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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
第二章 青すぎる空
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運命の人



「…………」


 しばらくは誰も何も言わなかった。クローディアは目を伏せスプーンでカチャカチャとカップの咲茶を混ぜている。ロアは重苦しい空気に耐えかねて自分の椅子を少し後ろへ引いた。


「さっきは、逃げたりしてごめんなさい」


 最初に口を開いたのはクローディアだった。


「あんなところであなたに会うとは思ってなかったから、驚いてしまったの」


 やはり中庭の二人はクローディアとコンラッドで間違いなかったのだ、とロアは思った。クローディアの痛々しい腫れた瞼が、胸に食い込むように刺さるのをコンラッドは感じた。


「……いや」


 静寂が訪れる。


「それで、君はどうしてウィンフィールドに?」


 目を伏せたまま、クローディアはふうっと息を吐いた。


「ただの皇帝陛下の気まぐれよ。私が故郷で心変わりするかどうか、試しているんでしょう」


「本当にそれだけか?」


「そうだと思うけど、私にはあの子の考えることは分からないわ。常識も理屈もまるで通じないもの」


 クローディアは冷めた笑いを浮かべた。


「そうか。……それで、したのか」


 コンラッドの言葉足らずの問い掛けに、クローディアが顔を上げる。淡い青色の瞳をコンラッドは見た。


 大人になったクローディアもやはり美しかったが、それは暗い影を帯びた美しさだった。

 笑う時に使う表情筋が衰えてしまったような悲しげな目つきになり、元々細かった体型も更に華奢になって、折れてしまいそうな危うい雰囲気を醸し出している。気が強く、小生意気そうだった昔の面影はない。


「何を?」


「だからその……心変わりをだ」


 言いづらそうにコンラッドは目を逸らした。


「いいえ。舞踏会が終わったら、予定通りベルンシュタインに帰るわ」


「……」


 コンラッドは口を開きかけて、それを無理に止めて苛立つ目でロアを睨んだ。


「おい。席を外せ」


「あ、はい」


 ずっと気まずい思いをしていたロアは、むしろここを離れる機会を得てほっとして立ち上がった。だがクローディアは片手を上げた。


「コンラッド。ここは王城だけど私にあてがわれた部屋なのだから、この部屋の主は私よ。ロア、座って」


 二人は小さく口を開けてクローディアを見た。クローディアの揺るがない態度に昔の彼女の片鱗を見つけた気がして安堵しつつも、コンラッドは邪魔でしかないロアを忌々しげに見る。


「……はい」


 ロアは仕方なく肩を落としてすとんと着席した。今のクローディアには女王然とした雰囲気があり、主従が逆転してしまっている。


「ベルンシュタインに帰れば、二度とウィンフィールドには戻って来られないかもしれないぞ」


「間違いなくそうなるわね」


 他人事のように答えるクローディアに、コンラッドはぐっと唇を引き結んで苛立ちを飲み込む。


「後宮での暮らしが幸せだとでも言うのか?」


「言う訳ないでしょう」


 その言葉にコンラッドは一瞬目を見開き、それからふうっと長く息を吐いた。クローディアの気持ちがベルンシュタイン皇帝にはないことを悟って、ほっとして幾らか肩の力が抜ける。コンラッドは歯がゆそうにクローディアを見た。


「だったら何故帰る? 皇帝の思惑が何であれ、この機を逃す手はないぞ」


「私はこれ以上、家族を失いたくないだけ」


 クローディアは両手で持ち手とカップに触れながら答えた。コンラッドはクローディアの爪を見つめている。ピアノの演奏の邪魔だからと短く切りそろえていた爪は、もうとっくに伸びて美しく整えられている。

 二人でピアノとバイオリンを弾こうと約束する前の、ただ美しい手に戻ってしまったことがコンラッドには苦しかった。


「叔母上のことなら何とかする。名を変えてウィンフィールドに呼び寄せてもいい」


 クローディアはコンラッドを部屋に入れてから初めて、負の表情を顔に滲ませた。


「簡単に言わないで。私達は物じゃないのよ。権力者の気まぐれで、あちこちに追いやられるのはもうたくさん」


 コンラッドはクローディアの剣幕にたじろぎ、素直に謝罪を口にする。


「……すまない。もちろん、叔母上が望むならの話だ」


「母が望んだとしても、あの子がそんなことをさせると思う?」


 何度もベルンシュタイン皇帝をあの子と呼ぶクローディアに親しげな雰囲気を幻視して、コンラッドはテーブルの上の己の両手をぐっと握り締めた。だが言葉の内容はむしろ希望のあるものだった。


「つまり叔母上さえウィンフィールドに呼べるなら、君はベルンシュタインに帰る気はないんだな?」


 クローディアは目を細めた。


「とっても前向きな考えね。でもそれは無理よ」


 クローディアの答えはウィンフィールドに居たくないという意味ではなく、居られる可能性がないことを意味するものだった。彼女の心はまだ自分のものかもしれないと思うと、強い力がコンラッドの腹の底から込み上げてきた。


「無理じゃない。無理にはさせない」


 力強く言い切る言葉にクローディアは瞬きを繰り返した。この数年間で自分も変わったが、コンラッドも変わったのだろうと思った。だが本当にコンラッドが変わったのは、クローディアの愛がまだ自分にあると思えた今この時からだった。ロアはコンラッドの熱い言葉に一人戸惑っている。


