霧の中の黎明
ロアの挨拶に、ティーア王女がゆらゆらと扇を揺らして笑う。
「あらあら、緊張しているのかしらー?」
「は、はい……。だってあんまり、おきれいなので」
ティーナ王女が眉を上げた。
「まあ、つまらないわ。騎手なのに、普通の人のようにわたくし達を見るのねー」
「えっ」
「せっかくなのだから、わたくし達を馬のように評価してみてー?」
「う、馬のように……ですか?」
突然の無茶な要求にロアは困ってユリシーズを見たが、ユリシーズは面白がってにやけるだけだった。二人の王女も笑っている。ロアは困り果て、早々に自室に帰りたくなった。
「馬なら……うーんと、白毛の、もちろん牡馬。六歳くらいかな。首が少しだけ長めだから、短距離よりは長距離に向きそう。……こ、こんな感じですかね?」
「うふふ、お上手ねー」
「でも長距離は、だめねえー。わたくし達、スタミナがないからー」
意図が全く分からないまま見た目で答えただけなのだが、とにかく二人は満足してくれたようだった。不思議な人達だと思いながら、ロアはほっと胸を撫で下ろした。
「ところであなた、羽落ちを連れて帰るんですってー?」
「あ、はい。もう払い下げの許可はもらいました」
「払い下げ」
ティーナ王女が扇を揺らす手をぴたりと止めた。
「軍馬だから、軍用品と同じ扱いなのねー」
ティーア王女が大袈裟にため息をつく。
「そうなんです。片方の羽が血だらけだったのに、手当てもしてもらえてなくて……」
哀れな羽落ちの姿を思い出して、ロアは顔を歪めた。
「まあ。二枚しか羽がないから、一枚を怪我しただけで飛べなくなって、」
「簡単に殺されてしまうのねー」
二人は一つの文章を分け合って話した。ソイニンヴァーラの六枚羽の天馬や四枚羽の天馬は、羽一枚だけなら怪我をしてもさほど飛行に支障はないので、殺される二枚羽の羽落ちが余計に不憫に思えるのだろう。
「これは二枚羽に品種改良したことの弊害だと認めるわね、ユリシーズー?」
扇で口元を隠してユリシーズに身を寄せ、ティーア王女はきらりと目を光らせた。
「おっと、僕はもう行かないと。馬が合うようで良かった、その調子で楽しくやってくれ」
ぱっと身を引き、ユリシーズはさっさと次の女性客の元へと向かった。
「……あの。お二人は、天馬がお好きなんですか?」
ロアが勇気を出して尋ねると、二人の王女は顔を見合わせてにっこりした。まるで鏡合わせのようだとロアは思った。
「それはもう、お好きなのよー」
「天馬に限らず、美しいものや面白いものが、とってもお好きなのよー」
「だからあなたのことも、お好きなのよー」
二人の王女はくすくすと笑い、ティーナが扇でロアの鼻先をそっと撫でた。ロアはどぎまぎする。
「でもあなた、羽落ちを連れて帰って、どうするつもりなのー?」
不躾に、ティーアがじっとロアの顔を覗き込んだ。ロアはまたどきどきしながら首を振った。
「そ、それは……わかりません。でも何か、役割をあげられたらいいなと思ってます」
「役割?」
ティーア王女が小首を傾げる。だがロアにはもうどちらがティーナでどちらがティーアか分からなかった。
「はい。私、馬には誇り高く──理想の形で、幸せでいてほしいんです。飛べなくなっても、出番がある馬でいてほしいというか……うまく言えませんけど」
二人の王女は呆然とした顔で黙りこくった。何とも気まずい沈黙が流れた。
「ご、ごめんなさい。私、馬が好きすぎて、考えが普通じゃなくなってて……」
「感動だわ」
二人の王女は先ほどまでより少し低く速い口調で、同時に呟いた。
「えっ?」
ロアは交互に二人を見る。
「そんなことを大真面目に考えている人が、わたくし達の他にもいたなんて」
「それも、騎手にいたなんて」
