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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
第三章 欠けてゆく月
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満天の星と


 舞踏会も三日目になるとロアも少しだけ慣れてきて、何か起こる度にいちいち不安がらずに済むようになって来ていた。二日の間にロアがどんな女性かが良くも悪くも広まった分、誘いに来るダンスの相手も面白がって踊りたがる人達ばかりになった。そういう意味ではロアも気が楽だった。

 とはいえ気分は最悪で、どうやったら天馬をもっと早く乗りこなせるか、そして最終日の天馬レースでユリシーズにどうすれば勝てるかということばかりが頭の中を駆け巡る。


「お疲れかしら?」


 ダンヒル子爵夫人が、大広間の片隅で天井の星空を見上げているロアに声を掛けた。


「……ダンヒル子爵夫人」


「無理もないわよね、外国から来てこんなに大きな舞踏会に参加しているんですもの」


 ロアの冴えない顔色を見て、子爵夫人は少し笑った。そして二つ持っていたグラスの一つを差し出した。ロアは無理に微笑んでそれを受け取った。


「ありがとうございます。……私は元気ですよ、空がきれいだなって思ってただけです」


「ふふ、見事でしょう。他のお城にはこんなに大きな天窓はないそうね?」


「そうですね、ベルンシュタインでは見たことないです。天井全部が窓みたい」


 ロアは頷いてまた天井を見上げた。紫の空にぽつぽつと星が輝いている。この空が確かにベルンシュタインまで繋がってのだと思うと、ロアは不思議な気がした。

 父も使用人達も騎手仲間達も、この空を見上げているだろうか。無性に父や愛馬のシリュッセルに会いたくなった。馬丁のフランツは、シリュッセルの世話をきちんとしてくれているだろうか。自分とこれだけ離れたのは初めてなので、シリュッセルは戸惑っているだろう。ウィンフィールドへ出立する前日の遠乗りが、自分にとって最後の乗馬になるかもしれないとは夢にも思わなかった。


 ホームシックなのか何なのか、どうしようもない淋しさと不安に襲われてロアは身を縮めた。そっとグラスに口をつける。何度飲んでも苦味とアルコール独特の香りには慣れず、顔をしかめないようにするのが精一杯だった。


「ユリシーズとはずいぶん親しくなったようね」


 突然その名を聞いて、ロアはどきりとする。賭けの約束は誰にも知られる訳にはいかない。これほど大きな秘密を抱えることは初めてで、ロアは何を話しても子爵夫人に不審に思われそうで冷や汗をかいた。


「……ええ、まあ」


「さっきユリシーズと踊っている時、あなたはあまり楽しそうには見えなかったけれど。ユリシーズは今日ずっと、あなたを気にしていたようよ」


 ユリシーズは露骨にロアを探したり視線を送ったりしていた訳ではなかったが、付き合いの長い子爵夫人はユリシーズがそれとなくロアの様子を気にしていると分かっていたようだった。

 だが残念なことに、何故王子が彼女を気にするのかという理由は誤解している。その誤解を解きたかったが真実を語る訳にもいかず、ロアはただただ目を泳がせた。


「それは、ええと──珍しいから、でしょうね」


 肩身狭そうに答えるロアを見て子爵夫人はきょとんとして、それからくすくすと笑い出した。


「まあ。うふふ、本当に謙虚なのねえ」


「いえ、そんなことは」


 また誤解をされたらしいと気づいて、ロアはますます汗をかく。


「ユリシーズのことは、どう思っているの?」


「ど、どうと言われましても……立派な王子様だな、と」


 意味ありげな含み笑いの流し目で、子爵夫人はロアを見た。グラス片手に炭酸の小さな丸い泡がぷつぷつと水面へ上がっていくのを見つめながら、ロアはしどろもどろでどうにか答える。窓から突き落とされ掛けたと正直に答えたら、子爵夫人はどう反応するだろうかと苦々しい思いを噛み締める。


「コンラッド王子のことは?」


 そう言えば初日のダンスのせいで、子爵夫人はコンラッドと自分のことを誤解しているようだったなと思い出す。ロアは痛みに耐えるような顔をして俯いた。


「ええと……どちらの王子も、立派で、素敵だと、思ってます」


 子爵夫人はひらりと扇を口元に翳し、小さくつぶらな目を細めた。


「あのね、ロアさん。これはちょっとだけ恐れ多い話だから、内緒よ?」


「は、はい」


 少し笑いを含むような子爵夫人の声色に、ロアはぱっと顔を上げた。話題が変わるなら大歓迎だった。


「うちは子どもがいないから、私も夫もユリシーズのことは実の息子のように思っているの」


 悪戯っぽく目をくりくりさせながら、子爵夫人は言った。


「王城で見るあの子は立派な王子様かもしれないけれど、ウィットバーン城で見るあの子はただの子どもだったわ。私たちのお城に遊びに来るあの子はやんちゃで、悪戯好きで、わがままで──」


 子爵夫人は思い出を辿るように遠い目をした。その声には温かな慈愛が込められていたが、それがふとどこか身を切るような同情の顔に変わる。


「……そして苦労を、している子だから。あの子には何でも分かち合えるようなお友達が必要だって、ずっと思っていたのよ」


 ロアは何も答えられなかった。子爵夫人は何のことを言っているのだろうと考え、ふと昨日のことが閃く。


「その苦労というのはユリシーズが、いえ、ユリシーズ王子が王様になりたくない理由と関係がありますか?」


 子爵夫人は小さな茶色の目を見開いて一瞬固まった。どうやら子爵夫人がしようとしていた話題に即したものではなかったらしい。しまったとロアは思ったが、言ってしまったことを取り消すことなどできない。子爵夫人はゆっくりと微笑んだ。


「……もうそんなことまで、あなたに話していたのね」


 子爵夫人の驚きの表情は柔らかな愛情深いものに変わった。温かな眼差しは普段なら居心地のいいものだっただろうが、また一つあらぬ誤解を重ねたことに気づいてロアは絶望的な気分になった。


「あ、いえ、そういう訳では……。ひ、人づてに聞いた感じです。仲がいいわけでは」


「人づてに? ユリシーズ以外の、誰に聞いたの?」


 子爵夫人はじっとロアの目を覗き込んだ。ここでコンラッド王子に聞いたと答えれば、今度はコンラッドとそこまで仲良くなったのねと言われるだろう。どう答えるべきか分からずにロアはたじろぎ、魚のようにぱくぱくと小さく口を開け閉めした。


「そ、それは、ええと…………」


「おい。踊るぞ」


 ふいに不機嫌な声が背後で響いて、ロアはびくりと肩を揺らした。


「コンラッド!」


 窮地を救ってもらえたと、ロアは思わず呼び捨てにしてしまう。コンラッドはロアを睨み、それから子爵夫人に視線を移した。


「お話し中のところ失礼します、ダンヒル子爵夫人。彼女をお借りしても宜しいですか?」


「ええ、もちろん。行ってらっしゃい」


 子爵夫人は笑顔で二人を見送った。弾む声で名を呼んでしまったことで、子爵夫人がロアはユリシーズよりコンラッド王子贔屓なのかしらと訝しんでいることをロアは知らない。



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