共闘
「ダンヒル子爵夫人に何を聞かれていたんだ」
周囲には聞こえないような声量で尋ねながら、コンラッドは手を差し伸べた。ロアは眉を八の字にしてグラスを使用人に預けると、コンラッドの薄い手を取る。
「酷い顔だったぞ。まさか彼女のことを話したんじゃないだろうな」
「彼女って、クロ──」
「その名を出すな」
鋭くコンラッドが制する。動揺したロアはコンラッドの足を踏み掛けたが、今夜はコンラッドが素早く足を引いて回避した。
「話してないよ」
「それならいい」
「ユリシーズの話を、してたんだ。子爵夫人は何か、知ってるみたいだった」
「子爵夫人がか? 兄上の何を知っていると言うんだ」
コンラッドは意外そうに眉を上げた。ダンヒル子爵のウィットバーン城は王都から遠いため、コンラッドはダンヒル子爵夫妻と顔を合わせる機会は多くなかった。だが確かに兄と子爵夫妻は親しい。
「何かは分からないけど。王様になりたくない理由を知ってるんですかって聞いたら、そんなこともあなたに話したのって驚いてたよ。ってことは、子爵夫人はユリシーズが王様になりたくない理由を知ってるってことじゃない?」
「ふむ。兄上もウィットバーン城では、心を開いて夫妻と会話していたのかもしれないな。それとなく夫人に聞いてみろ、兄上を味方にする材料にできるかもしれないぞ」
「無理だよ」
「無理?」
コンラッドはぴくりと眉を上げた。
「だって、子爵夫人には変な誤解されてるし。今こうしてコンラッドと……コンラッド王子と踊ってるのだって、見てよほら」
呼び捨てするなりきつく睨まれて、ロアは慌てて王子と付け足す。夫人が何やら期待を込めたキラキラした目でこちらを見ていると分かり、コンラッドは渋い顔をした。
「なるほど。だがお前、人の恋路に首を突っ込んでおいて無謀なレースに勝つこと以外に打つ手がないとは言わせんぞ」
「……昨日のこと、怒ってる? 勝手にレースの勝敗で賭けをしちゃって」
ロアは上目遣いでぽつりと尋ねた。
「当たり前だ。だが昨日も言った通り、私はレースの結果で自分の未来をどうこうする気は無いからな」
ぶすっとした顔でコンラッドは吐き捨てる。だが血管が切れるほどの怒りではないようだ。多少はほっとはしたが、まだ困り顔のままロアはため息をつく。
「うん。二人のことなのに、勝手に決めてごめんね」
「謝るくらいなら最初からするな」
「……うん」
しょんぼりとロアは下を向いた。
「……」
「……」
昔ながらの定番の円舞曲が響いている。コンラッドにとってはクローディアとも何度も踊った曲だった。この曲で踊った最後のダンスがいつだったかも覚えていないが、あれで最後にはしないと強く決意する。触れるか触れないか程度でロアの肩の上に翳していた手に力を入れて肩に掴むと、ロアははっとして顔を上げた。
「だがまあ、彼女にとってはあれは悪くなかった」
「え?」
コンラッドは灰色の瞳を真正面からロアに向けた。
「お前が出て行った後の様子からして、恐らく彼女はお前が賭けに出たことを嫌がってはいない」
ロアは丸い目でコンラッドを見上げる。
「ほんと? そうは見えなかったけど」
鮮やかな緑の目を見下ろしながら、コンラッドは慎重に言葉を選んで続けた。
「もちろん滅茶苦茶な賭けだから怒ってもいるが、それよりも──嬉しかったんだろう」
「嬉しかった?」
「……父親と兄の計画が明らかになった時、そしてその後も、私を含めて誰もが彼女達を忌避して遠ざけていた。帝国に渡ってからもそうだろう。母親を除けば何年もの間、彼女の力になろうとする者は誰もいなかった」
深く悔やむ顔でコンラッドは言った。
「だからきっと、何の関係もないお前が彼女の今の境遇を悲しんで腹を立てたことが身に沁みたんだ」
昨日のクローディアの様子からはとてもそうとは信じられずに、ロアはぱちぱちと瞬きした。
「ク、じゃない、カノジョが、そう言ったの?」
「言葉に出してはいない。態度にもな。だが私には分かる」
「……」
きっぱりと言い切ったコンラッドを見て、ロアは二人の絆の強さを思った。コンラッドは少し視線を和らげた。
「だからまあ、皇帝を敵に回す覚悟があるのなら。お前はそのまま、彼女の力になってやれ」
人の世話を焼くことに慣れていないコンラッドは、言いづらそうにぼそぼそと呟いた。
「うん、もちろん! ……あー良かった! お節介でとんでもないことしちゃったかなって思ってたから」
満面の笑みになったロアに、コンラッドは眉根を寄せる。
「とんでもないことには変わりは無いぞ。父上も皇帝陛下もだが、まずは兄上だ。レースでは他の騎手も全員お前の敵になる」
「頑張るよ」
「全くもって不本意ではあるが、私も協力してやる。その代わり、しくじるなよ」
脅すようにコンラッドはぎろりとロアを見下ろしたが、ロアの表情は曇らなかった。
「分かってるって!」
クローディアが自分のしでかしたことを喜んでくれていると思うと、腹の底の方からふつふつと力が沸いてくる気がした。求められているのなら、幾らでも戦う勇気は出てくる。
「レースだけじゃない。打てる手は全て打て」
「打てる手って?」
「ダンヒル子爵夫人にも兄上のことを聞け」
ロアは眉を下げた。
「だから無理だってば。なんかその、そういう仲だって誤解されてるのに、ますます誤解されちゃう」
「もう誤解されているなら多少誤解を重ねたところで問題あるまい。男爵も着いた頃だろう、ダンス中に聞いてみろ」
「えー」
「私達の人生を左右する話だぞ。やれることはやれ、いいな」
「はい」
他人から話を引き出すなどしたことのないロアは、方法さえ思いつかずに肩を落とした。だがクローディアが喜んでくれていたという事実にすぐに気を取り直して、晴れやかに笑った。
「とにかく、頑張ろうね、カノジョのために!」
踊りながらロアは拳をまっすぐコンラッドへ向けた。コンラッドはそれを聞いて呆気に取られたような顔をしたが、すぐに不敵に微笑んだ。人に見られないような低い位置までロアの拳を下げさせると、一瞬だけ拳で触れ合う。そんな二人を、ユリシーズは歓談しながらティーア王女の肩越しに見ていた。





