憎悪
ロアはクローディアのあまりの剣幕に固まっていたが、テーブルクロスの上で拳を作っているクローディアの白い手が、小刻みに震えていることに気づいた。
「……」
「分かった? これで満足?」
一気に捲し立てたせいでクローディアの息は荒い。初めて会った時はあれほど美しく気品に溢れていたが、今や泣きはらした目で肩で息をしている彼女をロアは見つめた。
クローディアとコンラッドが従兄弟なら、ウィンフィールドにいた時は二人は親しかったのかもしれないと推測する。
父と兄を処刑され、仲の良い従兄弟や友人達と別れて異国に渡り、母とも離れ残虐な皇帝陛下と暮らし──ロアはクローディアの境遇をそこまで想像して、開けたままだった口を閉じた。
「クローディア……」
圧倒され僅かなりとも怯えていたはずのロアが、自分を気遣わしげに見上げていることにクローディアは違和感を覚えた。だがけりをつけるため、勢いを失いそうになる怒りの残り火を自ら煽る。
「同情してるの? そんなもの、思い上がり以外の何物でもないわ。あなたは今まで、私より少し運が良かっただけ」
ロアの悲しげな目が、癇に障って仕方がなかった。
「皇帝陛下の気まぐれ一つで、あなただって同じようになるのよ。ベルンシュタインに帰って私があの子にあることないこと吹き込めば、あなただってすぐに地の底に落ちる」
美しいクローディアの顔が、呪いの言葉を吐くことで醜く歪んだ。
クローディアにとってロアは自分の対極にいる平凡で幸せな無数の少女達の代表であり、それでいて逆に非凡な才によって鳥籠の外に出ることを許された少女でもあった。
どちらもクローディアにとっては受け入れ難い存在であり、ましてやロアがコンラッドに己の現状を知らせたと分かった今は、思い切り傷つけて気の済むまでいたぶりたかった。
思想に酔って家族を危険に晒した父と兄への怒り、ただ泣き叫んで神に祈るだけで何も行動できなかった母への怒り、心も体も玩具のように扱うベルンシュタイン皇帝への怒り。
そして何より、現状に抗うこともなく心を凍らせるだけの自分、何もしない母によく似た自分への怒りが、クローディアにそうさせていた。
ただの八つ当たりであることはクローディア本人がよく分かっていたし、そんなことをして何が変わる訳でもないとも知っていたが、衝動は止められなかった。
だがその時、またノックの音が鳴った。廊下を歩いてくる足音は聞こえなかった。訪問者はよほど静かに歩いてきたのだろう。
「……」
クローディアは度重なる来訪者に苛立ち、素早く目元を拭った。とても返事をする気にはなれなかったが、またノックの音が先ほどより音高く部屋に響いた。クローディアは渋々返事をした。
「……はい」
「クローディア。話がある」
それはコンラッドの声だった。ロアは驚いて気遣わしげな目でクローディアを見た。瞼は腫れてはいるがクローディアの横顔は彫像のように整っており、表情は読み取りづらかった。
クローディアはしばらく何も答えなかった。廊下のコンラッドは姿を誰かに見られることを気にして苦い顔をした。
「クローディア。頼む」
コンラッドの焦れた声がした。このままコンラッドを拒めば、またロアを通して自分の話が彼に伝わるだろう。自分の関わらないところで自分のことを取り沙汰されるのはもううんざりだった。
クローディアは静かに息を吸い、それから廊下の従兄弟に返事をした。
「入って」
そう言ってクローディアは、新たな客人のためにカップをもう一つ用意すべく棚の引き出しを開けた。
ロアがあたふたしながらクローディアと扉を見比べている間に扉が開き、入ってきたコンラッドは先客のロアの姿を見て足を止めた。
「あ!」
ロアも思わず叫ぶ。
「だっ、大丈夫! 私は帰るから!」
何かを問おうとするコンラッドを両手で制して小走りでドアに近づくロアに、クローディアは首を横に振った。
「ここにいてちょうだい」
冷たい声でそう言われて、ロアは困った犬のような顔をした。
「え! で、でも、」
「こんな時間に王子が侍女の部屋で二人きりでいたと万一周りに知れたら、誤解を招くでしょう。ここにいて」
クローディアの毅然とした迷いのない言葉に、残るべきなのか帰るべきなのか分からなくなりロアはコンラッドを見た。
コンラッドがロアを邪魔に思っていることはきつい表情から分かったが、彼は何も言わなかった。ロアもそれ以上何も言えなくなり、むにむにとただ口元を歪ませて立ち尽くす。
クローディアは事務的に咲茶の入ったカップをテーブルへ置いた。その慣れた手つきにコンラッドはまた驚いた。コンラッドの反応にクローディアは密かに傷つきながらも、できる限り平然とした顔で空いている椅子を手のひらで示した。
「どうぞ、座って」
コンラッドは一瞬ためらったようだったが、椅子へ近づいた。ロアも開き直ってさっさと自分の席に座った。クローディアも静かに席に戻る。
当然ながらロアもクローディアも、コンラッドのために椅子を引くことはなかった。コンラッドはじろりとロアを見た。
「おい、お前。椅子を引け」
「え? それくらい自分でしなよ」
呆れた顔でロアがコンラッドを見る。コンラッドは信じられないという顔をした。
「僕はこの国の王子だぞ」
「王子様って椅子も引けないの?」
貴族ではあるが、ロアは自分のことは自分でさっさとやってしまいたいタイプなので、コンラッドの自尊心を理解できずにさらに呆れた顔になった。
二人の会話を聞いたクローディアが少し笑った。それを見てコンラッドはムッとしつつも、渋々椅子の背に手を掛ける。自分で椅子を引き慣れていないのだろう、不器用に何度も位置を微調整してから慎重に椅子に座る。
「……」
「……」





