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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
第三章 欠けてゆく月
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無謀の人


 その夜。ロアはとうとう自分一人では部屋に戻っては来なかった。

 日付が変わっても戻ってこない主に業を煮やし、マヌエラが厩舎まで迎えに行って天馬の乗馬訓練をしているロアを強引に連れ帰ったのだ。


 ウィンフィールド王城の馬丁や調教師達はロアが帰るまでは帰れなかったらしく、マヌエラに腕を引かれて帰るロアを見てほっと胸を撫で下ろしていた。


「全くもう、舞踏会は毎日続くのですよ。明日も乗馬の練習をするおつもりなのでしょう?」


 怒りにまかせていつもより手荒く湯上がりのロアの髪をタオルで拭きながら、マヌエラが非難するように尋ねる。


「もちろん」


 ドレッサーの前に座るロアの頭が、マヌエラの手の動きで僅かに揺れる。

 天馬から落ちた際の痣が、バスローブから伸びる足に痛々しい赤味を刻んでいた。これではますます長い丈のドレスしか着られないなとマヌエラは思った。


 ジョーの進言通り練習の際にロアは命綱を付けていたが、低い位置での落馬では命綱が長すぎて用を為さない。命綱は長くないと乗り手の身体が左右どちらかに偏ってぶら下がってしまうので、天馬のバランスが崩れてしまうのだ。


「でしたら、せめて日付が変わる前までにお部屋にお戻り下さい。こんな調子では最終日の天馬レースまでに倒れるか、睡眠不足と疲労でとんでもない失態を晒してしまいますよ」


 ロアは睡眠不足に弱く、すぐに脳がまともに機能しなくなる。その癖、何かに夢中になると寝食を忘れてしまうので性質が悪い。


「だってマヌエラ、時間がないんだよ」


「天馬レースは余興なんですよ。舞踏会で恥をかかないことの方が重要です」


「駄目だよ。最終日のレースは、絶対に負けられない」


 ロアはユリシーズとの約束を思い出し、ギリリと奥歯を噛み締めた。


「何故です?」


 妙に必死な雰囲気のロアに、マヌエラが不審そうに言った。


「それはその──悔しいから。負けたら、ね」


 辿々しい倒置法を用いたロアに、マヌエラは何かあるに違いないと察した。タオルで髪を拭く手を動かし続けたまま、ちらりとドレッサーの鏡の中のロアを見て何気ない口調で応じる。