「ベルンシュタインの少年皇帝がどんな人か、あなただって聞いているでしょう。実物はその十倍は酷いわよ」


 クローディアは少し苦しげな笑みを浮かべて脅かした。普通噂というものには尾ひれ背ひれが付くものだが、ベルンシュタイン皇帝に関してはそうとは言い切れない。


 一度だけクローディアは、皇帝が宮女の首を刎ねるところを見たことがあった。別に見たくて見た訳ではなく、他の宮女とともに中庭に面した広間に集められ処刑を見せつけられたのだ。

 意に沿わないことをすればお前達もこうなるぞという見せしめだった。首を斬られた宮女は貧しい家の出で、後宮で得た装飾品などを許可なくこっそりと実家へ送っていたというのが罪状だった。


 死んだ宮女と仲の良かった宮女達は泣いていた。クローディアも部屋に戻って泣き伏した。だがそれは同情ではなく、恐怖と、断頭台に上がった父と兄もああして首を落とされて死んだのだとまざまざと思い知らされたからだった。


「そんなことは問題じゃない。……クローディア、君を失ってから僕がどんなに惨めに過ごしていたか、君は知らない」


 コンラッドの声は揺れていた。ロアは少し驚いてこっそり横目でコンラッドを見た。その顔は歪んでいた。


「言い訳になるが、あの時は父上に母と僕達兄妹は離宮に下がるよう言われていて、父上の怒りが母や僕達にも及ぶかもしれない状況で……」


 あの尊大なコンラッドの台詞とは思えず、自分が聞いていい話ではないことを確信してロアは身を縮めた。だが同時に、初めてコンラッドが生身の人間に見えた気がした。クローディアが彼を人間に戻したかのようだった。


「いいのよ。一国の王子に全てを捨てて私と来てほしいなんて、今思えば無茶すぎて恥ずかしいわ」


 クローディアは自嘲気味に笑った。コンラッドは首を振った。


「いや、正しかったのは君だ。君を失って、そして今日また会うことができてやっと気づいたんだ。あの時の僕の選択は間違いだった。そのせいで君を……苦しませた。本当に済まなかった、どうか許して欲しい」


 コンラッドの言葉を聞いたクローディアは、呆然としてから喜びと悲しみと後悔と愛情の入り交じった表現しがたい表情となった。それから涙を滲ませて微笑んだ。目は腫れていたし鼻の頭も少し赤かったが、これまでコンラッドが見てきたどんな微笑みよりもそれは美しかった。


「いいえ、いいのよ。もういいの。……あなたともう一度会って、そんな言葉を掛けられることを、私はずっと夢見ていたのかもしれないわ」


 ぽつりとクローディアの涙が一粒テーブルに落ちた。堪らずコンラッドは身を寄せてクローディアの手を取った。


 ロアの頬が赤くなる。この部屋には自分もいるのだからそれ以上は発展させてくれるなという祈りを込めて、がたんと音を立てて後ろへ椅子を引く。クローディアはその音を聞いてロアを見て、苦く笑って一息つくとコンラッドの手を優しく押しやった。


「でも、私はベルンシュタインに帰るわ」


 コンラッドは動じなかった。鷹のような鋭い目でクローディアを見つめる。


「僕は二度と君を手放す気はない」


 クローディアは皮肉気に笑って、己の胸元へ右手を当てた。


「だったらどうするの? 私を後宮へ閉じ込める? ベルンシュタイン皇帝のように」


 コンラッドはじっとクローディアを見つめてから俯いた。

 それから首が軋むかのようにぎこちなく顔を上げ、うっすらと頬を染めてテーブルの上に残っていたクローディアの左手に手を伸ばす。クローディアは手を引こうとしたが間に合わず、二人の手が重なった。今度は逃すまいとコンラッドは手に力を込める。いつもは乾燥しがちなコンラッドの手が少し湿っている。


 居たたまれなくなったロアは、二人から目を逸らしてぱっと窓の外に目を向けた。だが残念なことにクローディアの部屋からは月が見えず、辛うじて庭木の枝や薄暗い庭が見えるだけだった。しかもガラスに反射した室内の二人が見えてしまい、ロアはますます赤くなった。目を泳がせた末に、仕方なく視線を自分の手元に落とす。


「クローディア。君の気持ちがもし、昔と変わっていないなら……どうか今日からは片時も離れることなく、僕とともに生きて欲しい」


 コンラッドは力を込めてクローディアの手を握った。クローディアは真顔になって一つ瞬きをして、小さく鼻を啜った。


「……プロポーズみたいに聞こえるわ」


「聞こえてくれなければ困る」


「まあ!」


 ロアもクローディアと一緒に叫びそうになり、慌てて両手で口を押さえる。まさか求婚の現場にまで居合わせることになろうとは、先ほどの自分の祈りは神にもコンラッドにも届かなかったらしい。


 他人の前で堂々と求婚した大胆不敵なコンラッドをちらりと盗み見るが、彼の中からは場違いなロアの存在などとうに消え去っているようだった。驚く二人に、コンラッドは更に追い打ちを掛けた。


「君がどうしてもベルンシュタインに帰ると言うなら、僕も行こう」



お読み頂きありがとうございました!


次回『結束』は水曜の朝7時に更新予定です。

シンプル思考な二人が手を組みます。

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