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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
第二章 青すぎる空
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乾杯



 ロアが部屋に戻ると、ろくにマヌエラ達と話す暇もなく案内人が部屋をノックした。もう少し遅かったら間に合わなかったと、主の帰りを首を長くして待っていた侍女達は胸を撫で下ろす。


 案内人は小柄な中年の男だった。マヌエラは男が普段から案内人を務めている訳ではない人物だと、その所作や物腰から読み取った。今回の舞踏会は規模が大きいので、使用人達も普段と違う仕事をすることもあるのだろう。


 それにしても大国ベルンシュタインの姫君の案内人にそんな人物をあてがうとは、とマヌエラは内心鼻白む。


「行ってらっしゃいませ」


 ロアと王子との話を詳しく聞けなかったのは残念だったが、それでもマヌエラは笑顔で主を見送った。


 自室の扉が閉まると、ロアは急に不安になった。よくよく考えると、宮廷舞踏会に参加するのは人生で二度目なのだ。そもそも普通の舞踏会の経験も少ない。だが案内人はゆっくりと着実に廊下を進んでいく。


 途中で同じように案内人と共に廊下を歩く夜会服姿の女性を見かけた。皆輝かんばかりの華やかさでロアには眩しく見えたが、笑顔であっても表情はどこか張り詰めている娘もいるようにも見えた。


 ロアは自分が騎手として招かれていると信じているため、騎手としての気負いはあっても彼女達と同じ種類の気負いはないはずだったが、それでも何となく引け目のようなものを少し感じた。


 大広間の前で待機していた背の高い使用人が扉を開ける。人々のさざめきと管弦楽団の演奏が一度にロアの耳を襲った。


「わあ……」


 壁も柱も窓も全て、白亜の城に相応しい白と金銀を基調にしている。入ってすぐは花の香りがしたが、中へと進むとずらりと並んだ料理の香りも鼻腔に届いた。騎手仲間のドゥラカなら大喜びするだろうなとロアは思った。


 ベルンシュタインの宮殿の大広間よりは狭いようだったが、その美しさと天井の高さではウィンフィールド王城の大広間の方が勝っていた。丸屋根の天井に天窓が備え付けられている。備え付けられていると言うよりも、天井自体が天窓を繋ぎ合わせたような凝った造りになっており、夕暮れの終わりの空に星が輝いているのが天井一面に見えるのだ。


 星の光が炎の灯りに負けてしまわないようにか、大広間に有りがちな大きなシャンデリアはない。代わりに下向きのブーケのような形の、ごく小振りなシャンデリアが天井の中心を囲むように幾つか据え付けられていた。


 足りない光源を補うように柱や壁やテーブルに灯りが多く用意されているし、白い壁が明かりを反射するので薄暗さは感じない。


 舞踏会に参加する客人の数が予想していたよりずっと多かったので、ロアはすっかり雰囲気に飲まれて足を止めた。


「ロア・ジャンメールさんかしら?」


 何も出来ずに立ち尽くしていると、淡い紫色のドレスを来たふくよかな中年の女性がロアの横から声を掛けてきた。


「あ、はい。ええと、こんばんは」


 戸惑いながら挨拶すると、女性はにっこりと笑った。


「お待ちしておりましたわ、ウィンフィールドへようこそ。先ほどは主人がお世話になったようで」


「え?」


「うふふ。わたくしはテリー・ダンヒル、アダム・ダンヒルの妻ですわ」


「あっ……! いえ、こちらこそダンヒル子爵にはお世話になりました。ありがとうございました」


 ロアは慌てて礼を言う。


「ごめんなさいね、あの辺りは道が悪くて困ったでしょう。舞踏会には間に合って良かったですわ」


「天馬のおかげです。私、初めて空を飛びました」


 目を輝かせたロアを見て、子爵夫人は微笑んだ。


「そうだったの、いい経験になったようね。私も天馬馬車は好きよ。ご感想は?」


「最高でした!」


「まあ、そう」


 ロアの圧に押されるように、子爵夫人は僅かに身を反らした。


「普通馬車って馬は前にしかいませんけど、天馬馬車は馬車を牽くっていうより担ぐ形になるから、後ろにも天馬がいるんですよね」


「ええ、そうね」


「今日乗ったのは八頭立てだったからか、もっと揺れるのかと思ったけど全然でしたし、車輪が回らないからとっても静かで──」


 ふと関所の羽落ちの天馬が脳裏に蘇って、ロアは言葉を切る。一気に捲し立てたせいで子爵夫人が呆気に取られていることに気づいて、少し頬を染めて謝る。


「あ、すみません。……えーと。空を飛ぶって、あんなに素敵なことだったんですね」


 気まずい顔でどうにか話をまとめると、子爵夫人は気を取り直してまた微笑んだ。


「ウィンフィールド王城の天馬馬車だから、乗り心地は世界一でしょうね。わたくしも初めて乗った時は、普通の天馬馬車との違いに驚いたわ」


「そうなんですか」


「ふふっ。悪路で申し訳ないと思ったけれど、そのお陰で天馬馬車に乗れたのならそう悪くはなかったかしら?」


「はい、本当にそう思います」


 楽団が一際音量を上げて、誰もが知る曲のメロディをワンフレーズだけ奏でてから手を休めた。

 大広間がしんと静まり、すべての客の視線が壇上のウィンフィールド国王に注がれる。落ち窪んだ目の、白髭を長く伸ばした痩せた老人だ。だが口火を切ったのは国王ではなく、その横にいた第一王子だった。


