンヴァーラの王女達がロアを連れて入った部屋は、思い出が生々しい第四サロンではなく王女達の自室だった。

 足を痛めたという体裁のロアのために使用人がソファを整え、紅茶を淹れるのを見届けてティーア王女が言った。


「そうね、お父様に手紙にお城のスケッチを入れて差し上げたいの。一時間ほどお城の中をスケッチしてきてちょうだい」


 王女の言葉にソイニンヴァーラの訛りがないことに気づいて、ロアははっとする。どうやら王女達は、本当は流暢な共通語を話せるらしい。


「畏まりました」


 使用人は顔色一つ変えず主と客人に頭を下げると、静かに部屋を出て行った。


「あの人、絵が描けるんですか」


 言葉通りに受け止めて感心するロアに、ティーア王女とティーナ王女はくすりと笑った。


「スケッチができるのは別の使用人よ」


「あなたと三人きりでお話がしたかったの。可愛いお猿さん、昨日の夜に何があったか聞かせてくれるわね?」


 ソファに座ってフッドレストの上に痛くもない右足を上げているロアの横に、それぞれ王女がふわりと腰掛ける。挟み撃ちの形になり、逃れられる気がしないロアは身を縮めた。


「ええと、別に何も……」


「あら」


「思い切り目が泳いでいるわよ」


「可愛い緑の双子ちゃん、こっちを向いてー?」


 ティーア王女はロアの両頬を柔らかな手のひらで挟み込み、顔を覗き込んだ。陰のない整った顔が近づき、これまで嗅いだことのない甘く爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。

 同性のロアでもくらくらしてしまい、目が合うとどっと汗が噴き出た。


「ほ、本当に、何もなかったです」


 絞り出すように言ったロアの言葉を聞くと、ティーア王女はにこりと笑って更に顔を近づけた。ロアは思わず肩をすくめてぎゅっと目を瞑る。瞼に唇が触れて、チュ、と軽い音を立てて離れた。


「!! な、な、何を……!!」


 片目を押さえて真っ赤になって目を白黒させるロアに、二人は視線を交して笑った。


「ソイニンヴァーラ流のご挨拶よー」


「左目にもしてあげるわねー」


 急に口調にのどかな訛りが現れる。


「わわ!! いいですいいです、大丈夫です!!」


 再び近づいて来たティーア王女を遮り、ロアは足さえ縮めて丸くなった。それを見た二人の王女が声を立てて笑う。


「さてさて、話してくれるわねー?」


 何の動揺もなく美しいままの二人を見て、ロアは絶対に自分が彼女達に太刀打ちできないことを知って項垂れた。


「は、はい……」


 どうにか詳しい話はせずに済むように努力はした。だが途中で何度も質問され、更に脅しも掛けられ、とうとうロアは洗いざらい昨夜の顛末を話してしまった。


 話し終えたロアはやってしまったという虚脱感と不安感、そしてどこかほっとした気持ちでぐったりとしている。


「なるほどー。わたくしたちの知らないところで、そんな面白そうなことが起きていたのねー」


「ユリシーズも人が悪いわー、教えてくれたって良かったのにー」


「あの、このことはどうか秘密に……」


 ロアはおずおずと二人へ哀願する。


「大丈夫よ、優しいお猿さん。わたくし達も協力してあげてもいいわー」


「本当ですか!?」


 この二人が味方になってくれるならば心強いことこの上ない。ベルンシュタイン皇帝やウィンフィールド国王を敵に回しても、ただでは負ける気はしなかった。ロアはばっと身を起こした。


「ええ。ただし、この間の羽落ちの話。あれにあなたが全面協力してくれるなら、だけどー」


「しますします、もちろん」


「あなたの思想とは合わないお願いも、きいてもらうことになるかもしれないわよー?」


 ティーナ王女が目を細めた。だが今のロアにとってそんなことは大したことではなかった。


「大丈夫です。お二人が協力してくれるなら、きっとヨ──クローディアも喜びます!」


「確かにベルンシュタイン皇帝を相手取って強気に出られるのは、大陸中探したってわたくし達だけかもしれないわねー」


 二人はくすくすと笑い合った。ロアはきょとんとして二人を見た。


「お二人は、皇帝陛下とお知り合いなんですか?」


「ええ。あの子の母親はソイニンヴァーラ人だったのよー」


「わたくし達とも遠い親戚関係になるわー」


「まあソイニンヴァーラの貴族で、わたくし達と遠縁に当たらない人の方が珍しいけれどねー」


 二人はまた笑った。ロアはソイニンヴァーラ人の母のことを思い出したが、今はそれどころではなかった。


「あの! 皇帝陛下と揉めずに、カサンドラさんをウィンフィールドに連れてくることはできますか?」


 ロアは身を乗り出して二人の王女を交互に見た。


「そうねー、できなくはないわ」


 息を飲んでロアは叫ぶ。


「お願いします!」


「でもそのためには、お姉様に協力してもらわないとねー」


「お姉様?」


「そう。わたくし達の可愛い可愛い不機嫌な兎さん」


「時の止まった眠り兎さん」


 何を言っているのか理解できずに、ロアは不安げに王女達を見つめる。ティーナ王女がロアの髪に触れた。ざくざくとした切り髪の感触を楽しみながらにっこりと微笑む。


「ベルンシュタイン皇帝はね、ティニヤお姉様に恋をしているのよー」


「ええっ?」


 恋などというあどけない単語があの皇帝陛下とは到底結びつかず、ロアは思わず声を上げた。


「うふふ。きっと初恋じゃないかしらー」


「でもお姉様は歯牙にも掛けない態度だからー」


「見ているとちょっぴり可哀想なのよねー」


 微塵も皇帝に同情している様子のないままそんなことを言って、二人はまた笑い合った。


「そこを何とか、お願いします!」


 姉と呼ぶからにはティニヤ王女は二人より年上なのだろう。少年皇帝とは随分年の差がありそうだったが、とにかくロアはまだ見ぬティニヤ王女に膝をついてでも頼み込みたい気分だった。


「ええ、説得してみるわー。その代わり、あなたもわたくし達に協力するのよ-?」


「もちろんです、何でもします!」


 ロアは胸に握り拳を当てて騎士のように誓った。


「約束ねー?」


 ティーア王女が甘い声で囁き、白く細い小指をロアのそれに絡めた。



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