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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
第二章 青すぎる空
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夢の切れ端


「だからほら、我が国が誇る英雄、バロウズ将軍が完全に悪役だ」


 そこには聖ピロタージュ教会のシンボルが刻まれた盾を翳した軍隊が、重装備の禍々しい騎兵隊と戦う様子が刺繍で描かれていた。重装備の群の中に一際目立つ髭の大男がいる。


「あれがバロウズ将軍?」


 ロアは次第に綴織が描いている世界に引き込まれていく。


「ああ。ソイニンヴァーラ遠征を描いたものだね。でもこれはソイニンヴァーラの綴織だから、ムスタメッツァ侵攻を描いていると言うべきだ」


「同じ戦争なのに、ソイニンヴァーラでは呼び方が違うの?」


 きょとんとしてユリシーズを振り返ると、すぐ後ろにユリシーズがいたのでロアは少し驚く。


「両国で呼び方が一致しない戦争なんて幾らでもあるよ」


 羽落ちの話をあれ以上続けたくなかったユリシーズは、ロアが話に乗ってきたことにほっとしつつ答えた。


「そうなんだ。知らなかった」


 ロアは素直に感心した。ウィンフィールドから見れば半島の一部と諸島を得た素晴らしい勝ち戦だが、ソイニンヴァーラからすれば焦土作戦にまで追い込まれた屈辱的な負け戦だ。ユリシーズは微笑んだ。


「例えば千二百二年に起きたベルンシュタイン北部の戦争だって、僕らはベルンシュタイン統一戦争と呼んでるけどきみらは違うだろう?」


「そうなの?」


 ロアはきょとんとしたまま問い返した。短い沈黙が流れる。


「……ベルンシュタインでは、ルーンケンの乱と呼ばれてるはずだよ。違ったかな」


「ああ、聞いたことはあるような」


 ユリシーズはため息をついた。


「やれやれ。だけどまあ、そういうことさ。僕らから見れば、帝国が二分されていた時代に起きた統一戦争だ。でも北ベルンシュタインの独立を認めていなかったベルンシュタイン帝国からすると、たかだか地方領主数人の反乱を鎮圧しただけの戦だ」


「へえ。だからバロウズ将軍も、ソイニンヴァーラでは悪役なんだね」


「悪役の代名詞みたいな存在だよ、ソイニンヴァーラ人なら良く思う人はいないだろうね」


 刺繍のバロウズ将軍は熊のように大きく、黒を基調とした禍々しい色合いで表されていた。


「同じ人なのに、それぞれの国でそんなに扱いが変わるのかあ……」


「ウィンフィールドでは三指に入る大英雄、そして天馬を我が国に連れて帰った天馬文化の創始者なんだけどねえ」


 ソイニンヴァーラ遠征の際に一度は敗走し自軍からはぐれたバロウズ将軍が、自軍の危機に突如天馬に乗って現れたという逸話は、ウィンフィールド人なら誰もが知っている。空から軍を指揮したバロウズ将軍はそのまま形勢を一気に逆転させ、ソイニンヴァーラ領の一部を獲得したのだ。


「こっちの綴織は?」


 ロアは隣の綴織を指差した。こちらは見たところ地図のようだったが、ロアには見覚えのない地形だった。しかも陸地が見えるのは西側の一部で、残りは白い雲に覆われて曖昧に隠されている。


「これはアクトニカ大陸の地図だよ。僕が地図の写しを渡して織らせたものだ」


「アクトニカ?」


「ソイニンヴァーラの西の大海、フィニス海を渡った先にある大陸さ」


「聞いたことない」


 ぱちくりとロアは目を瞬かせた。


「だろうね。……今から百年以上前、ソイニンヴァーラの漁師の船がアクトニカ大陸に流れ着いたんだ。でもその船員達は誰一人、生きて祖国には帰って来られなかった」


 ロアは小首を傾げた。


「それじゃあ、そのアクトニカが本当にあるかどうかわからないんじゃない?」


「まあ最後まで聞いてくれ。数年アクトニカで過ごして祖国へ帰ろうとした漁師達は、船が嵐で難破して漂流してフィニス海の小島にたどり着いたんだ。しばらくは何とか生きていたようだけど、結局助けは来ずに全員がその小島で死んでしまった。そして更に四十年ほどの歳月が流れて、その小島にたまたま流れ着いた海賊が、彼らの残したアクトニカゆかりの品々を見つけたって訳なのさ」