「紳士淑女の皆様、しばしお耳を拝借いたします。まずは今日の良き日に遠路はるばるウィンフィールドまでお集まり頂き、誠にありがとうございます」


「ユリシーズ!?」


 ロアは思わず小声で叫んだ。距離があるのでユリシーズ本人にまでは届かなかったが、周囲の人々の目が自分に向けられて慌ててロアは手で口を塞ぐ。


「あら、ユリシーズ王子と知り合いなの?」


 周囲の目があるので口元をぱっと開いた扇で隠し、横目でロアを見ながら子爵夫人が問う。子爵夫人は舞踏会ついでに久しぶりに実家の家族を訪ねて三日前から王都に来ており、一向にウィットバーン城に到着しないロア達を待っていたダンヒル子爵とは別行動だった。


 ロアは口を手で覆ったまま、夫人を同じように横目で見て頷いた。


「さ、さっき、子爵のお城に迎えにきてくれたんです」


「ユリシーズが?」


「まさか、ウィンフィールドの王子様だったなんて……。お城の伝令だって言ってたのに」


「まあ!」


 ロアの言葉に一瞬目を丸くしてから、子爵夫人は声を殺して笑った。ロアはユリシーズの嘘に腹を立てていいのか己の非礼を謝ればいいのか分からず、ぎゅっと太腿のあたりのドレスを掴んだ。


「私、王子にとんだ無礼を……」


「だけど、あなたが伝令だと信じるのも無理もないわよ。ほら、ユリシーズはコンラッド王子と違って庶民的だから」


 困惑するロアを目尻の涙を拭いながら、夫人がロアを慰める。その間にも、壇上のユリシーズの口上は続く。


「この大広間にこれだけの数のお客人が集まるのを見た記憶は私にはございませんが、ここにおられる諸先輩方なら覚えておられるかもしれませんね。あれは敬愛して止まぬ我が祖父の代、夏の名残りのなかなか去らぬ秋のこと──」


「舌が滑らか過ぎる。あれは商売人の舌だ」


 会場の最前列で国王の弟の息子であるマーヴィンが、口髭を撫でる振りをして口元を読まれないようにしながら隣にいる友人にぼそりと囁いた。友人は周囲に気づかれない程度にくっと小さく笑った。


 片やロアはユリシーズの見事な弁舌を自分にはない能力だと羨み、恨みがましさも滲む顔で眉を下げていた。


「今はちゃんと、王子様に見えるんですけど」


「うふふ。お城で陛下のとなりにいても王子に見えなかったら、ユリシーズに打つ手はなかったわねえ」


 子爵夫人はひらひらと楽しげに扇を揺らした。王子の私室で会っても王子と気づけなかったロアは、そんな自分が少し恥ずかしくなる。だが先ほどからどこかユリシーズに対して親しげな様子に気づいて、ロアは困惑の表情を消した。


「ユリシーズとは──いえ、ユリシーズ王子とは、仲がいいんですか?」


「そうねえ。小さな頃は、よくうちに遊びに来ていたのよ」


 夫人は少し言葉を選びながら頷いた。


「へえ」


「あの子は昔から、国境や海を見るのが好きでね。東西南北、それぞれ国の端に、立ち寄る贔屓のお城があるのですって。うちは特に主人が馬好きだから、話も合ったんでしょうね。一人でもよく来ていたわ」


 子爵夫人は懐かしげな遠い眼差しでユリシーズを見つめる。ロアは小首を傾げた。


「先ほど子爵は、何年ぶりかにユリシーズが来たようにおっしゃってました」


「ええ。よく来ていたのはずっと昔、あの子が子どもの頃の話よ」


「そうでしたか」


 何故遊びに来なくなったのだろうとロアは不思議に思ったが、どこか寂しげな夫人にそれ以上は聞けなかった。


「あなたもうちの主人やユリシーズと一緒で、馬がお好きなのよね。騎手をしているって、本当なの?」


 子爵は声の調子を明るく戻し、ロアに好奇心の滲む顔を向けた。ロアのことをよく知らなかったダンヒル子爵とは違い、子爵夫人は自分の城に立ち寄る異国の客人のことをあらかじめ調べていたらしい。


「あ、はい」


「すごいわねえ。怖くないの?」


「楽しいですよ。今回の舞踏会の最終日の天馬レースにも、出場させてもらうんです」


「そうなの? ベルンシュタインには、天馬はいないと聞いていたけど」


「はい、いません。今から練習して、乗れるようになる予定です」


 夫人は驚いてくりくりと目を丸くした。


「まあ、たった数日間で? それは大変ねえ」


 ロアが気づかないうちに乾杯の準備の指示があったのか、使用人が銀の盆にグラスを乗せて近づいてきた。ロアも子爵夫人もグラスを受け取り、壇上のユリシーズを見る。だがもう話し手は国王に代わっていた。


「──国は数あれど、今この星空の下に平和を望む志は一つ。大陸の繁栄を願って」


 初めて聞くウィンフィールド国王の声は、朗々たるユリシーズの後ではやや弱々しく響いた。だが、ベルンシュタイン皇帝の声よりもずっと人間味があった。ロアは微笑んだ。


「乾杯」


「乾杯!」


 人々がグラスをかざし、最初の一杯を飲み干して笑い合う。たったそれだけで大広間の空気が円やかに変わるのをロアは感じた。無理にグラスを空にして、子爵夫人と笑みを交わす。喉が陽気に熱かった。



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