「……そうですよね、ロア様は負けず嫌いですもの」


「うん」


「各国の王侯貴族の皆様が見ていらっしゃる中で、負けたい訳がありませんよ」


「うんうん」


 マヌエラはタオルをドレッサーの台に乗せ、ブラシでロアの髪を梳いていく。


「一位でゴールして、どうだ見たかと胸を張りたいですよね」


「うん!」


 ロアが力強く同意する。


「それに、負けたら身の破滅ですしね」


「うん」


 マヌエラがブラシを持った手を止める。部屋の中が静まり返った。


「なるほど。どう破滅するのですか?」


「え? ……あっ!」


 自分の失言に気づいたロアが悲鳴を上げる。マヌエラはロアの前髪を撫で付け、それからロアの肩に手を乗せて鏡の中の主を見た。


「詳しくお聞かせ願いましょうか」


「ひ、ひどいよマヌエラ、どうゆうじんもんなんて!」


 泣きそうな顔でロアが言う。


「それを言うなら誘導尋問です。天馬レースに一体何があるのですか?」


 マヌエラの口調は厳しい。コンラッド王子に呼び出され、その後でロアに詳細を聞いたことで警戒心が最大値まで高まっているのだ。


「う~……」


「時間がないのでしょう、正直に洗いざらいお吐きなさいませ」


 主と話しているとは思えない言葉をロアに告げ、マヌエラはロアの肩に乗せた手に力を込める。しばらく見つめ合った後で、ロアは諦めて椅子の背もたれに体重をもたせかけた。


「…………。あのね。約束したの」


 ロアは大きくため息をついた。


「約束? 誰と何の約束ですか?」


「……ユリシーズと」


「まあ、ユリシーズ王子と? 何の約束ですか」


 コンラッド王子の次はユリシーズ王子かと、マヌエラは眼鏡の奥の目を見開く。


「…………」


「ロア様。こうしている間にも明日の練習時間が削られていくのですよ?」


 答えられないロアに、マヌエラは冷ややかな脅しを掛ける。とうとうロアは全てを諦めて鏡越しにマヌエラを見た。


「……天馬レースで私が勝ったら、ヨゼフィーネ──じゃなかった、クローディアとコンラッドの結婚を、ユリシーズに応援してもらう約束」


「何ですって?」


 マヌエラはこれ以上は丸くできないほどに目を丸くした。


「ヨゼフィーネがクローディア・ビギンズだったってことは、もう話したでしょ」


「それは昨日お聞きしましたよ。こちらにいた頃、ヨゼフィーネさんは従兄弟のコンラッド王子と親しかったという話も聞きました」


「うん。二人はね、恋人同士だったんだよ。それで今、コンラッドがクローディアと結婚したがってて。でもユリシーズは二人の結婚に大反対してるし、国王陛下にはまだ話してないけど、話したら国王陛下も反対するらしくて」


「それはそうでしょう、ご自分に刃を向けた大罪人のご息女ですよ」


 呆れたようにマヌエラが頷く。ロアは焦れたような顔をした。


「でもユリシーズなら、国王陛下を説得できるんだって。だから、ユリシーズに味方になってもらうために賭けをしたんだ」


「ユリシーズ様や国王陛下がお二人のご結婚に反対なさるのは分かります。分かりますが、失礼ながらウィンフィールド王族と、ベルンシュタイン皇帝で解決すべき話では? 何故ロア様が賭けなどするはめになったのですか」


「それは……」


 ロアは口をつぐんだ。叱られるのは目に見えているからだ。マヌエラの眼鏡の奥の目がきらりと光る。


「ロア様、あなた、ご自分から首を突っ込まれましたね?」


「うっ」


 堪らず呻いたロアの膝が小さく跳ねる。マヌエラはみるみる眦を吊り上げた。


「うっではございませんよ、うっでは! 他人の、ましてや一国の王子の人生を賭けにするなんて……!」


 珍しく取り乱して声を荒げるマヌエラに、ロアはたじろぎながらも口を返す。


「じ、人生を賭けにはしてないよ。賭けに勝って、ユリシーズに味方してもらおうと思っただけ」


 声に驚いたそばかすの侍女が、バスルームを洗い終えて寝室に入ってきた。


「どうしました?」


 だがマヌエラには一から事情を説明する余裕がない。


「同じようなものです! よくそれをクローディアさんとコンラッド王子が承諾しましたね。結婚したさの余り、正常な思考でなかったのでしょうか」


「コンラッドは、承諾はしてないよ」


 マヌエラは目を見開いた。この状況に油を注ぐような発言をしてしまい、ロアは慌てて口をぱっと押さえた。


「何ですって?」


「……」


「ロア様。今更言い逃れはできませんよ。承諾していないとはどういうことです」


 ロアは観念して手を離した。


「……クローディアは、私が天馬レースに出て勝ったら、コンラッドと結婚する覚悟があるみたいなんだけど。でもコンラッドは私が負けた時でも、クローディアを諦める気はないって」


「というと?」


「だからー、ヨゼ、じゃない、クローディアはお母様がベルンシュタインにいるから、私が負けたら結婚しないでお母様のために帰るって言ってるの!」


 ぴょんと足を伸ばしてまた下ろし、ロアはやけくそのように叫んだ。


「それでコンラッドは、賭けの結果がどうでも、結婚するためならクローディアと一緒にベルンシュタインに渡るって」


 ロアは話しながら頭の中がごちゃごちゃになるのを感じた。あまりに酷い内容にマヌエラはくらくらと目眩がして、思わず天を仰いだ。そばかすの侍女も両手で口元を覆っている。