「へえー、大発見だね!」


「ああ、当時も信じる者にとっては大発見だったらしいよ」


 はしゃぐロアに、ユリシーズは皮肉気に一応は同意した。ロアは鳩が豆鉄砲を食らったような顔でユリシーズを振り返った。写しの綴織一枚で今の話を丸々信じ切ったロアを、ユリシーズは楽しそうにも憐れむようにも見える眼差しで見下ろした。


「え、どういうこと? 大発見じゃないの?」


「彼らの残したメモや謎の大陸の品々を見て、当時うちとソイニンヴァーラがそれぞれ船団をアクトニカ大陸に送ったんだ。けれど、どちらも一隻も船は帰って来なかった。フィニス海はあまりに大きな海だからね。その後も二度、船団が送られたけど駄目だった。それで皆、アクトニカのことは夢物語として忘れてしまったんだ」


 ユリシーズは遠い目をした。アクトニカ大陸を描いた古地図があるという話を持ち掛けてきたのは、海沿いの街の商会の会長だった。彼はユリシーズが異国やアクトニカの文明品に興味があると知っている。

 だがユリシーズに地図を始めとしたアクトニカの品を見せた時の会長は、ユリシーズの手前丁寧に隠してはいたアクトニカ大陸の存在を信じているようには見えなかった。


 会長は古地図やその他の品を無料でユリシーズに譲る代わりに、海産物の流通での便宜を要求してきた。結局普通に品物を購入するより高くついたことまで思い出して、ユリシーズは少しだけ不満げな顔をした。


「……ユリシーズは、信じてる?」


 夢が萎んで、ロアは寂しげな顔をして尋ねた。ユリシーズは眉を上げて綴織を眺めた。会長から買い取ったアクトニカの古地図は、本物ではない可能性の方が高いとユリシーズは見ていた。

 だが描かれた地形の一部分は合っているかもしれないし、そうであれば他国に渡す訳にはいかない。ユリシーズが古地図を買ったのは夢のためというよりは、存在するかもしれない未知の大陸との接触で他国に出し抜かれないためだった。


「そうだね……アクトニカ製の道具だっていう品物は、世の中を騒がせて儲けるために作ったにしては、使用方法が分からないような品物でも見えないところまで精巧に作られてるんだ。だから少なくとも僕は、アクトニカ大陸があると信じる価値はあるんじゃないかと思ってる」


 慎重に言い終えてロアを見る。彼女は屈託なく笑い、それから目を輝かせて綴織を見た。


「私も信じる!」


 赤ん坊のような娘だな、とユリシーズは心の中で呟く。もしも付き人なしに城下町に降りれば、あっという間に身ぐるみを剥がされて無一文になる類いの人間だ。そういう意味ではロアはとても貴族らしいとも言える。ユリシーズの頬に無意識の微笑みが浮かんだ。


「同じ大陸でもけっこう違いがあるんだから、別の大陸なんてきっと全然違うところだらけだろうね。アクトニカの馬はどんな馬だろう? 羽根が十枚もあったり、足が六本あったりするのかな?」


 ぺらぺらと喋りながら楽しげに想像を巡らせるロアに、ユリシーズはくすりと笑った。


「国がフィニス海に面していないベルンシュタイン人にとっては、確かに面白いだけの話かもしれないな」


「ウィンフィールド人にとっては違うの?」


 振り返るロアに、ユリシーズは頷く。


「もしもの話だけど。アクトニカ大陸の国々が僕達の大陸に海戦を仕掛けて来るなら、位置的に最初に狙われるのはソイニンヴァーラかウィンフィールドだからね。品物を見る限りアクトニカは、僕たちの大陸と同等かそれ以上の文化を持っているはずだ。厳しい戦いになるだろう」