一人は右足から、もう一人は左足から、双子の王女は同時に足をすっと前に踏み出した。二人の王女は白い滑らかな腕を伸ばし、二人がかりでロアを抱きしめた。ロアは驚いて一歩後ずさる。急な動きで靴擦れが痛んだ。周囲の人々が好奇の目を向ける。ユリシーズも踊りながら三人の様子を伺っていた。
「わっ!? ちょちょ、ちょっと、王女様、たち……!」
「どうやらわたくし達は、騎手を誤解していたようね」
滑らかな、完璧な共通語がロアの耳元で響く。
「てっきり騎手というのはみんな馬を鞭で叩いて速く走らせようとするだけの、無慈悲で粗野なお猿さん達ばかりだと思っていたのよ」
「お、お猿さん……?」
二人は腕に力を込めてきゅうっとロアを抱き締める。ネックレス同士がぶつかってチャリッと小さな音を立て、柔らかく温かな肌が直に触れた。それから急に、二人はぱっとロアを解放して同じ顔で笑った。
「うふふ。わたくし達とお友達になりましょう、ロア・ジャンメールー」
「三人で友好条約を結ぶのよー」
「じょ、条約……?」
「うふふふふー。これはね、天馬を見世物にするなんてと教会に噛みつかれてしまうから、わたくし達が直接は作れなかった話なんだけどー」
「羽落ちを集めて、観光牧場を作るっていうのはどうかしらー?」
「か、観光牧場ですか?」
予想もしない言葉がポンポンと出てきて、ロアは目を白黒させている。
「そうよー。天馬は綺麗だから、女性や子どもにも人気があるでしょうー?」
「餌をあげたり撫でたりしたいお客の相手をしながら、羽落ちに幸せな余生を過ごしてもらうのよー」
「……」
「どうかしらー?」
「…………いいアイデアだと、思います」
ロアは絞り出すように答えた。
「あら、何かお気に召さないー?」
ティーアが扇でそよそよとロアに風を送る。
「いえ。もしお二人がそういう牧場を作るとおっしゃるなら、ぜひ協力させて下さい」
「わたくし達が先頭に立つ訳にはいかないから、あなた立ってくれると助かるのだけどー。何か言いたそうな顔をしてるわねー?」
ティーナがロアの顔を覗き込んだ。ロアは身を引き、それから諦めてため息をついた。
「……きれいって言われるだけじゃない、余生にしてあげたいと思ってしまって。何か目標というか、仕事のようなものがあればもっといいなって。可哀想って思われるんじゃなく、すごいなあって、人に言われるような」
二人の王女は顔を見合わせた。
「まあ。意外と理想が高いのねー」
「身を滅ぼす高さねー」
二人の言葉がぐさりとロアの胸に突き刺さる。
「天馬を、馬を尻の下に敷いて鞭打つ騎手という職業ならではの、高望みなんだと思うわー。だって野生の天馬には、目標も仕事もないのよー?」
「そうよー。羽落ちになったことで人間に押しつけられた仕事から解放されて、元の自然な姿に戻るだけのことよー」
王女の言葉は至極真っ当だった。ロアはまたため息をついた。
「……そうですよね。その通りだと、思います。ごめんなさい、お話を続けて下さい」
二人の王女は微笑んだ。
「それでね、ロア・ジャンメールー。羽落ちは軍馬がほとんどだから、ウィンフィールド軍の協力がないと難しいのー」
「だけれどウィンフィールド国王は、二枚羽への品種改良を進めて羽落ちを増やした張本人でしょうー?」
ティーアは眉を下げて、静かに扇を畳んだ。
「羽落ちの牧場なんて、作られたら面白くないのよー」
「なるほど」
それはそうだろうと、ロアは頷く。
「だから協力してくれないのー。ユリシーズにもコンラッドにも話はしているのだけれどー。なかなか上手くいかなくってー」
ティーアはにっこりと微笑んだ。
「でも、ベルンシュタイン人の手があればまた変わるわー。キール公子も乗り気なのよー、今度皆で相談しましょうー」





