噂
ユリシーズはクローディアを見た。それから、理解できないと首を振ってため息をついた。
「……なるほど。本当に数日前に会ったばかりの関係なのか。それでよくもまあここまで遠慮なく首を突っ込めるものだね」
呆れ顔でユリシーズはロアを見て、それからまたクローディアへ視線を向けた。
「数日で同性をここまで虜にできるなら、幼い皇帝を誑かすことなんてさぞ簡単だったろうね、クローディア?」
侮蔑の言葉に、ずっと黙っていたコンラッドが目を見開く。
「やめて」
ユリシーズを制止したのはロアだった。コンラッドはユリシーズが自分を怒らせようとしていることは分かっているため、手口に乗る訳にはいかないと自分に言い聞かせて体に力を入れて必死に耐えている。クローディアは表情を変えなかった。
「おっと、弟の恋人に余計な詮索だったな。失礼」
わざとらしい謝罪にコンラッドの肩が震える。実の兄ながら敵に回すとこうまで厄介だったとは、と心の中で毒づく。
「…………とにかく、兄上。ベルンシュタインでもウィンフィールドでも、場所はどうでもいい。僕はこれからクローディアと生きていきます。僕が言いたかったのはそれだけです」
「彼女がそれを望まなくとも?」
「ええ。父上にもそうお伝えします」
コンラッドはきっぱりと言い切る。開き直ったな、とユリシーズは瞼を僅かに引き下げる。
「そうか。母親の命を守りたいクローディアの意志を無視して、彼女を囲う訳だな。だったらベルンシュタイン皇帝とお前と、何が違うんだ?」
怒気を孕んだユリシーズの琥珀色の瞳がコンラッドを見据える。コンラッドの灰色の目にも、それと同じくらい怒りが渦巻いている。ウィンフィールドの二人の王子が、真正面からこうまで対立するのは初めてのことだった。
「愛情があると言い張る分、お前の方が皇帝より性質が悪いんじゃないのか」
「同じと思って頂いて結構。私は二度と後悔したくないだけです」
もはや自暴自棄になったのか、一本芯の通ったような揺るぎないコンラッドの物言いにユリシーズは食い下がる。
「後悔したくない? そんな理由で全てを捨てる気か。別の後悔をすることになるぞ」
コンラッドは視界を細く狭めて兄を見た。兄の言葉を受けて答えてはいけない、弁舌に絡め取られてしまう。ただ自分の意見を主張すること、それだけに集中すればいい。
「クローディアと別れて、今こうして再び出会えて……やっと彼女こそが僕の全てだったのだと気づいたのです。彼女のためならば彼女以外の全てを捨てます。その他のことは僕の人生の小事に過ぎません」
クローディアはその言葉を悲しげに聞いていた。ユリシーズは微かに呻いた。恋というものの恐ろしさと厄介さが骨身に沁みて、火のような怒りがこみ上げた。城下で覚えた卑語で思い切り罵ってやりたかったが、そこはぐっと堪える。
「小事。この国の未来を小事と言うのか……。今の言葉は聞かなかったことにしてやるよ」
「聞いて頂いて構いませんよ」
ユリシーズは首を横に振った。
「いいかコンラッド、お前はこの国の王になる身なんだぞ」
「クローディアを王妃として認めて下さるなら、その可能性を否定はしませんが」
コンラッドは努めて冷静に答える。ユリシーズは乱れた髪を掻き上げた。祖父と父の人生を思い返す。
「──父上いわく、玉座に座る者は、そこに備え付けられた毒酒も飲み下さなくてはならないんだそうだ。代々皆がそうして来た。もちろん父上も。お前が飲まなくてはならない毒酒とは、クローディアを諦めることなのかもしれないな」
コンラッドは毒酒の話を父から聞いたことはなかったので、兄が何を言わんとしているのかよく理解できなかった。
「ではどうぞ兄上がお座り下さい」
ユリシーズがコンラッドを見た。硝子玉のように空虚な目だった。
「次の王はお前だ、コンラッド」
「何故ですか? 第一王子はあなたですよ。順序通りならあなたが座るべきだ」
コンラッドは眉根を寄せ、ユリシーズは背筋を伸ばしてにっと笑う。目つきが明るいものに変わった。兄が身を躱そうとしていることに、この場でコンラッドだけが気づいた。
「自由の翼をもがれるのは御免だね。王になんかなったら気軽に城下に降りられなくなるだろう? 潰れる店も出るしご婦人達も悲しむ」
「兄上の自由の代償に、私にクローディアを失えと?」
苛立ちを露わにしてコンラッドは言った。ユリシーズは笑みを消さない。
「本気でそう思ってるなら、視野が狭くなってる証だな。まだ舞踏会が終わるまで何日かはあるんだ、クローディアとのこともこうと決めつけずに、よく話し合ってみればいいじゃないか」
ユリシーズは腰を掛けていた出窓の天板からひょいと飛び降りた。帰る気なのだとコンラッドは思った。有耶無耶にしてここは流して、自分がクローディアを手放すよう策略を仕掛けてくるに違いない。コンラッドは今までにないほど兄の手の内が理解できた。
「今はあなたについて話しているんですよ、兄上。あなたはいつもそうだ、都合の悪い話をすり替えて逃げるのが上手い。どうしてそうも王位に就くことを拒むのです?」
クローディアを侮辱された憎しみが、コンラッドの舌鋒を鋭くしていた。
「逃げる? お前が話があると僕に持ちかけてきて、僕は呼び出しに応じてわざわざお前の話を聞きに来たんだぞ。その僕に、逃げるなって?」
心外だという顔を大袈裟に作ってユリシーズは両手を広げた。
「それはその通りですが──昔からずっと、あなた自身の話はさせてもらえていません。いい機会です、聞かせて下さい。何故僕にしきりに結婚を勧めるのですか? そして何故そこまで、王になることを拒むのですか?」
コンラッドが畳み掛けても、ユリシーズは眉を上げてニヤニヤと笑うだけだった。
「おや、僕の話がしたかったのか。お前がそんなに僕に興味があったとは知らなかったよ、悪かったね」
コンラッドは歯噛みする。
「兄上……」
「どんな話がいいんだコンラッド、去年ソイニンヴァーラへ行った時の話が聞きたいかい? ティーナとティーアに頼まれて彼女達の花婿候補に仕掛けた、おかしな罠の話をしようか?」
コンラッドは顎を引いて兄へ鋭い眼差しを向けた。
「その手は食いませんよ。あなたはいつもそうだ。堂々と表舞台に立っているように見えてその実、いつも道化のように仮面を被っていて素顔は見せない」
ユリシーズは一瞬きょとんとし、それから笑った。
「ハハハ、どうもお前の感性は詩人向きだな。そんな舞台役者みたいな真似はしてないよ。もちろん人並みの隠し事がないとは言わないが、愛する弟に聞かれればどんなことにだって答える気はある」
憤懣やる方ないコンラッドの目と声が陰惨さを帯びていく。
「では答えて下さい。自由がどうのという理由以外の、王位継承を拒む本当の理由を」