「ああ、そうか。……何だか急に怖い話になった」


 未知の国々と戦争になるかもしれない恐怖に、ロアは露出した己の肩を両手で抱きかかえる。ユリシーズは笑った。


「ハハハ、大丈夫だよ。もしもにもしもを重ねた話さ。それに逆に言うと、アクトニカの国々と貿易ができるとしたらうちとソイニンヴァーラは大きな利益が期待できる。ウィンフィールドにとって悪い話ばかりじゃない」


「なるほど。……ユリシーズは偉いね、ちゃんと自分の国のことを真面目に考えてるんだね」


 ロアは心底感心したようにこくこくと頷いた。ロアの意外な反応に肩をすくめて、ユリシーズは首を横に振る。


「褒められるほど真剣には考えていないよ」


「でも私は、こういうことが起きたらベルンシュタインがどうなるかなんて考えたことないよ。自分の国だけど、他人ごとなんだろうね。ずーっとベルンシュタインに住んでる、生粋のベルンシュタイン人なら違うのかな」


 ロアはぼんやり考えた。ユリシーズは不当な賞賛に唇を歪める。


「……王城で暮らしてる以上、国の動静は自分の生活に関わるからね。ジャンメール家の祖先はどこからベルンシュタインに渡ってきたんだい?」


「チェッリーニ司教国と、パンセ共和国だよ。ひいひいひい、あれ、何回だったかな……まあいいや、とにかくずっと前のお祖父さんがチェッリーニから渡ってきて、ベルンシュタインでパンセ出身のお祖母さんと結婚したんだって」


「チェッリーニか」


 己にも流れるその血を思い出し、ユリシーズは呟いた。ロアは曾の数を指折り数えていたままだった手を開く。


「なるほど。きみの明るさはあの国由来だったんだね」


「そう? チェッリーニは厳格なイメージもあるけど」


「それはチェッリーニの、宗教者のイメージだろう? チェッリーニの庶民は明るく奔放で、自由と音楽と天馬を愛する人々だよ」


「そうなんだ。そう言われたら親しみが持てる」


 ロアは微笑んだ。王子という立場から何代も前の先祖のことも学んできたユリシーズは、自分の遠い祖国に興味の薄いロアに呆れる。


「やれやれ、ご先祖様が泣くよ。きみは本当に馬のことばかり考えて育ったようだ」


「一応、家庭教師はいたよ」


 ロアは家庭教師の顔を年老いた男性の顔を思い出す。代々ジャンメール家と縁ある人物だったのだが四角四面な性格がロアと合わず、結局マヌエラから教えられたことの方が多かった。ユリシーズはニヤリと口端を吊り上げた。


「四つ足で歩く家庭教師かな?」


「ちゃんと人間だったよ!」


 ロアは抗議し、ユリシーズは声を立てて笑った。


「まあいいさ、くれぐれも落馬には気をつけてくれ。怪我でもしてきみが馬に乗れなくなったら大変だ、何の希望もない人生になるぞ」


「それってどういう意味?」


 ユリシーズに含みのある目で見られて何かからかいの意図のありそうなことだけは察して、ロアは半眼になった。ユリシーズは軽く肩をすくめる。


「さあ、どんな意味だろうね。ああ、すっかり話し込んでしまったな。そろそろ時間だよ、案内人が来る前に部屋に戻った方がいい」


「もう、誤魔化さないで」


 不満を口にしつつも部屋の掛け時計に目をやったロアは、素直に退室することにした。


「わ、マヌエラに怒られちゃう。それじゃ、お邪魔しました」


「また後でね。きみと踊るのを楽しみにしてるよ、ベルンシュタインのお嬢さん」


 ひらりと手を振った笑うユリシーズの言葉に、扉に手を掛けていたロアは振り返って思わず叫ぶ。


「踊るって……やっぱり伝令じゃないんだね!?」


 ユリシーズは背を反らして笑った。



お読み頂きありがとうございました。


今回のブロウズ将軍の自軍からはぐれた後に天馬に乗って合流して~というエピソードは、ロータス様に頂いたFAから妄想したものです。

ロータス様、素敵なイラストをありがとうございました!

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