 王子が国を捨てるという行為に自分の主が一枚嚙んでいるなどと、とても信じたくない話だった。


「……どう考えたって、あなたが首を突っ込む必要があったとは思えませんが」


「だって、クローディアはほんとはコンラッドのことがす、好きなんだよ。可哀想でしょ!」


 少し照れながらも、脹れっ面でロアが答える。


「だからといって、そんな賭けはすべきではありませんでした。全く、コンラッド王子は何をお考えなのか……ヨゼフィーネさんと結婚するということは、ベルンシュタイン皇帝に楯突くことになるのですよ!」


「分かってるよ」


「いいえ、ロア様はことの重大さを分かってはおられません!」


「まあまあマヌエラ、落ち着いて。それでロア様、ロア様が負けた場合はどうなるのです?」


 そばかすの侍女がマヌエラを落ち着かせようと、その肩に手を乗せる。マヌエラは頭を冷やそうとするかのように自分の額に手を当てた。


「負けたら、ヨゼフィーネとコンラッドはウィンフィールドでは結婚できないよ。だから、二人でベルンシュタインに来るって」


「それはお聞きしました。ですがそれだけでは、ユリシーズ様には利がないでしょう。ベルンシュタイン皇帝やご自身のお父上を向こうに回すような危険な賭けですよ、それをユリシーズ様が受けたということは他に何か別の約束があるのではないですか?」


 マヌエラの指摘にどきりとしてロアは目を逸らす。侍女二人はただ黙ってロアを見つめ続けた。そろそろと視線を正面に戻すと、鏡越しに二人の目がこちらを見ているのに気づいてロアは唇を歪めた。

 三人はしばらく無言だった。とうとうその圧に耐えかねて、肩を落としたロアが答えた。


「…………私が負けたら、馬に乗るのを止める」


「え?」


「だからー、天馬レースでユリシーズに負けたら、もう私は馬に乗らないって約束してるの!」


 自暴自棄になり、またぴょんと両脚を投げ出すように伸ばしてロアが叫んだ。マヌエラは真顔で凍り付き、そばかすの侍女は口をあんぐりと開けた。


「……ロア様、それは……あまりにも無謀な…………」


 そばかすの侍女が言葉を絞り出した。溌剌と乗馬に打ち込むロアの姿がマヌエラの脳裏に浮かぶ。馬上で弾む体や、馬から降りた紅潮した頬、そしてヘルメットを脱いで額の汗を腕で拭う笑顔。


 馬のことしか頭にないロアから乗馬を取り上げてしまったら、ロアの人生は空っぽになってしまいのではないか。マヌエラは真っ青になった。


「今すぐユリシーズ様にお詫びして、そんな賭けは取り消して頂かないと」


「無理だよ。ユリシーズったら、ゲラゲラ笑ってたもの。取り消すわけない」


 ロアは冴えない顔色で答えた。


「それに賭けを取り消したら、ヨゼフィーネ、じゃない、クローディアはどうなるのさ? 私が勝てばどうにかなるんだから、勝てばいいだけだよ」


「敵はユリシーズ様だけではありませんよ。他の騎手が何人いるか存じ上げませんが、残りの騎手全員が国の威信を懸けて王子を勝たせようとするでしょう。初心者のロア様が勝てる見込みはありません」


「それに万一、万一ロア様がユリシーズ様に勝てたとしても、です。皇帝陛下がお二人の結婚をお許しになるとは、とても思えませんわ。何としてでも謝って、賭けは取り消すべきです」


 更にそばかすの侍女がマヌエラを援護した。二人の言っていることが常識的で正しいことは、ロアにも分かった。クローディアの何もかも諦め切った目を思い出す。そして、ロアの背中でうなされていたクローディアの言葉も蘇る。


「……そんなこと、できないよ」


「これはトラウゴット様をも巻き込む話なんですよ」


 ロアは椅子から立ち上がり、バスローブの乱れも直さずにそのままベッドに潜り込んだ。


「ロア様!」


 だがロアは布団をばふりと頭まですっぽり被り、二人の侍女に背を向けた。


「もう寝る!」


 布団の中でロアは身を縮めた。マヌエラはごくりと唾を飲み込んだ。ロアには勝ち目はない。それは確かだった。二人の侍女は絶望して顔を見合わせた。



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