王子の私室
今度は間違いのないよう確認しながら階段を昇り、似たような壁紙と似たような絨毯の敷き詰められた廊下を進む。ついつい珍しく美しい調度品に目が行くため、豪華な城ほど道に迷いやすいんだなとロアは金色の孔雀に似た鳥の彫像を眺めながら思った。
今度はきちんと確認し、先ほどコンラッドの部屋に入る前に見たものと同じ意匠の扉をノックする。
「どうぞ」
迂闊なロアは声の違いにも気づかず、許可を受けてすぐに扉を開ける。
「いろいろ聞いてきましたよ」
だがロアがコンラッドの部屋だと思った室内にいたのは、ユリシーズだった。
「あれっ!」
ユリシーズはロアを見て机の上で広げていた地図をさっと二つ折りにして畳み、面白そうに笑った。
「嘘でしょ、また間違えた……」
しまったというようにロアは額に手を当てる。その何の緊張もない声でロアがまだ自分が王子だということに気づいていないらしいと悟って、ユリシーズは更に愉快な気分になった。案内人なしに一人で異国の王城をうろつく非常識さと度胸に感嘆しつつ、軽口を叩く。
「やあ、ロア・ジャンメール。ずいぶん久しぶりだね、二時間ぶりくらいかな?」
「嬉しそうだね、ユリシーズ」
恨めしそうにロアが言う。
「部屋を間違えたんだね。どこに行こうとしてたんだい?」
「王子の部屋だよ」
「コンラッド王子の部屋かい? きみが王子と知り合いとは知らなかったな」
ユリシーズは探るようにロアを見た。
ロアは視線には気づかずに部屋を見渡し、何やら絡繰りが組み込まれているようなごちゃごちゃした掛け時計を見上げた。針が見づらく読み取るのに少々時間が掛かったが、これからまたコンラッドの部屋を探し出すにはもうあまり時間がないと分かってロアはため息をついた。
「知り合いじゃないよ、ついさっき初めて会ったところ。ごめんねユリシーズ、お邪魔しました」
「まあまあ、ゆっくりしていくといい。今からコンラッド王子の部屋を探していたら、舞踏会に間に合わないだろう」
実際はコンラッドの部屋は一つ部屋を挟んで隣なのだが敢えてそれは言わずに、ユリシーズは部屋を出ようとするロアを引き留める。
ダンヒル子爵の城ではずいぶんと変わり者に見えたが、こうして馬のいない環境であればその辺の貴族の娘と髪型以外は変わりない。この娘が鞍も置かずに使役馬をその場で乗りこなす騎手だとは、きっと誰も思わないだろうとユリシーズは思った。
「どうだい、コンラッド王子とは気は合いそうかい」
「ううん」
正直さを凌ぐ愚直さ、あるいは浅慮さで言い切ってロアは首を振った。
「……おや。きみのお眼鏡には適わなかった?」
遠慮も何もない返答に一瞬ぽかんとしてから、ユリシーズはにやにやと笑い始めた。ユリシーズの真意がよく分からず、ロアは眉根を寄せる。
「向こうが私に、プリプリ怒ってたんだよ。私が間違えて部屋に入っちゃったから」
「なるほど。だけどそれでもきみは、もう一度コンラッド王子に会いに行くところだったんだろう?」
「それは、」
忘れ去っていたコンラッドの他言無用という言葉を奇跡的に思い出して、ロアはすんでのところで言葉を切り俯いた。その反応を見て、何かあったのだろうかとユリシーズは眉を上げる。
「……まだちょっと、用事があるから」
「急に声が小さくなったなあ」
「なっ、なってないよ。それより、ユリシーズ。ここで何してるの、ここはあなたのお部屋?」
ロアは動揺を見せ、その後できょろきょろと部屋の中を何の遠慮もなく見回した。
見たところ広さや作りはコンラッドの部屋と同じようだったが、調度品や物が多いためコンラッドの部屋より狭く感じる。数々の異国の装飾品や面、大小の綴織が所狭しと壁に飾られ、白く太い綱で編まれた船員が寝るようなハンモックの上には幾つもの木箱が積み上げられている。
侍女達が掃除しているため塵一つ落ちてはいないが、調度品の高い質のわりに乱雑な印象をロアは受けた。
「だったらいいけどね。ここは僕が親しくさせて頂いてる第一王子の部屋さ」
また嘘を重ねて、ユリシーズは楽しげに笑う。
「へえ。王子がいなくても入れるくらいに仲がいいの?」
「僕と王子は一心同体なんだ」
ユリシーズはどこまでこの嘘を突き通せるか試すことにした。大国からの客人は丁重に扱わなければならないところだが、どうせ自分の身分は今夜明らかになるのだからそれまでの短い遊びだと自分に言い聞かせる。
「ふうん。でもユリシーズって、伝令じゃなかったんだね」
感心したように頷いたロアだったが、ふとユリシーズの姿を見てむっとした顔をした。
「どうしてそう思うんだい」
「だってその格好。ユリシーズも舞踏会に出るんでしょう」
迎えに行った時も今と似たような格好だったのだが、天馬に夢中のロアの目にはまるで入っていなかったらしい。ユリシーズは襟を整えてまた面白そうに笑った。ふとその笑顔が誰かに少し似ている気がしたが、それが誰かはロアは思い出せなかった。
「文化の違いだね、ベルンシュタインじゃ伝令も舞踏会に出られるのかい?」
伝令には不似合いな高品質の正装だが、問い返され煙に巻かれてロアは更に眉根を寄せる。貴族にありがちな言葉遊びのような会話は苦手だった。
「出られないけど。あなたの格好、伝令には見えないよ。貴族なんでしょ」
「いいや、違う」
妙にきっぱりした口調に、ロアは戸惑う。この言葉に関してはユリシーズに嘘をついたつもりはなかった。貴族と王族は明確に区別されるべきものだとユリシーズは思っている。
「まあ、身分なんて大した意味はないさ。それよりその綴織を見てごらん、きみならきっと気に入る」
ユリシーズは安心させるように微笑み、ロアの後ろのひときわ大きな綴織を指差した。適当に誤魔化されたようで綴織に視線を移すのは癪だったが、軽くユリシーズを睨んだ後で好奇心には勝てずにロアは後ろを振り返った。
「……あ、六枚羽」
大きな綴織の縁を取り巻くように、宙を舞う天馬が白い糸で刺繍されている。ロアは綴織の前に近づき、天馬が全て六枚羽であると気づいた。その背に誰も乗っていないので白一色で幻想的で、まるで白い蝶か花びらのようだ。
透けるように儚い羽が、ロアに関所で見た羽落ちを思い出させた。人が乗らない方が天馬は幸せなのかもしれないとロアは思い、少しだけ項垂れた。
「……」
「あれ、意外と気に入らなかったかな」
喜ぶだろうという予想が外れて、ユリシーズがロアを気遣う。
「…………城壁の関所で。羽落ちを見たよ」
ユリシーズは一瞬はっとして、それから唇を歪めた。
「それはそれは。王都に来て早々つらい思いをさせたね。あれは我が国の恥部の一つだ」
「チブ?」
「恥ずかしい欠点という意味さ」
ロアは意味を理解すると首を振り、はっきりと言った。
「ウィンフィールドだけじゃないよ。ベルンシュタインでだって、足の折れた馬は殺処分されてる。きっと私たち、馬に乗りたがる人間全員のチブなんだ」
こういった真面目な会話をロアとできると思っていなかったユリシーズは、どうしたものかと考える。馬のことに関しては本当に真剣に取り組んでいるらしい。
「……ベルンシュタインに、連れて帰るよ」
「羽落ちをかい?」
ユリシーズは驚き、眉を上げた。
「連れて帰って、どうするんだい」
関所の兵士達とは違いはっきり役に立たずとはユリシーズは言わなかったが、声には用途の無い羽落ちを連れ帰ることを不思議がるような響きがあった。ロアはそう思うのも当然だと分かってはいたが、それでも悲しかった。
「わからないけど。でも、見てしまったら無視はできない」
「そうか」
羽落ちの話でユリシーズの脳裏に、ある二人のソイニンヴァーラ王女の顔がよぎった。彼女達もまた、羽落ちに関して心を痛めている。引き合わせてみるのもいいかも知れない。ユリシーズはしばらく考え込み、それから椅子から立ち上がるとロアの背後へ移動した。
「……それはね、ソイニンヴァーラ製の綴織だよ」
ユリシーズは綴織の上方を指差す。





